気付きのキャッチボール
もともと幼児洗礼を受けた私は教会に行くことは、学校に行くこととなんら変わらない日常の中の普通のこと。そして昔はあまり教会の中で聖書は読まなかった! そういうと誤解がされるけれど、聖書とは勝手に解釈してはいけないから、神父さんと一緒に読まないといけないものと言う考えが主流になっていた時代に育った私です。だから何十年ものあいだ信者でありながら、聖書というものはなんだか特別の領域のもので堅苦しく、自分とは距離のあるものに感じていました。 ところが去年から始まった「聖書深読会」というものに出会って、そのイメージはがらりと変わりました。実に面白い味わえることばが凝縮している本です。そしてこう思わなくっちゃ!なんてことは少しもない。自分というものが今まで経験したことや今感じていることと響かせて読んだらいいんだ、ということでした。一回目さらりと読んだら、「これなんのこっちゃ!!」と思うことがいっぱいある。ここで諦めず何十分間、この「なんだ?」と向き合ってみる。心で見つめてみる。一人ならそんなことまずできないけれど、何人かで集っていればそれができてしまうから、これまたすごい。すると何かが生まれてくる。ひょこ、ひょこっと思わぬところから気付きを見つけること出来る。それが実に楽しい。 聖書深読会はその「なんだ?」をいっぱい語れる場。正解も研究の成果も何もない。互いに気付いたことを語り合って、キャッチボールをし、たくさんのものを心の中にいただくことができる。 それは今日やった「ミニ真名」も全く同じ。聖書という題材は使わないけれど、私たち自身の毎日が題材となって、同じように気付きのキャッチボールをすることができる。この気づきのキャッチボールは、今私が最も大切にしたい日常の一コマなんです。久しぶりに聖書の世界にご招待!? と思ったけれど今日はひとまずここで修めます。