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テーマ:英語のお勉強日記(8041)
カテゴリ:ことば
小さい頃に家の中にあった物、毎日目にしていた物というのは、
その人間の美意識とか価値観の基となって、ある意味、一生を 決めるものだと思います。 玄関に飾ってあった七宝焼きの壷とか・・・客間に掛けてあった 写実的な海の絵とか・・・床の間に掛けたまま一年中同じだった 掛け軸(笑)とか・・・ ときには「美しいもの」の基準となって身体に染みこみ(七宝焼きが 好きなのは、たぶんあの壷のせい)、ときには反対に「嫌いなもの」の 代表になり(海の絵は苦手・・・)、気が付くと、好き嫌いに関係なく、 良く似た字を書いていたりする、なんてことはありませんか? もうひとつ、一生ついてまわるのは、親の本棚にあった本。 小学生になる前に、難しそうな父の本を引っ張り出して遊んでいたのは、 「学問の匂い」みたいなものにドキドキしていたのでしょうか。 中でも好きだったのは、父の本棚にあった英語の辞書でした。 コンパクトな英英辞典で、ところどころ日本語訳が書いてありました。 外には、緑色の布がパッチワークのように何枚か貼ってあり、表と裏の 表紙裏の角には、補強のために三角の和紙が貼り付けてありました。 裏表紙の内側には父のサインがあって、なんと書いてあるのか判らない のが「かっこいい」と思っていました。 独りのとき、その英英辞典をこっそり持ち出しては、読めもしないのに (日本語の部分も難しい漢字ばかりで読めなかった)、 「おべんきょう・・・おべんきょう・・・」とつぶやきながら、 ぱらぱらめくっていたのを思い出します。 中1になる前に初めて自分の英和辞典を買ったとき、布と紙でていねいに 補強したのは、辞書というのはそうやって使うものと思っていたからです。 もちろん、裏表紙の内側にわけのわからないサインをしました(笑) 英語の辞書というのは、英語ばっかりで「解らないもの」だと信じて いた私は、この英和辞典を開いたとき、 「なにこれ?日本語で全部書いてあるんだ~! 先生に聞かなくても、自分で調べられるんだっ、 なぁんだ、英語の勉強なんてチョロイじゃん」 と、他愛も無く喜んだのでした。 チョロイというのは誤解だったにせよ、とにかく辞書が大好きな中学生は このようにして誕生したのです。 きのうの日記の百科事典の広告を見たとき、もしあれが父の本棚にあったら、 一文字も読めなくても、きっと毎日見ていただろうな、と思ったのです。 子供に何かを与えるというのは、何もプレゼントとして渡してあげるだけじゃ ないと思うのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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