第5回・9.11の悪霊たち
あんまりいい天気なので、寝不足の頭のまま散歩した。たった30時間程度なのにひどく久しぶりに外出したような感じ。日のひかりがしょぼい目を刺す。夏ほどではないがまだ飛びこんでくる光の粒子は活発である。山道を上下しながら連中のことをすこしかんがえた。荒涼とした岩山と砂漠のなかを、彼らはどのように生きていっているのかなどと。それらの地はいずれも辺境の戦場であろうか。洞窟のなかの宿営地や陽の落ちたあとの満天の星の下で、寒冷地用のロシア製弾丸をこめたカラシニコフをかたわらにいったいどのような夢を抱いて眠るのかなどと。さてつづきです。ウサマ・ビン・ラディンは1980年初めからアフガン戦争に参戦し、頭角を現す。やがてアルカイーダを自ら組織しその豊富な資金力で数万のムジャヒディンのなかでも群を抜く存在へと成長していった。しかし、世界を不安に陥れる悪魔的なテロリストの象徴となったのは、あの9.11以降のことである。『ワシントンD.C.』『マイラ』(邦訳いずれもハヤカワ文庫所収)などの作品で知られる作家のゴア・ヴィダルは、ウサマ・ビン・ラディンという存在こそ米国の「テロとの戦争」のシンボル、アンチヒーローとなるべく、米国政府によって熟慮の上で「審美的理由から」慎重に選ばれたのだと英「オブザーバー」紙(2002年10/27付け)への寄稿のなかで暴露している。それによれば、ウサマをテロのシンボル化する計画を立てたのは2000年12月20日、クリントン政権内部のタカ派チームだったという。「かれらはアルカイーダ打倒を米海軍駆逐艦コール号襲撃事件の報復にしようとかんがえた。クリントンの国家安全保障担当補佐官サンディー・バーガーは、その計画を内密に後継者に説明したが、後継者ライスはシャブロン・テキサコ社重役としての役割をひきづってパキスタンとウズベキスタンに関する特別任務に追われ、前任者からのこの申し渡しを無視した」(同上オブザーバー紙2002年の寄稿より)。世界中のテレビにあの老獪で世捨て人のような特長ある風貌が流されるようになるのは、けして偶然ではなかったのだ。オブザーバー紙2002年の寄稿http://observer.guardian.co.uk/international/story/0,6903,819931,00.html