徹底解説!!危険運転致死傷罪
すでに飲酒運転についてはこのブログでもいやというほど説明してきたが、なぜここで今更危険運転致死傷罪の話を始めるかといえば、結局はこの事件で判決が下されたからに他ならない。 愛知県春日井市で昨年2月、乗用車を飲酒運転したうえ、赤信号を無視してタクシーと衝突し、運転手や乗客ら4人を死亡させ、2人に重軽傷を負わせたと言う事件で、裁判所は危険運転致死傷罪の適用を避け、業務上過失致死傷罪と酒気帯び運転などで懲役6年の判決を下した、とある。 証拠も何もみていないから、この事実認定が正しいという確約はできかねるにしても、疑わしきは被告人の利益という大原則があるから、やむを得ない事も十分に考えられる。 そして、業務上過失致死の単純一罪なら本当は懲役5年が最高で、酒気帯び運転は最高懲役が1年。懲役6年は、裁判所が現行法で出来る最も重い処罰をした結果である。訴因変更命令も出しているという。おそらく、実際はもっと重い処罰をしたかったものと思われる。 なのに、例によってネット上でわき起こる非難の嵐。裁判官を口汚く罵りたいなら、最低限の勉強くらいしたらどうなのだろう。 そもそも危険運転致死傷罪とはどういう罪なのか、考えたことのある人はどれくらいいるのだろうか。危険運転致死傷罪の構成要件をすらすら言える人はなかなかいないと思われるが、どういう罪なのかを改めて確認するだけでも、あんなバカげたことが言えるはずがないのだ。 今まで折に触れて危険運転致死傷罪がどういう罪なのかはふれてきているのだが、今回はまとめて危険運転致死傷罪の解説としよう。 今日の話の参考文献としては同志社大・大谷實教授の刑法の基本書である。他もさらりと目を通しましたが、特別な論争になっているところはほとんどありませんから間違ってないはずです。 危険運転致死傷罪の条文を先に入れるとこうなる。下線は重要なので私が意図的に入れました。 第二百八条の二 アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で四輪以上の自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者は十五年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は一年以上の有期懲役に処する。その進行を制御することが困難な高速度で、又はその進行を制御する技能を有しないで四輪以上の自動車を走行させ、よって人を死傷させた者も、同様とする。 2 人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で四輪以上の自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、前項と同様とする。赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で四輪以上の自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、同様とする。 つまり、4輪以上の自動車で上に掲げたような運転をして事故になったら重く処罰するよ、と言うことである。 危険運転致死傷罪は、これまでの業務上過失致死傷罪では軽いということで設けられているが、実際には傷害致死に類似した罪であると考えられている。他人に暴行を加えるのが行き過ぎて死亡したら、たとえ死なせるつもりはなかった=故意がなかったとしても重く処罰するのと同様、危険運転という危ない行為を自らしでかして事故になったらたとえ故意がなかったとしても重く処罰するということだ。だから危険運転致死傷罪の条文は傷害致死罪の後にもうけられている。 さて、この後はどんな場合に危険運転致死傷罪に「ならないか」を羅列してみよう。 危険運転致死傷罪の要件は、4輪以上と書いてある。つまり、自転車はもちろん、原付や大型二輪などを飲酒の上で暴走させても、危険運転致死傷罪にはならない。 さらに厄介なのはこの先だ。 アルコールまたは薬物の影響により正常な運転が困難な状態で…とあるが、実はこの場合自分に正常な運転が困難であると認識していなければならない。つまり、単に飲酒運転しているというだけではだめ。ハンドルがうまく持てないとか、視覚が回る、反応が遅いというような状況を認識することが必要だとされる。 進行を制御する技能を有しないで、というのは「無免許で」ということではない。俺は免許はないが運転できると思っていてそれなりに運転できていれば、、まずは危険運転致死傷罪にはならない。遺族の会は無免許が含まれないことに抗議しているが、形式的無免許というような姿勢云々が問題ではなく実質的に危険であるかという点から処罰するのだから、無免許を危険運転に含めるという発想より、無免許の処罰を重くするという発想が普通のはずである。 通行を妨害する目的で直前に進入し・・・というところは、「通行を妨害する目的」がなければいけない。通行を妨害するつもりはなかった、急いでいたんだというのでは危険運転致死傷罪にならないのである。 信号無視については「赤色信号またはこれに相当する信号を『殊更』に無視し」と書いてある。つまり、赤信号でも従う意思自体がないとか、危ないと知りつつあえて進むとか、そういう状況があった場合に成立するということである。信号の代わり際に行っちゃえ!!と言うのは入っていない。 条文に書いてない危険運転として、脇見運転や居眠り運転というのも相当に危ないのだが、これらは意図的に危険運転致死傷罪から除外されている。先日埼玉県川口市でカセットテープを代えようと脇見して児童の列につっこんだ事件があったが、脇見に危険運転致死傷罪が使えないのでだめなのである。 また、酒に酔って、無免許で、信号もことさらではないが無視したので合わせ技で危険運転致死傷というのもない。どれか一つのハードルを越えることが要求されるのだ。 何ともがんじがらめな構成要件である。目的があったとか言い逃れが割とたやすいことまで立証しなければならない。 今回だって、検察官が酒気帯び運転で起訴していたことにも注意しなければいけない。酔って運転できないと言うような感じならより重い「酒酔い運転」で起訴するはずなのに、それができなかったから体内のアルコールに着目した「酒気帯び運転」で起訴したのだ。 もちろん、特に用もないのに赤信号を5個も10個も無視しておいて「ことさらやったのではない」とか、日本酒を1升ビン空にしておいて運転は大丈夫だと思っていたなんて言い訳を裁判所はまず認めてはくれないだろうが、実務家があまりこれを使おうとしないのもむべなるかなと言う感じがする。 これだけのことを知っていれば、裁判官を口汚く罵り倒すなんて本来恥ずかしくて出来ないはずなのだ。 そもそも、この問題は現代社会の矛盾を衝いていると言っても過言ではあるまい。 ある程度運転をしていておよそノーミスなんて、できるわけがない。ゴールド免許運転者だって、ミスをしていても車や歩行者がいなくて助かったと言うことを無意識でも経験していると思われる。 車は時速10キロくらいでのたのた走らせるわけにいかない。 なのに、今の日本は自家用車の所持を認め、大した技能も要求されているとは思えない教習を受けて免許を取れば公道の運転を認めている。運転を認めるなら、本来は程度問題とはいえミスも容認しなければならないはずなのだ。たとえそれが不運な結果につながったとしてもである。 にもかかわらず、裁判所は業務上過失致死ということでの処罰を認めている。ある程度行き過ぎた過失は処罰するというのは、やはり必要であろうし、程度がひどくなければ検察官だって不起訴で済ませてくれるし、処罰もそこまでではないという形で、一見矛盾した現象を運用で回避してきた。 ところが、処罰の要請が高まりすぎて危険運転致死傷罪を作ったが、罰はかなり重い。皆危険運転にするのでは処罰にメリハリもつかない。だからここまで厳格にして、明らかにひどいようなものだけを危険運転とするようにしたのである。 わき見運転や居眠り運転がはずされたのも、わき見はどうしてもやりがちだし、居眠り運転は過労によって発生することが少なくなく、実際に責任があるのは運転手より運転手をこき使う会社かもしれないのに危険運転処罰はあんまりだ、ということから、はずされている。 救急車とか、そういう緊急車両の類ならいざ知らず、一般的に運転は認めつつ、事故は被害者がかわいそうだからどこまでも締め上げてやるなんて、こんなご都合主義な話はない。 運転をするらしい遺族の方が「命を奪っておいてこれだけか」と言っているのを見たことがあるけど、それなら運転するなと言うのだ。裁判で執行猶予判決を勝ち取った弁護士が真っ先に被告人に教えることは「絶対に車の運転はするな」である。 運転はそれ自体もう危ない行為だと言っても過言ではない。その点を考えもしないで、ただ事故ばかりを祭り上げて総攻撃にかけ、立法の不備に苦しむ裁判官までも罵り倒すのは、やはり「情緒的日本社会」の特有の現象なのであろうか?