シンクロ☆アンサー
ゆうべ『私に何ができるのか』と書いたのですが、今日見たら、『伊勢ー白山 道』さんは私より少し前の時間に、「自分自身との真剣勝負なのです」という文章を書いてくださっていて、シンクロ☆アンサーW(°o°)w と思いました。セヴァン・スズキさんのメッセージの中のここのところを連想しました。↓↓↓ 2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました。ひとりの子どもが私たちにこう言いました。 「ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない子すべてに、食べものと、着るものと、薬と、住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに。」 家もなにもないひとりの子どもが、わかちあうことを考えているというのに、すべてを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、いったいどうしてなんでしょう。私は、この写真を視まして、非常な感銘を受けました。この老人の意識に神の光を感じます。もし日本人ならば、泣いている少女に御金を渡すことは出来るかも知れません。それが出来るのもまた、情け深い良い人間です。しかし、自分が素足に成ることを覚悟で、少女にサンダルを差し出す人間はなかなかいません。更によく見ますと、老人も同じく貧乏かも知れません。この写真からの学びは、(1) 御金を持つ人が大金を寄付することと、とても貧乏な方がスリッパを差し出すことは、霊的には同じだと言うことです。コノ世の物資的な影響力は、大きく違ってもです。両方に、それぞれの尊い価値が在ります。人間は、自分は他人を助けることも出来ないし、そんな立場・状況でも無いと最初から諦めているかも知れません。しかし、そうではなくて、(2) “自分の環境の中から”他への「思いやり」をコノ世で発露させることが大切なのです。色んな意味で他人と比較した価値観を人間は持ちますが、そうではなくて非常に些細なことでも良いのです。自分が出来ることの中から、どれだけ思いやりを他へ実行するかが大切です。(3) 自分の良心(内在神)との1対1の真剣勝負を、私たちは毎日しているのです。自分が他人にしたことは、善悪ともに自分自身にしていることに成るのが霊的な真理です。どんな事も、自分へ帰ります。このことに、人間は気付かなければ生けません。人間が一番に畏れるべきは、自分自身の良心(内在神)なのが本当です。天使とか神様とか、見たことはないしよくわからないけれど、多分絶対に居てね、♪だぁれもいないと思っていても♪♪どこかで・どこかで・エンゼルは~♪♪いつでも・いつでも・な~がめぇてる~♪♪ちゃんと・ちゃんと・ちゃんと・ちゃんと・ちゃちゃ~ぁん~と~♪♪な~がめ・てる~~~♪♪♪(≧▽≦) by 森永製菓だと思うンですよね。だからこそ、こんなシンクロで応えてくれたりするンだと、私は思うンですよ。日本中を絶賛☆旅中の平さんのブログにも、先日こんな記事があって↓↓↓またしても涙出ました。国際美術館から鳴門駅までは、これまたヒッチハイクでした。今にも止まりそうな軽トラックでした。「今にも止まりそうですね。」と言ってみたら笑ってた。「まだ走るからね。」と言われた。仙台から来たのだと話すと、驚いた様子で地震の事を聞かれる。スコップ団のことを話してもいいんだけど黙っておじいちゃんの話しを聞いていたら感動した。おじいちゃんは、新しく車を買ったのだが昔の仕事仲間が仙台に住んでいたために、その車を差し上げたそう。それで、この止まりそうな軽に乗ってるそうだ。「何かの縁だから」と弁当をくれた。近くのスーパーで買ったものだから恥ずかしいんだけど、と続けるがモチロン遠慮をし一度は断る。若い人は遠慮してたら成長が止まるよ、と言われ頂いた。野菜炒めと春雨サラダ。「四人に一人が鳴門は60歳超えちゃってま~す!」とファンキーに話すおじいちゃんに、心から感謝したい。いつまでもお元気で。助かりました、ありがとうございました。「また来てね!」「はい、おじいさんも仙台にどうぞ。」「おじいさんって言うな!」「お兄さん?」「嫌味か!」「知らねぇよ。」あはははは(≧▽≦) 本当に感動します(ノ_・。)私という人間は、いっつもどこかしらから「我よし(自分さえ良けりゃいい)」が滲み出てて、「我よし臭」がプンプンしてて、隠しようがない(ノ_・。)情けない(ノ_・。)と、思うのですが、どうにかして思いやりを持ちたいと・・それを無意識に行動してしまえるような人間になりたいと・・思うダケはひたすら思っているのです。そういう人を見ては感動しまくりながら。自分が出来ることの中から、どれだけ思いやりを他へ実行するかが大切です。何が大切か、いつも教えていただいて感謝します。実行するかしないかは、いつも私に任されていて、そして♪いつでも・いつでも・な~がめぇ♪ られてるンだと思います。全ては私と、私の内なる神とのことであり、私と私の内なる神が、金輪際一心同体となって生きられるように、いつも意識していようと思います。