こちらは海原氏向けの文章です。
やっぱり張名人が言うと信頼が違いますよね。トップ棋士で棋士の内情にも通じているわけですから。さて、共通の敵が出てきて対立が一時解消されただけという気もしないことはない(むろん、無駄に悪化させたいという趣旨ではない)ですが、とりあえずTB記事に対する私の見解を明らかにしておきます。 >お2人は根本的な部分では共通しているとさえ思います。実は私もそれは感じていたりします。案外、同族嫌悪の類かもしれません。なお、各論で賛成していただけているということですが、各論に間違いがあった場合は遠慮なく指摘願えればと思います。>ルーラ氏は、なるべく集められるだけの情報を集め基本的な素養くらいは当然に身につけておくべきだ、と考え、hidew氏は、そこまで厳密にやらなくても普通にメディアから得られる情報で十分、専門家の議論を知っておくことなど不要、と考えている。 そうですね。それに対して、何様なのだと思っているわけです。>私に言わせれば、この対立軸そのものがナンセンス。そもそも人間には、他人を攻撃したい、しかも無責任に自分は傷つかずにやりたい、という欲求があります。 欲求の存在は、私も否定しません。ただ、そういった欲求をそのままの形で表に出すのは、恥ずかしいこと、否定されることだ、というのがまず私の中で大前提にあります。いくら人間に欲求があるからと言って、それに従って他人を害することが許されるわけではありません。病的サディストなら殺人が許されるか、というとそうではないということです。(心神喪失だったとしても、違法には変わりない)他人に対する加害行為を欲求が正当化することはない。文章を見る限り、その点に関して海原氏も基本的に賛成であるようには思われます。(足利事件に対する反応からして、hide-w氏はあれで真剣に話しているつもりなので恐れ入りますが) その上で、私と海原氏の視点の違いは、犯罪学(海原氏)と法学(私)の関係に似ているように思います。刑事法的な評価論を離れ、犯罪を防ぐためにどうしたら良いのか、という犯罪学の視点が必要である一方で、実際出てきた犯罪行為について刑法や行政取締法に従ってどう裁くか、あるいは不法行為法に従ってどう被害者に償わせるかという法学的な視点が必要になるケースはあります。そのような欲求を余所で出させるという、犯罪学に近い思考の提案と、そのような欲求を出す者に対して、規範的な視点から思いっきり喝を入れるという法学に近い思考に基づく行為は、相容れることがないとは言いません(調べもしない愚かな言論に喝が入ることは、防ぐにも有効な可能性があります)が、視点が大幅に違うように思われます。私などは、それでも犯罪学と刑法学を接近させる考え方にシンパシーがある方だと思われます。ただ、法学に力を入れ過ぎるあまり、犯罪学に目がいかないという現象があるからといって、法学が否定されるべきではないと考えています。(法学を押し立てすぎて全てダメにしてしまっているというのなら別ですが...)そして、海原氏のような犯罪学的視点からの対処に関して言えば、私はこれらは「各人がその自覚によって」抑え込むしかないもので、解答はない、と考えています。刑法とて、何をすれば犯罪かは書いてありますが、それをしないように各人の情動を抑える方法は書いてありません。いかにそれを社会の中で解消するかは、各人に向けられた課題であると言えるでしょう。最終的に犯罪を止めるのは各人の意思です。(これを否定されたら近代刑法の責任論は成り立ちません)そして、各人なりに趣味をする、人に見えないところでむかつきを現すなどと言った形で、余所に向けることで解決できるかもしれませんが、第三者にできる「現実的な対応策」は、出てきた言論を批判し、喝を入れることくらいだと思われるのです。 >(世界戦の直前、日本の棋士に全く期待しないとブログに書き、そんなことは有名税の範囲だとあっさりと言い放ったルーラ氏にも、やはりこうした欲求があるのが分かります)。むろんあります。私自身昔は棋士を今以上にぼろぼろに非難していたりしましたしね。ただ、抑え込めるはずがないからと言っても、批判的な見解を向けなくていいわけではありません。世の中に犯罪は尽きることがありませんが、では犯罪をほっぽらかし、犯罪者を完全放免していい、と言ったらそれはノーであるのと同様です。有名税の範囲というのも、程度を逸脱しているかいないかの話なのです。 >もちろんこれが正しいものか、また唯一のものかは分かりません。しかしながら、少なくとも、人間がどうしようもなく持っている欲求となんとかうまく付き合おうという姿勢だけは、絶対に正しいと思っています。これが、お2人に無くて私にあるものです。確かに、私の「各人に任せるしかない」というのは、ある意味恐ろしく淡白な見方です。海原氏のもっと突っ込んで考える姿勢は、評価してよいものと思います。海原氏からみれば、私の思考は足りないかもしれません。そこで、より優れた方法があるじゃないか、ということなら、それを出すのはよいでしょう。ただ、海原氏が以前出した主張は、そのための方法として度を越していると主張しました。また、囲碁界で大丈夫だからということで、真剣な議論にまでそれを持ち出す人間が現れないとも限りません。決して答えを出すのは楽な領域ではありませんし、「現実解がない」(これを解決しようとするともっと失うものがあるのでは解のうちに入らない)可能性もある領域だと思われます。その意味で、答えはないのでは、という説もそれなりに根拠があるものだと思ってもらいたいと思います。