ゼミの最終論題
今日でゼミも最後。長かったのか短かったのか・・・。 感傷に浸る前に、今日の話を検討してみましょう。もしかすると裁判員になったときも関係するかもしれない(たぶんあんまりないとは思うけど・・・)、けっこう大事な話です。 日本の刑事裁判では、「本人の自白」だけで有罪にすることはできない。(憲法38条3項、刑事訴訟法319条2項)本人の自白のほかにも、証拠を集めてその上で判断して有罪無罪を下さなければならない。仮に法廷に本人の自白だけが出されたなら、どんなにこの自白は本物だろうなと判断できても無罪判決を下さなければならないのだ。趣旨は、(1)自白の信用性が高いばかりに、過度に捜査機関が自白を集めようとすることへの歯止め(2)自白はなまじ信用性が高いばかりに裁判官が過大評価しがちになるから過大評価への歯止めなどと言われる。 でも、本当にそれだけでいいの?と言う疑問が、一部から提示されている。かつて最高裁判事を務めた学者の団藤重光先生などが、こうした疑問を指摘する見解のトップに位置しているし、なかなか考えなければいけない問題だ。 それは、「共犯者の自白」である。 例えば、被告人がA、Bといて、A「私はBと一緒に被害者を殺しました」B「私はやってません」 と言って、他に証拠が集まらない場合を考えてみよう。Aのいったことは「自白」である。他に証拠が集まらなければ無罪である。 ところが、BにとってAの「自白」は「他人の自白」であって「本人の自白」ではない。そうすると、Bは有罪判決を食らうことになる。しかし、(1)こういう場合の自白には、えてして他人を巻き込んで自分の罪を軽くしてもらおうとする「引っ張り込みの危険」があるものだが、そんなものだけで有罪にしてしまっていいのか?(2)自白したAは無罪になって否認したBは有罪になるのはいいのか?(3)共犯者のいる場合には、捜査機関が結局自白頼みになってしまうのではないか? ということで、「本人の自白」には「共犯者の自白」を含めて考え、共犯者の自白だけでは「絶対に」有罪にはできない、他に証拠を持っていらっしゃい、と言う立場があるのだ。これに対して、本人の自白は本人の自白、共犯者の自白だけでも有罪と認定できるならしてよいと言う立場もある。 更に折衷的に、共犯者二人が揃って自白している場合にはOKだが一方がしゃべっているだけのときはダメと言う理解もある。 では、裁判所はどう考えているか。 裁判例は、「共犯者の自白だけで有罪を認定してもよい」と言う立場を崩していない。やはり「本人の自白」に共犯者のそれが入る、と言うのはちと解釈論としては厳しいものがあるのだろう。また、密室で行われた犯罪の共謀とか、教唆とかはそういった自白のほかに証拠がないことが多いので、全く処罰できないよ…と言うことになりかねないと言う問題もある。 では、団藤先生らの問題意識は全く捨て置いてよいか、というとこれはそんなことはない。 裁判所も、「共犯者の自白」が一般的に「危なっかしい証拠」であるという点には理解を示している。やはり、他人を引きずりこむような人間がいるというのは間違っていない理解なのだ。 実際、共犯者の自白の他に証拠がない場合でも「有罪判決を下すことができる」と言うだけであって「下さなければならない」、と言う意味ではない。「その自白では犯罪が十分に証明されていなければ無罪」という可能性はある。実際、共犯者の自白しか証拠がない場合に、証拠不十分で無罪だ、と言う例も少なからずあるようだ。 もっとも、実際にこういう例は少ないと思われる。日本の検察がけっこう慎重に起訴をしているから、それっぽっちしか証拠がないのに起訴するという事態は考えにくい。実際にはもっと他の証拠をくっつけて出してくる。 しかし、今日ここを読んだ皆さんに持ってかえってもらいたいのは、法解釈論云々もいいけど、「共犯者の自白は危なっかしい証拠なのだから、自分が裁判員になったときには共犯者の自白も眉唾で見ろよ」と言うお話である。