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テーマ:仕事しごとシゴト(23736)
カテゴリ:ことば
ずいぶん昔のことになりますが、ブラジルに住んでいたとき、ある会社の社員研修で日本語を教えていました。ボランティアで日本語を教えたことはありましたが、日本語の授業をしたのはこれが初めてでした。
採用が決まったとき、担当の役員(日系ブラジル人)に言われました。 「このコースは会社が負担するもので、社員は無料で参加します。参加者の中には、本当に日本語を勉強して、本社(日本)に研修に行きたいと思っている社員もいますが、参加すれば上司に認められるだろうというだけで、勉強する気持ちの少ない社員もいます。 「会社がこの日本語の授業を企画したのは、社員の意欲と能力を高めるためですので、定期的にテストを行って、やる気のない社員はどんどん辞めさせてください。」 文化サークルのようなお気楽な授業を想像していたわたしは、ここでまずショックを受けました。 初級クラスのテキストは「こんにちは。わたしはロベルトです。」というような、ごく普通の日本語のテキストでしたが、生徒たちの目的(つまり要求)ははっきりしていて、「日本人の上司、顧客ときちんと挨拶ができること」「日本人から電話がかかってきたとき、応対できること」でした。実際のビジネスは、日本人とブラジル人の間でも英語で進めるので、大事なのは潤滑油としての挨拶だったわけです。 上級クラスの生徒たちは、とにかく漢字を覚えたいと言って来ました。何よりも、名前を読めるようになりたいと。日本語の名前と漢字について説明すると(たとえば長谷川はハセガワだが、長=ハ 谷=セ ではないというようなこと)、あきれて「じゃあ、どうやって覚えればいいんだぁっ!」と叫んでいましたが、それでも漢字ドリルを使いながら、代表的な姓名をドンドン覚えていきました。 基本をマスターすると、実際の取引の場面を考えて、生徒たちは次から次へと質問をしてきました。 「○○というのはどう言うのですか?」 という質問もありましたが、 「○○と言いたいとき、コレで通じますか?変じゃないですか?」 と、具体的に自分で考えた日本語を出して質問します。 教えていて、「スゴイな」と感心することばかりでした。 言葉を学ぶ、「使うために」学ぶというのは、こういうことなんだな、と、駆け出し日本語教師だった私は、生徒たちに教えられ励まされることばかりの毎日でした。 日本の中学生には、「英語を話せるようになる」という目的意識が欠如しているんじゃないか。だったら、いくら会話重視の教科書を作っても意味が無いのではないか・・・そんなことを考えてしまいます。 最近の日本の学校英語は「ゆとり教育」だか「会話重視」だか、教科書の中身がとても軽くなって、おかげで、公立高校生の単語力など、驚くほど落ちています。 英語は読んで書く、会話はあとでいい・・・ということを昨日の日記に書きました。 日本の中学生や高校生が目的意識を持てるとすれば、「インターネットで欲しい情報を手に入れる」「インターネットで欲しい物をアメリカから買う」「オンラインゲームや趣味のチャットで外国人と会話する」ということのほうが、よっぽど現実的なんじゃないでしょうか。 そのあたり、教科書の編修にも、授業にも、取り入れてほしいなと思いますね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年09月04日 11時11分12秒
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