社会奉仕命令制度に期待する
犯罪者を刑務所に入れず、社会奉仕の形で社会復帰させるという制度が、法制審で意見がまとまったとのこと。詰めるべき課題がたくさんある(どのような社会奉仕をさせるべきか、裁判所がどのように絡むか、などなど)のは言うまでもないですが、この流れは私は評価したいと考えています。社会奉仕命令の中には、老人介護や地域のゴミ拾いもあるとのこと。地域清掃が、ゴミを捨てるという不法な行為の被害者的な地位を体験させるものとして、自然観察や祭りの参加などといったイベントよりも非行防止に効果があったという話は、以前にもしました。刑罰は、確かに科した方が世間一般としてはスカッとし、また安心することができるものでしょう。それも立派な刑罰の一つの機能であり、少なくともそれ自体を否定すべきものはありません。しかし、刑罰、しかも厳罰化の方向ばかりが刑事政策の論争として先行する昨今、もっといい方法はないのかというのは考えられてしかるべきところでしょう。体にメスを入れて手術することを追求するよりも、軽い薬を使って健康体になれるのであれば、そっちを検討するのが合理的です。被害者のいる犯罪では多少難しい部分があるかもしれませんが、被害者のいない犯罪(覚せい剤自己使用や交通違反、あるいは被害者が宥恕の意思を示している犯罪でも)ではうまく使える可能性があると思います。もう何度書いたか分かりませんが、今の日本の刑罰法体系において、犯罪者を社会から消してしまうことのできる刑罰は死刑か無期懲役しかないのです。無論、無期懲役以上を使える犯罪は殺人・放火などと言った重大な犯罪の、しかもお世辞にも情状のよくないばかりです。多少なら広げようという立論は説得力があるかもしれませんが、コソ泥や覚せい剤の使用・組織的でない密売を相手に無期懲役と言ったあり方では、現在の中国の人権状況を非難することはできなくなるでしょう。そうすると、犯罪者は社会復帰することがほとんどの犯罪で前提となります。そして、刑務所経由の社会復帰がうまくいっているかと言えば答えはノーです。服役は確かに苦しいものですが、長期間服役してしまえば人間は慣れてしまいます。そして、刑務所の雑居房で悪い仲間と交際して、出来心犯罪者が職業犯罪者になってしまう・・・というのもよくある話です。刑務所に行かなければ仕事があり、間人間でいられた人間も、刑務所に一旦はいったら仕事は確実にクビとなり、元犯罪者となれば再就職も困難になり…貧困が犯罪を生む、最良の社会政策こそ最良の刑事政策というのは刑事政策の常識です。そう考えると、刑務所に叩き込まないで、社会内で更生させるというのは、ケースによっては刑務所に行くよりも優れた処方箋になりえるという訳です。大手術をして消耗させるよりも、軽い薬を使って体力を維持しつつ健康体を維持しようというもんのすごく合理的な発想な訳です。・・・と、私がこのブログで吼えた回数は2ケタ近く、光市事件でアクセスが4桁くらいになったころにまでうるせえってくらい言ってましたが、私ごときがいくら吼えていても、なかなか広くは伝わっていかないものですね。現在はそのようなあり方のために使われるのは執行猶予や罰金刑です。しかし、執行猶予はあんまりきめ細やかではありません。執行猶予による更生は、無論弁護士がアドバイスをする例はあるにしても、基本的には本人の自覚に任されているのが実情です。また、保護観察付きの執行猶予と言うのもありますが、実務上あんまり使われていないようです。罰金刑に至ってはその後社会で真人間になるというインセンティブがありません。真面目な人間なら、たとえ罰金でも俺は刑罰を受けるようなことをしてしまったんだという自覚を持ってくれるでしょうが、罰金刑は人によってはまるで痛みが伴わないことから、必ずしも効果があるとは限りません。社会とのつながりを維持しつつ、一定程度肉体的苦しみを与える社会奉仕命令制度は、日本の刑事政策をよりきめ細やかにし、犯罪を本当の意味で抑止させる試みとして注目しています。同時に、受け皿となる社会の方々は、温かい目で彼らを見守ってあげて欲しいと思います。別に偽善臭いヒューマニズムを言いたいのではなく、それが犯罪を防ぐために効果的な方法だということです。あなたは、将来犯罪が起こっても、犯人を厳罰に処しますか?処罰を少し緩めて、犯罪を抑えられるとするなら、それを飲みますか?