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カテゴリ:こころ
勉強(人生)ってのは、自分の持ってるバケツにひたすら水を汲み続けてるようなものなのかな、と思う。

バケツには穴が開いていて、汲んでも汲んでも水がもれてしまって、ちっとも水が増えていないように思える。

自分の持っているバケツの大きさは、はっきりとは見えない。他人が持っているバケツの大きさもはっきりとは見えない。

でも、迷いもなくせっせと水を汲み続けている人は、自分のバケツの大きさを知っていて、それに向かって着々と進んでいるように見える。

高校3年生という、人生の転機(にたぶんなるであろう時期)にいる生徒たちを見ていると、それぞれが持っているバケツの大きさがなんとなく見える。

大きいバケツを持って、ひたすら水を汲んでいる生徒には、たったひとつのことだけしてあげればいい。水が増えない、減っているのではないか、そういう不安で手が止まったときに、目には見えなくとも水は増え続けているよ、心配しないで進みなさいと、一言告げるだけでいい。あとは本人の力で進んでいける。

こういう生徒を見ると、頼もしいと思う。きっとお父さんやお母さん、あるいはとてもいい先生に恵まれて、大変だけれど、大きなバケツを満たそうという夢を持ち、その方法も自分でつかんで、きっとそれを実現できると思う。

大きいバケツを持っているのだけれど、その大きさがよくわからなくて、何もしないでボーッとしている生徒もいる。こういう生徒には、水を汲んで見せてあげなければいけない。そして、そのバケツの大きさを理解できるように、大きいバケツを満たした先人たちの話をしてあげようと思う。隣に並んで水を汲みながら、水をひどくこぼしているときには汲み方を教え、遠い道のりだけれど、いつかはバケツを満たすことができると励ましてあげようと思う。

こういう生徒を見ると、教師としてやりがいを感じる。水の汲み方を教えるのが教師の仕事だから。教師にできるのは、それだけかもしれないから。

小さいバケツを持って、ちょっとだけ水を汲んで遊んでいる生徒もいる。もっと大きなバケツを持ってくれば、どんどん水を入れられるのに、その力もあるのに、そのことに気づかない。大きなバケツを見たことがないだけなのか、バケツの大きさは生まれつきのものだと思っているのか、お前は小さいバケツがせいぜいだと誰かに思い込まされているのか、それとも苦労するのはばかばかしいと怠け心に負けているだけか。そういう生徒には、なんとかして大きいバケツを持つこともできると知らせてあげたい。バケツが小さすぎたら、がんばりようがないのだから。

でも、こういう生徒を見ると、無力感を感じてしまう。こういう生徒はみな必ず「やればできるんだからがんばれ」と学校の先生には言われる。ところが家庭では、「やっぱりお前はダメだ」と言われているんじゃないのか。お父さんやお母さんに、もうちょっと子供を信じてあげて欲しいと思う。子供が何かしようとして輝いているときに、ほんのちょっとでいいから後押しして欲しいと思うのに、それを伝える術がわからない。

たまに、バケツを持つことを拒否する生徒がいる。予備校に通ってきて、授業を聞き、宿題をしても、それはただ水を道にばらまいているようなものだから、すぐに飽きてしまう。水を汲むフリをすることだけを覚えてしまった生徒たち。バケツの話をしても、ただ聞き流すだけだから、わたしにはどうしたらいいのかわからない。

こういう生徒を見ると、泣きたくなってしまう。わたしにできることは、何も無いような気がして、オロオロと見つめるだけ。水の汲み方を教えることはできても、バケツを用意してあげることはできないから、バケツを探しておいでと言うしかないのか。賢い生徒ならば、バケツを探すフリ、見つけたフリをするかもしれない。遅すぎるということは、人生には無いんだと、自分に言い聞かせるのだけれど、それじゃあ、1年前に、5年前に出会っていたら何かできたのかと、自分に問いかけてはうなだれてしまう。

わたしには無理なのかな・・・なにもできないのかな・・・
わたしのバケツは大きすぎるのかな、いや、小さすぎるのかな・・・
もっと水を汲めばいいのかな、汲み方が間違っているのかな・・・

ごめんなさい、結局、愚痴で終わってしまって。
最近、ちょっと沈んでます。

======<追記>=======

こらっ! 
入試の山場を目前に控えて、グチってる場合じゃないでしょ>自分

できることを、ひたすらやるっ!
受験生のほうが、もっともっと不安なんだから。





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最終更新日  2006年10月02日 15時47分22秒
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