シド・ビシャス最期の17時間
帰宅して日ごろ滅多に見ることのないチャンネルをたまたま点けて、ブラウン管に映った映像にわが目を疑った。ステージ上で鼻血を流しながら上半身裸でベースを弾くシド・ヴィシャスの姿である。知らない人のためにカンタンに説明すると、この男はセックス・ピストルズのベーシストで、四半世紀も前(!)にドラッグ・オーバードーズで20歳やそこらでくたばった「パンクのアイコン」である。詳細を知りたい人はウィキペディアへのリンクを貼ったので見ていただきたい。どう見ても音楽番組ではない。しばらく見ていると、どうやらシド・ヴィシャスの最期の20時間だか24時間だかを追ったドキュメンタリーらしい。あいにくオイラが帰宅したときは9時を5-6分まわっていたので、TVを点けた時はすでにシドが留置所から出る「最期の17時間」になっていた。…面倒臭いので、先にこの日記の要点を言ってしまおう。この番組を最後まで見て何を驚いたかと言って、シド・ヴィシャスのヘロイン・オーバードーズは自殺でも事故でもなく、他殺だった…という新説である。いや、厳密にはこれは“説”ではなく、最近ようやく時効になって明らかにされた“事実”なのである。シド・ヴィシャスがパンクのアイコンとしてその名を語り継がれている理由の1つは、彼がパンクのご本家のメンバーとしてのたった1年やそこらの間にやりたい放題をしまくった末、20歳やそこらで「ドラッグ・オーバードーズ」という自殺とも事故死とも知れないロケンロ~ルな死に方でくたばっているところにある。仮に彼が生きながらえてちょうどジョン・ライドンのようにその後はまったく鳴かず飛ばずのただの無能なオヤジになっていたら、「パンクのアイコン」にはなりえなかった。…そのシドの死因が他殺だったというのだ。ちなみにオイラは洋楽を聴くようになったキッカケはたぶんセックス・ピストルズだった。ピストルズのコピー・バンドを始めた中学時代の友人にそのアルバムをカセットテープにダビングしてもらったのがパンクひいてはオルタナティブを聴くようになった初めの一歩であった。…まあ、そんなことはとりあえずどうでもよい。何を言いたいのかというと、オイラは「まあ、ピストルズのことなら何でも訊いてくれや。」…というくらい詳しいということをあらかじめ断っておきたい、ということである。オイラがTVを点けた時にはすでに「最期の17時間」になっていたと言ったが、それまでの経緯は番組を見なくとも知っている。シドはアメリカ人のグルーピーの1人であった恋人のナンシーをNYに滞在中ドラッグでラリラリになっていた時に刺殺し、逮捕されて留置所に入れられたものの、刺殺時は心神喪失状態だったとして釈放されたのである。シドの家が母子家庭で、母親がヒッピーだったことは有名である。何んせシドが子供の頃から家でマリファナだのヘロインまでやっていたというとんでもない不良ママだったのである。しかも、この母子は母ひとり子ひとりの環境でまるで「友達同士」シドが有名になってからは「ラリリ仲間」のような関係にあったのである。釈放されたシドを外で待っていたのはこの母親のアンと、バンド・カメラマンの友人であった。ついでに言っておくと、この母親はシドが死んでから17年後の1996年にやはりドラッグ・オーバードーズで死んでいるそうだ。いい年こいてなんだかなあ(笑)。…面倒臭いので、「シドを殺したのが誰か」を先に言ってしまおう。母親のアンである。ヘロイン中毒のシドは、釈放されてすぐママにヘロインをねだり、ママの宿泊先のホテルでヘロインを打つ。…しかし、そのヘロは安物で効きが悪かったので、ママから金を受け取ったそのカメラマンの友人が“上物”を調達することになったのである。その晩、NY在住のグルーピーのアパートで「シド釈放歓迎パーティ」が開かれた。シドはそのアパートで、さっそく前述のカメラマンが持って現れた“上物”を打ち、(留置所ではしばらくの間ドラッグから隔離されていたために)久々に純度の高いヘロが体内に入ったショックで一旦死にかける。その修羅場をひととおり見ていて興の醒めた友人たちは、パーティを中座してアパートを去る。残されたのはシドとそのグルーピー娘とシドのママ、そしてグルーピー娘が預かった残ったヘロインの包みである。その後、そのグルーピー娘とベッドに入ったシドは、娘にしつこくヘロをねだるが、ほんの少し前にシドが死にかけた様子を見ていた彼女は決してヘロを手渡さない。それでもしつこくねだるシドに音を上げた娘は、隣の部屋に寝ていたシドのママに助けを求め、ヘロの包みを手渡す。…すると、そのヘロインの包みと注射器を手にしたシドのママは息子がひとりで横たわる寝室へと入り、致死量を承知の上で残るヘロインを溶かし息子の腕に注射したのであった。シドが死んだのはそれから間もなくである。…これは、アンが調書を取られる前後に弁護士に告白した記録に基づく話であり、検死官による検死結果もこのストーリーを裏付けている。この弁護士はアンが死に時効が成立したさいきんになってこの事実を開示したため、このようなドキュメンタリーが製作されることになったのである。このドキュメンタリーによると、アンは自分の息子がいずれは殺人罪で何10年という懲役を科されるであろうことを難儀に想い、あえて我が息子をあの世に送ったという説明をしていた。一方でオイラの勝手な想像では、自分の才能のなさをいちばん熟知していたのはシド自身であり、ピストルズを解散した後の自分に未来なんてないことを判っていたからこそ、何度死にかけてもドラッグを打ち続けたのだと思う。(いまやコメディアン扱いのジョン・ライドンも、ピストルズの末期には『ゴッド・セイヴ・ザ・クィーン』のサビで「♪ No Future, no future for you…」を「♪ No Future, no future for me…」に替えて唄ってたよなそういえば。)…いわば、アンはシドの気持ちを汲み取って、暗黙の合意の上で息子を“安楽死”させてあげたのだというのが、この番組を見たオイラの結論である。...いずれにしても、シドはママのおかげで「伝説」になることができた、と言えよう。しかしなあ、「パンクのアイコン」の最期がじつは「愛するママに注射してもらって」死んだ…というのもちょっと悲しいお話であった。でもそれが事実なのね世の中。