カテゴリ未分類215
マラソン/山/トライアスロン227
時事90
思い出話88
本・音楽・映画等124
今日の出来事230
翻訳・通訳・英語43
たわごと・仕事・愚痴200
アメリカ・カナダ119
人生・よのなか76
性・下ネタ77
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週末にヒマに任せてこのHPの模様替えをしたのだが、こうして時間をおいてアクセスしてみると、我ながらいいカンジじゃん。イヌの絵も、文字通り自画自賛だが(笑)なかなかイイよなあ。オイラは自分自身の描いた絵を分析とかするのは好きではないが、オイラの絵に登場する「犬」はどうやら「自分自身」のようだ。だって、オイラはときどき自分自身に(なにか失敗とかをして)悪態をつくときに決まって口について出るのはなぜか「このイヌめ…!」「オマエはイヌだ。」といったセリフだし。きっとオイラの意識下ではセルフイメージは情けなくて従順でおマヌケな犬なんだろう。この絵はもう13-4年前の学生時代にアクリル絵具をつかって描いたB3サイズくらいの手の上に乗っかるような小品だが、とくにスケッチとかサムネールも作らずにまるで自動書記のようにひと晩で一気に描いた記憶がある。とくにコンテンツを意識せずに思うがままに描いたという意味では、たぶんオイラの無意識がかなり直接的に反映されているに違いない。そういえばこの絵を見た学友が、イヌが吠え掛かっているように見える左端の木がイン毛に覆われた女性器のように見えると言っていたのを思い出すが、当時のアートスクールでのオイラの留学生生活を思い起こすとたしかにこれは当時の欲求を具象化にしたものなのかも知れない。右上のカラスはきっと死の象徴で、じゃあ地平線に2つ並んだエントツはプラトニックな同性愛傾向の象徴か(笑)。それまでの死への欲動やプラトニックな同性愛傾向に背を向けて異性愛一筋なんだオイラは!…と吠えている絵か、これは。話しがちょっと逸れるが、オイラは自分の書く絵とか文はあとで見返しても我ながら「なかなかいいなあ」と思うことがあっても、恥ずかしく思うことってまずないなあ。自分の外見にホレボレするようなこともまずないけど(笑)、自分が作った文とか絵とかオブジェとか、自分が演奏した音楽を聴いて感動することはよくある(笑)。これって一種のナルシシズムなんだろう。…というか、自分で作って自分で観賞して満足できるなんて、究極のオナニズムだよなあ。フロイト的に言えば、便器にコンモリと溜まった自分の排泄したクソを見て満足するとか感動するのと同じ構図か。あるいは詰まった鼻をかんだ後で、ティッシュを広げて大量の青っ洟が付着しているのをしげしげと眺めて満足したり感動するのとも同じ延長線上にあると言えましょう。皆さんもよくやりますよね、そんなこと。(画像自粛)
2006.01.16
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(おととい&昨日の日記からの続き)アタシ、とっても見たいんです、アレが。アレを心ゆくまで眺めて堪能したいんです。アレというのは、…オーロラのこと。オーロラを見るのがアタシの夢。…“夢”というのはちょっと違うかな。“夢”なんて言葉は違和感があるかも。だって、“夢”というのは「ほんとうは実現する気がない、口先ばっかりで、いつかは実現するようなツモリでいるけれども、実際には手付かずで死ぬまで大事にとっておく、“未使用の宝物”」のことだし。アタシにとってオーロラはそんなものじゃない。オーロラは私にとっては“夢”ではなくてひとつの“目標”、“ゴール”のようなもの。実現に向けて着実に近づく“到達点”のつもり。…そう、それはアタシにとってかつては「スキューバダイビングのライセンス」だったり、「スカイダイビングの経験」だったり、「ピラミッドを見る」ことだったりした。そして、それらの目標はこれまで確実に実現してきたの。そういえば、アタシは20代のとき「死ぬまでにやること」のリストを作った。リストにはスキューバやスカイダイビング以外に、薬物とか、いろんな異郷の地の地名が並んでいた。それらを1個1個つぶしていった。そしたら、2000年の3月にオーストラリアでスキューバのライセンスを取った時点で、リストの項目を全てやりつくしちゃった(笑)。「オーロラ」はその後で思いついたリストの追加項目(笑)。だから「死ぬまでにはきっと…」というほど大袈裟なものじゃないの。...でも、アタシ、決めました。来週末から1週間、休暇をとってオーロラを見に行きます!昨夜はインターネットを検索して、オーロラ観賞の候補地を3つに絞ったの。1)カナダのイエローナイフ。2)アラスカのフェアバンクス。3)フィンランドのロバなんとか。1)はカナダはバンクーバ在住の ふぐ太郎さん のHPでむかし読んだことがあったんで、覚えてた。3)は おとといのトイモイさんの日記 で見て興味を持った。…で、2)は昨夜ネット検索ではじめて知った。どこもとっても魅力的なんだけど、1週間前に移動手段や宿泊先を手配することを考えると、3)はちょっと断念。1)と2)を比べると、フライトは2)の方が500ドルくらい安い。1)の方が、オーロラを見れる確率は高いみたいなんだけど…。結局は2)のアラスカになりそうかな。アレが思う存分堪能できるなんて、今からとっても楽しみ!…なーんていうのは半分ウソ。どうせまた、「ふーん、これがオーロラかあ。テレビで見たとおりィ~」なーんて言っている可能性、85%(笑)。
2005.12.20
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ゆうべ見たのは、どっかの建物の中で便意を催し男女共用の便所に入ったらそこはタメツボ式で、しかもクソが溢れて便器の前後左右にはみ出しているという夢で、しかしオイラはクソがガマンできず、しかたなくそのハミ出した他人のクソの上にまたがって、あっちにポトン、こっちにポトンとクソを選択的に投下することで、浮かした状態の自分のケツにクソが付着しないように工夫しながら排便する、というような夢であった。何を隠そう、公衆便所にカギの掛かっている深夜や早朝の時間帯にマラソンをするのを日課としているオイラにとってノグソは日常茶飯事の行為であり、こんな夢でも決して不快な悪夢の様相は呈していない。他人のクソが山のように溢れていても自分の身体に付着さえしなければ視覚的には許容できるものであり、「いかに他人のクソを回避しつつ自分の便意を満足させるか」という創意工夫こそがこの夢の焦点であったりする。…とは言え、こんな夢を見た日に気分がいいかというとさすがのワタシもそこまでの域には達しておらず、目覚めは決してよくない。会社に向かって自動車を走らせながらふと今朝見た夢を思い出し、「こんな日に事故って死ぬのはイヤだなあ…」とか思う。一方、さいきんは何故かそんなことはあまりないが、別に何かいいことがあったわけでもないのに妙に気分がよく、「こんな日なら死んでも後悔しないなあ」と思うことがある。ビル街を歩きながら空を見上げてとか、ほんとうに何気ない瞬間にそう感じるのである。ところで、中学生の頃、家族が寝入った頃を見計らって、夜中や早朝に自宅を抜け出し自転車でエロ本を買出しに行くことがあった。質の高いエロ本の自販機が並ぶ産業道路までは自転車で片道10分ほど掛かった。夜中や早朝は交通量こそ少ないものの、交通法規を無視したドライバーに出会う確率は非常に高い。オイラはいつも自転車を走らせながら「車にはねられた自分の死体が、エロ本をかたく手に握りしめた状態で発見されたらイヤだなあ」と思ったものだ。「エロ本事故死」のイメージは成績優秀な当時の自分のパブリック・イメージとはギャップが激しかったのでなおさらだ。オイラの住んでいるカナダの町は、殺人事件が数年に1件程度の頻度でしか発生しないくらい平和な場所なのだが、オイラの早朝or深夜のジョギングコースはデトロイト国境に近く、夜な夜な国境を越えて遊びに来るアメリカ人が多数散歩していたりする。実際、一昨年にこの町で数年ぶりに発生した殺人事件の犯人はアメリカ人だったそうだが、オイラがジョギングの途中で便意を催しデトロイト・リバーの川辺にかがんでノグソをしながら少しだけ想像してしまうのは、排便中に変質者に後頭部を鈍器のようなもので殴られ、自分の排泄したクソの上で血とクソにまみれながらケツを丸出しの状態で発見される自分の姿である。オイラはつねづねマラソンの最中に心臓マヒで死ねたら本望だと思っているが、そんなブザマな姿でだけは死にたくないなあ、と思っている。
2005.08.25
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Ima, shuccho-de Koln ni kiteiru.Jitsu-ni 8-nen buri no Europa de aru.Hajimete Euro no okane wo mita. Nakanaka kirei-jan!Soreni-shitemo, Deutsch no keyboard wa hairetsu ga kotonatteite, jitsu-ni tsukai-nikui.
2005.05.11
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2005.05.02
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ほんの2~3日前まで最高気温25~28℃の日が続いていたのに、今週末は雪だぜ、雪。昨日まで、2週間後のマラソン・レースは灼熱地獄になりかねないと思い、この週末は気温の上がりそうな昼過ぎを狙って「ペース走」でもやろうかと思っていたところが、目を覚ましたら外は吹雪だもんな。まったく五大湖周辺の天気は山の天気と変わりまへん。オイラ個人の好みでは、フルマラソンのベスト気温は13~15℃くらい。10℃ではちょっと寒過ぎるが、20℃では暑過ぎる。これがオイラの住んでいる場所の場合、マラソンレースの当日はちょっとした天気の気まぐれで氷点下になったり夏日になったりしかねないわけだ。できればその「ちょうど中間」くらいに収まってほしいところだが、春と秋が極端に短く気温が両極端なのがこの地域の特徴だから困る。ところでマラソン大会に出るのはちょうど半年ぶりである。前回は昨年11月、午前帰宅や徹夜の連続でまったく練習に時間や体力を割く余裕のない日々を過ごしていた日本出張の最中に無理してフルマラソンに出走し、ジョギングのつもりでトロトロと走っていたのに25キロ地点で早々と力尽きて歩き始め、30キロ地点で救護テントにリタイヤするもいつまでたっても到着しない収容車にもどかしくなり、テントを出て残りの12キロを歩きとトロトロ走りを交互に繰り返し5時間弱でゴールしたのが最後である。これまではフルマラソンを走る前の足慣らしにその何週間か前にハーフマラソンを走るのが常だったが、今回は訪れたこともない場所で開催される知人が誰ひとり参加していない大会に出るという条件に、どんな天候になるか当日になってみないと分からないという条件も加わり、出たとこ勝負になりそうな公算である。とくに体調が良いわけでもないが、これといって目立った故障もないのは幸いである。それに今回はiPodShuffleをウエスト・ポーチに入れて走る予定なので、レース中走るのに飽きたら好きな音楽を聴くことも出来る。今後も走り続けるモチベーションを維持するためにも、2週間後はガッカリしないタイムで完走したいものである。
2005.04.23
やっぱり女児だった。アメリカの大学時代の友人がついに父親になったという知らせをもらったのだが、生まれたのは女児であった。大学時代の同性の友人で子持ちになったヤツはこれで7人目なのだが、 いまのところ例外なく、生まれたのはみんな女児なのである。2x2x2x2x2x2x2=128分の1の確率である。「オイラの友人である」という以外で彼らの多くに共通する点は、みなアート関係者ということである。今回の友人はオイラのアートスクール時代の同級生で、今はアメリカのオモチャの会社でミニカーとかのデザインをやっている。過去の日記で、一見するとごくマレな偶然のようなこの現象の背後にある必然性を分析したことがあるが、オイラの友人に限らず、なんだかさいきん周りで生まれている子供は男児が少ないような気がするなあ。自然の力がこの世界から「ヒトのオス」の種を減らそうと、人類の気づかないところで画策しているんじゃないか。戦争するのも汚水を垂れ流すのもSUVを開発するのもみんなオトコだもんなー。話は変わるが、オイラの曾祖母には男兄弟がおらず、婿養子をもらって7人の子供を設けたが、生まれたのは(オイラの祖母を含む)6人姉妹で、最後にようやく男児が生まれた。彼は結婚して50代で死ぬ前に3人目でようやく男児が生まれたが、その唯一の男児が結婚して設けた子供3人がこれまたみな女児であった。オイラの祖母が産んだ(オイラの母を含む)3人の子供もみな女児であった。「雌腹(メバラ)の家系」というのは、あるものである。Y染色体が生き残れないような特殊な膣内環境が遺伝しているのか、あるいはご先祖さまの呪いなのか。
2005.04.15
ママへおげんきですか。寝たきりのおばあさまの調子はいかがですか。ボクは元気です。パパがいまでも郡山ハルジの日記を会社で印刷して家に持って帰っているのなら、元気であることはお察しのことと思います。さいきんの郡山ハルジの日記は、排泄物や性器の話からエスカレートして性行為や体液の分泌にまで話が及んでいるので、ママはパパが会社で印刷して持って帰る日記を読んで、38歳の海外在住で独身の息子にさぞかし幻滅されているかと思います。あるいはパパが気を利かせて、愛液や射精に関する日記のときは、日記を自宅に持ち帰っていないかも知れません。…というのも、ボクの知る限り、パパとママがウンコの話をすることがあったとしても、息子の書いた愛液や射精の日記をはさんで会話をしている様子など考えられないからです。そういえば、ボクがつづけて体液の分泌の話を日記に書いたところ、この楽天広場のリンク上では郡山ハルジのホームページが「この人の日記は更新されていません」扱いとなっていることを楽天日記仲間のpinkoysterさんが教えてくれました。(pinkoysterさんというのは、ホラ、ボクが去年日本に長期出張していたときにこの人と一緒に食事に行った話を日記に書いたら、ママが「くれぐれも良くしていただきなさい」と書いた手紙をよこしたのを覚えていると思いますが、そのときの女性です。でもママ、ボクの日記をよーく読んでいたら分かったと思うのですが、pinkoysterさんはイギリス人男性と結婚をされているんですよ。)…そうそう、で、「この人の日記は更新されていません」扱いというのは、pinkoysterさんの推察によると、ボクが日記で「排泄」やら「分泌」の話ばかりしているので「あんまり下品な日記ばかり書いていたらこのHPを閉鎖しますよ!」という警告なのではないか、ということでした。きっと、パパが郡山ハルジの日記を自宅に持って帰らない日があったとすれば、そのときは楽天広場の管理者も「こんな日記は楽天広場で公開すべきではない。これ以上エスカレートしたらホームページを閉鎖だ!」と判断しているんだろうなあ、と思いました。ボクは、この郡山ハルジのホームページを立ち上げてから、これまでの人生でパパやママに話すどころか、ボクがそんなことをやったり考えたりしているという想像さえ及ばないような、良識的な人間なら顔をしかめるような話までを(中学の同級性の名前を借りて)公開してきました。このホームページを開設してからの1年半やそこらで、それまでの30数年間では知ることができなかった息子の謎の部分を、このHPを通じて知っていただくことができ、ボクは満足しています。ママ、もしも「下品な話」のせいでこのホームページがとつぜん閉鎖されることになっても悲しまないでください。閉鎖されるのはボクの中学時代の同級生だった「郡山ハルジ」のホームページであって、「ボク」のホームページではないのですから。そんなことがあれば、こんどは郡山ハルジの代わりに「石森パンツ」とか「ジョンソンP川」とかいった、往年のイジメ相手の同級生のあだ名をハンドルネームにして、「ボッキー米谷」氏のように何度でも楽天広場に復活します。それでは、寝たきりのおばあ様と、姪と甥にもよろしく伝えて下さい。息子軽薄
2005.04.08
(原文を一部削除して掲載。誤字脱字は原文のまま)○○□□(←オイラの本名)さん。...ですよね。お久しぶりです。突然のメールで失礼します。××中学で、あなた及び<本当の郡山はるじ>と、同級生だった●●です。記憶力のいい貴方のことですから、きっと覚えておられますよね。いつも(...といっても1年くらい前からですが)この日記を楽しみに拝見しています。この日記のことは△△から教えてもらいました。<本物の郡山はるじ>のイジメで、貴方と中のよかった、あの△△です(笑)。彼は□□の大学に進学して現地でいったん就職しましいたが、いまは仙台に帰っていて、○○区役所で公務員をしています!(奥さんはやはり××中学の▲▲)○○さんが外国にいることは、このHPを教えてもらう前から親などから聞いて知っていました。...でも、アメリカだと聞いていました。カナダだったんですね。(出世ですねー。)地元で平凡な生活を送っている私には○○さんのHPの内容はとても刺激的です。(中略)それにしても、「郡山はるじ」だなんて、自称鬼畜の○○さんらしいですね(爆)。暴走族出身の■■が担任だった、1年3組時代の○○さんのはるじイジメは今でも忘れられません。「ファンター・メローン(*注1)」とか(…懐かしいでしょ?)、「ゴキブリ、ホイホイ!(*注2)」とか(爆)、特にすごかったのは例の「誓約書(*注3)」を書かせてはるじに「制裁」を加えた、あのイジメ、今でも忘れられません!いつか日記に「どんな弱い者のイジメにも全力を尽くす」とか書かれていましたが、あの頃○○さんは本当にそんな感じでしたよね(爆)。また<本物の郡山はるじ>のことについても、いつかこの日記で書いて下さい。あと、担任の■■から20発?(でしたっけ)殴られた「2階の窓から階段を使わず1階に下りた事件(*注4)」や、☆☆の「コンドームって何!?」事件(*注5)、ハゲの「ワンツー」のイジメの話(*注6)なんかもどうでしょう(爆)。これからも鬼畜な日記?を楽しみにしています。それではまたメールします。*注1: 新フレーバーの「ファンタ・レモン」が仙台地区で発売になり、「ファンタ・メロン」が発売されるまであと10年という、昭和50年頃、仙台市内でもまだ「ファンタ・レモン」が出回っていなかったかなりの僻地に住んでいた(本物の)郡山はるじに、オイラがわざと「ファンタレモンって、飲んだことあるか?」と聞くと意地になって「ある!」と主張するので、今度は(そんなフレーバーは存在しないのを承知で)「でも、“ファンタ・メロン”は、オマエの住んでいる地域じゃ、飲んだことないだろう?」と聞くと、それでも「ある!」と言い張るので、「じゃあ、TVのコマーシャルでやってるファンタメロンのCMソング、歌えるか?」と迫ったところ、窮地に陥った郡山はるじが必死になって、「♪ファンター、メローン!」と即興で作ったCMソングを歌い、皆からバカにされイジメられるハメになった事件。同様のイジメの手口を用いた事件としては、郡山はるじの貧困コンプレックスを突いて、「今日の朝食はなんだった?正直に言え。」と迫り、後で彼の弟に同じことを尋ねてウラをとり虚飾を暴き立てた「コンブのみそ汁」事件(*注7)等がある。*注2: 暴走族出身の気性の荒い教師として知られていた担任の■■が、上級生の間では「ゴキブリ」とあだ名されていることを兄から聞き出した(本当の)郡山はるじが、「■■先生のあだ名、知ってるか?兄貴が“ゴキブリ”だって言ってたぞ!」などと得意になって(まったく関心のない)クラスメートたちに言いふらした挙句、また即興で「♪セーンセのあーだなーは、ゴーキブリ、ホイホイ!」などというクダらない歌を作って皆をつかまえてはしつこく聞かせようとするので、ウンザリしたオイラが同級生たちとグルになり、「はるじの歌、しょーもないけど、ウケたフリして何回も歌わせようぜ!そして、得意になって9回くらい歌わせて、有頂天が最高潮に達した10回目くらいの時にオイラが合図を送ったら、次は一斉にウケるのをやめて、『何それ?』とか『しょーもねえ』とか我々の率直な感想をはるじに突きつけ、現実というものを解らせてやろう」と申し合わせ、休憩時間に教室の前にはるじを呼んで、「頼むから、“ゴキブリ、ホイホイ!”の歌、歌ってくれよ!」と懇願し、はるじが「…しょうがねえなあ。じゃあ、歌ってやるか!」…などと言いながら得意になって「■■先生のテーマ」を歌って聞かせ、我々が「ワはははははッ…!!」などとウソ笑いをしていることにこれ微塵の疑念も抱かず同じしょーもない歌を繰り返し熱唱し、やがて歌詞と同じくらいしょーもない「振り付け」までつけて歌う彼に、「頼む、あと一回でいいから、もう一回だけ、頼むから歌ってくれ」などと懇願する我々に、「いいか、これが最後だぞ!」などと得意満面になって歌い渋るふりなどする彼が、10回目の“ゴキブリ、ホイホイ!”をオーバー・ジェスチャーで熱唱し終わり、さも「どうだ、面白かっただろう!」といった表情で我々から絶賛の大爆笑を期待するものの、さっきとは打って変わってまったく反応せず「シラー」っとしている我々に対し、いまだに「なんだぁー、もうおかしくなくなったのかぁー。笑わないんだったら、もう、歌ってやらねえぞぉー」とか言っているはるじに対し、「何を言っているんだはるじ。オマエのしょうもない歌なんて、誰も最初からウケてなんていないんだっての。ホントにあんな歌をオレたちが面白がって聞いてると思っていたのか。相当な馬鹿じゃないのかおまえは。何が『もう、歌ってやらねえぞぉー』だ。誰もオマエの歌なんて歌って欲しいだなんて思ってないっての。」などと皆で罵倒しまくり、大人の社会というものを身をもって学習する機会を与えた、心温まる事件。*注3: あまりにも陰惨な事件なので自粛。*注4: 長くなるので自粛。*注5: HPが削除される危険があるので自粛。*注6: 人間性に疑念を持たれかねない事件なので自粛。*注7: やはり人間性に疑念を持たれそうな事件なので自粛。
2005.03.25
(原文をそのまま掲載。誤字脱字は原文のまま)○○(←本名)君.会社でいつも日記を見ているが、昨日の日記にはまったく失望した。「自慢の息子」だの「父の言うことを聞いて成長した」などと、よく言えたものだ。君は私の言うことを、そもそも、今まで聞いたことがあったか。高校1年の時、未成年の深夜徘徊と外泊を認められないことから自転車旅行を禁じたのに、深夜に“書置き”をして山形に旅立ったのは誰だ?大学は国公立か、私立なら早慶、さもなければ、地元の東北学院しか認めない、と言っていたにも関わらず、○○○大学を専願で受験したのは誰だ?何でも好きな科目を専攻していいから、教員免許だけは取るよう、約束したはずなのに、内緒で教職課程を放棄して休学したのは誰だ?語学留学など口実で、休学中は大学の後輩とバンドをやっていたことなど、この日記を読まなくとも、知っていたのだぞ。就職をせずに留学など絶対に、許さないと言ったのに、帰国しても家の敷居を二度と踏ませないと言ったのに、親戚から金を集めてアメリカに行ったのはどこの誰だ。いい加減26歳になっても、父親の収入を当てに“学生”をしていた男が、「自分が無理だったことを子供に希望を託した」などといった大口を、よく聞けたものだ.開いた口がふさがらないとは、このことではないか。実家では○○ちゃん(←注.祖母の愛称)が寝たきりで、看病で家族が大変な時に、長男の君が、カナダなどで好き勝手なことをして...郡山春治だかなんだか知らないが、このようなくだらない日記を書いているなど、まったく非常識もはなはだしい。そのような暇があったら、たまには母親に電話でもするのだぞ。(父)
2005.03.24
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宇宙と一体の気がしますよね、ドイモイさん。...ぐー。分身の術!世界は自分が思ったとおりになるというのは、この世の真理ですなあ。糞尿パピエ史子さん!Help me! Save him! 極めて今日的な違和感は喧騒の中を闊歩する意識を姑息で脆弱なメンタリティで繰り返すんだもんね。ふん。うーん、これはまさに…。でも、そういうもんですかね、パパ。そうだ、これでいいのだ!!
2005.03.04
黄 泉黎 明芳 春盛 り暮 れ極 楽
2005.03.02
昨晩、ひさびさに楽天日記を書き、いよいよ「登録する」をクリックしてアップしようとしたところ、「無効なHTMLタグです」とかいうエラーが出て、そのエラーが生じている行番号がいくつも表示された。ひさびさの日記だったし、それにこのところ1日のアクセス数がガタ落ちで昨年同期15%程度まで下落したこともあり、多少の気合を入れて文中にHTMLタグでリンクを貼ったのである。…ほら、ただでさえ聞いたこともないバンド名をいっぱい羅列されては、アクセスしてくれた人も読んでてもツマンなさそうだったし。ところが、ひさびさにタグなんて使ったもんで、どっかでタグの記号を間違ったらしい。オイラは赤字で表示された「○行目が無効なタグです」というその数字を信じて、上から根気よく行数を数えていったが、その行ではタグなど使っていなかった。さては、行間をも行数に入れているのかと思い、こんどは行間を1と数えて数えなおしてみた。…しかし、それでも該当の行にはタグは使用されていないではないか。時計はもう深夜1時を過ぎていた。今年からマンションの共同ジムが「終日オープン」になったため11時過ぎまでトレッドミルで走っていた結果、日記を書き終わった頃にはとっくに0時を回っていたのである。オイラは7時半には家を出ないと定刻に出勤できないリスクが高くなるので、1時には就寝したかった。日記のアップを断念してベッドに入るか。…しかし久々に気合を入れて夜中に書いた日記、アップしてからでないと快眠できそうにない。何度か行数を数え直してウンザリしたオイラは、その指定行の前後にある該当しそうなHTMLリンクをすべて外し、再度アップした。…それでもまったく同じ「○行目が無効なタグです」のエラーが出た。もうこのさい、HTMLのリンクをすべて外してしまおうか…。しかし、せっかくGoogleで検索して見つけた「バンドの紹介サイト」のリンクなしでは、こんな日記を読んで理解できるのは元バンド仲間の心斎橋ワタルか、せいぜい pinkoysterさん程度で、ほかのアクセス者には「なにコイツまたマイナーなバンドの名前を羅列して自己満足しとんねん」とか思われてしまい、さらにアクセスが遠のいてしまうではないか(笑)。時計は1時半を回っていたが、オイラは登録ページに書かれた日記文をコピーして、見やすいようにワード文書に貼り付け、1行目から根気よくエラーを探していった。苦手なんだよなあ、コンピュータ言語って。大学時代にも必修科目で統計プログラムを組む実習で、自分ではカンペキなプログラムを組んだつもりでも実際Runしてみると、走んないんだ、これが(笑)。あん時(80年代後半)はまだフォートラン言語だったっけ。緑色の「マトリックス」みたいなモニター画面でさ(笑)。…で、いくら目を皿のようにしてエラーを探してみても、ぜんぜん見つからないんだなあ、これが。結局、提出期限前にクラスメートに頼みこんでプログラムをコピーさせてもらったりしてさ。…で、ワードで確認してようやく見つかった。URLを引用したあとのクオーテーションマークの後の”>”のマークが抜けていた。「カッコ閉じ」の直後に凝って太字の<b>タグを使ったため、つい見逃していたらしい。これでようやく楽天にアップでき、満足してベッドに就けるというものだ。睡眠時間は5時間を切っちまうけど。時計を見たらもうすぐ午前2時。それでも、コンピュータをシャットダウンする前にいちおう確認のために自分のホームページを確認してみる。…翌日の日付でアップしちまってたよ。時差があるんだ、日本とは。
2005.02.01
新年から部屋が荒れている。年末にリビングルームを大掃除しようと思って家具を動かしているうちに、ふと模様替えがしたくなった。...で、家具をあちこち移動するために本棚をカラにしたりCDだの書類を整理しているうちに、収拾がつかなくなってしまったのである。さいわい、バスルーム→ベッドルーム→クロゼット→リビングの順番で掃除をしていたため、トイレ・寝室・クロゼットはキレイになっている。…が、リビングとキッチンが散らかし放題。いちばんはじめにリビングに着手していたら、きっと脱ぎ捨てたままの衣類やらホコリにまみれた書類や本やCDの山に埋もれた状態ですさんだ気分の新年を迎えているところであった。オイラの部屋は、きわめて殺風景である。リビングにある家具はソファ(いわゆる“フートン(futon)”ね)とコーヒーテーブルと小さな本棚だけ。電化製品はテレビとミニコンポとPCだけ(あとは滅多に弾かない楽器が少々)。カレンダーと時計を別にすればポスターも額も飾っていないので、四方の壁は白一色。「広くて快適な独房」があればきっとこんな感じか。ベッドルームはベッドとランプテーブルのみ。マトモな神経の持ち主だったら、何もなさ過ぎてさぞかし落ち着かないだろうなあ。模様替えでソファを壁際に寄せたら、もともと広いリビングがさらにだだっ広くなってしまった。だってリビングだけで日本のウィークリーマンションの1.5~2倍くらいあるのだ。リビングの半分がただのムダな空間になっていて、殺風景さを際立たせている。室内家庭菜園でも作ったろか…とか思うくらいの広さだ。小型のダイニングテーブルとか、ソファをもうひとつとか置いたらちょうどバランスがいいくらいのスペースなのだが、基本的に訪問者が皆無なオイラの部屋に複数のソファとかテーブルとかを置いても孤独感を強調するだけなんだよなあ。あるいは「ドラムセット」とか「ピアノ」があれば、このくらいのスペースにはピッタリだ。…でも、どちらも音量的に近所メイワクだからちょっとムリだろうなあ。イーゼルでも置いてまた絵でも描き始めるかなあ。何かトレーニング用のマシーンでも買って部屋で運動するというテもあるけど。…それよりもまず、この散らかりようを何とかしろってか。…なーどということを考えている比較的平和な年明け。
2005.01.05
年末にかけて周囲で立て続けに人が死んだ。日本の支店の営業社員1名(40代)、米国本社の営業社員1名(同じく40代)、あとはオイラの住むマンションの管理人のオッサン(60代)。みんなガンだったよ。何で読んだか忘れたが(『美術手帖』のコラムだったかなあ)、新聞の天気予報の欄と「おくやみ」の欄が同じページに載ってるのだが、お天気欄を見て日本列島が寒波に覆われたり天候の冴えない日が続く時期には、「おくやみ」欄もやたらとにぎやかになる、という話であった。雨の日にリューマチが痛むのと同じように、病人とか老人とかいった弱ってる人たちは、お天気の下り坂に身体の調子の下り坂がシンクロしやすかったりするんだろう。同じように、ガンだとか進行性の病を患っている人たちも、年の瀬が近づくと「年内にケリをつけよう」という意思が無意識に働くような気がする。「行く年 来る年」ならぬ「行く年 逝く人」である。あんまりゴロはよくないけど。その営業社員の人がガンだというのは、彼が死ぬ直前まで知らなかった。よく会社を長期で休むので「身体の弱い人だなあ」とは思っていたが、なんせ逝く直前まで出社していたのだ。会社で顔を合わすときは病的なまでに明るく笑顔を絶やさない人だったが、いま思えば、いつお迎えが来てもおかしくないことを自覚している人だけが見せることのできる、絶望を超えた究極の悟りの笑顔だったのだろう。アメリカの営業社員の方はそれとは対照的で、かなり落ち込んで死んでいったらしい。さすがアメリカの会社だと思うが、この人の病床における近況は同僚が社内メールで逐一周知していたのだが、このメールを読むと、日を追うごとに希望を失っていく彼の心情が手に取るようであった。その様子は、キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』に描かれている末期患者が死を迎える典型的なプロセスそのままであった。ウチの営業社員には珍しい親日的な紳士だったなあ。管理人のオッサンはもっぱら夜のシフトを担当していて、いつもペーパーバックを読んで時間を潰していた。オイラがいつも夜おそくトレッドミルのカギを借りに管理人室のドアを叩くと、せっかくの読書を邪魔されて鬱陶しい、というのをあからさまに顔に出すものだった。ジムを締める時間が近づくと、わざわざジムまで上がってきて「そろそろいい加減にしろ。」とかいって、カギを取り返しに来たことも何度かあったなあ。このオッサンはヘビースモーカーだったし、オイラが毎日のように1時間以上もトレッドミルの上を走っているのが彼の不健康な信条を愚弄しているようにでも思えたのかも知れない。死因はやっぱり肺ガンだったよ。年をとると、自分だって着実に「ゴール」に近づいているわけだし、オイラより先にスタートを切った周りの人が先に「ゴール」したからといって、大した感慨も湧かないものだ。“才能”のある人は、オイラよりずっと後にスタートしたのに、ふつうの人がようやく折り返し地点に到達する頃には「お先にさようなら」してたりするし、中には「途中棄権」して収容車に乗って別ルートでお先にゴールする人もいる。適度に満足(あるいは納得)していれば「お先にさようなら」も「途中棄権」もOKだろう。話はズレるが、「スマトラ沖地震」ってのも、世界的規模の「天災の一年」にトドメを指すようなタイミングだよなあ。とりあえず先に逝った人たちに黙祷&合掌。
2004.12.27
クリスマスを最後に祝ってから15年近く経つ。最後のクリスマスの記憶は、アメリカの大学に入学して最初のクリスマス休みに、どっかのキリスト教会が主催する留学生のためのホームステイ・プログラムに参加していていて、クリスマス当日の夜は教会で過ごしたはずだ。当時のオイラは無神論者であったが、プログラム主催のアメリカ人に宗教を訊かれたときに「無神論者(atheist)」と応えたときの反応があまりにも芳しくなかったので(笑)、その後は同じ質問をされたら「特に宗教的な信仰はない(have no religious belief)」などと応えたものだ。やっぱり日本人だと「アイアム・ブッディスト。」とか応えると、だいたいみんな安心してくれるものだが、「無神論者」だというのは「アンチ・キリスト」を自称するのの次くらいにクリスチャンには嫌がられるようだ。その宗教の信仰の対象の誕生祝いの最中に、多数の熱心な信者に囲まれるというのは、自分が間違って敵陣に紛れ込んでいることにふと気づいた一兵卒の気分だ。ましてや賛美歌のコーラスがこだまする教会の中にいるのは、まるで緑が生い繁り鳥がさえずる野山にとつぜん放り出されたパンク・ロッカーのような気分である。その宗教が何であれ、異教徒の熱心な祈りのさなかにいるのはすごーく居心地が悪いものではあるが。異教徒といえば、1999年のクリスマス、オイラはトルコの首都イスタンブールに滞在していた。トルコはいうまでもなくイスラム国家であるが、なぜかクリスマスの最中のイスタンブールはえらい静かであった。その日の夕方、空腹を催したオイラは、地元の人たちがいっぱい入っているレストランに入ってメシを喰い始めた。…すると、ほかの席に座る客たちから刺さるような非難の視線を感じた。見回すと、オイラ以外の客は誰も何も食べていないのだった。…それから約5分後くらいに、街角のスピーカーからコーランの祈りが流れた。直後、店内の客たちはいっせいにメシに喰らいつき始めた。…その時ようやく気づいた。その日はラマダンの最中であり、オイラが食事を始めたのは日没の直前だったのである。気まずいクリスマスの食事の記憶と言えば、短期語学留学のためイギリスでホームステイしていた1988年。その家庭へのホームステイ期限が12月24日だったので、オイラは語学学校が再開するまでヨーロッパを旅行しようと思って荷物をまとめていたが、24日の当日、その家のオバサンに「クリスマスを一人で過ごすのはよくない。クリスマスが終わるまで家に居なさい。どうせ今日明日は交通機関だってほとんどストップしているはずだ。」と言われたので、言われるままに留まることにした。その日の夕方、すでにひとり立ちしたその家の息子がガールフレンドを連れて帰省し、一緒にクリスマスディナーを囲んだ。オイラは彼らのネイティブ・スピードの会話について行けないし、オバサンの作る料理は世界一マズかったので、ディナーに同席するのは拷問のようであった。たまたまオイラの隣に座っていた息子のガールフレンドはとてもおとなしい人で、お互いにひと言も会話を交わさずにうつむいたまま気まずい食事を続けた。しばらくして彼女は、「気持ち悪い」と言って蒼い顔で席を立ち、トイレで吐いていた。よほどメシが不味かったのか、隣の無口な長髪の東洋人男性に恐れおののいていたのか、あるいはそれらの相乗効果だったのかは今となっては分からない。翌々日、荷物を背負ってその家を出たオイラは、ホコリをかぶったバス停の時刻表の上に指文字で「All alone in Christmas -- that’ me!(クリスマスに一人ぼっち…それが私!)」と書かれているのを見た。なんだか複雑な気分であった。まあ、信仰に縁のないヤツは、クリスマスみたいな日はどこに行っても気詰まりなことが多い、ということだ。
2004.12.25
年賀状を出さなくなって15年くらい経つ。その15年間のうち、たった数通でも年賀状を出したことがあるとすれば、1999年だかのたった1回だけである(…ま、そのうちの10年くらいは海外に住んでたというのもあるけど)。日本に帰国してはじめて(しかも30歳を過ぎて)就職した会社で、1年目はまったく無視していたのだが、そんなオイラみたいな非常識なヤツにも毎年マメに年賀状をくれる同僚がやっぱり何人か居た。さすがに無視した2年目にまた送られてきた年賀状を重ねて無視するのはちょっぴり憚られたので、自分が過去に描いた自画像をハガキ大に印刷して、表側の下半分にテキトウに「謹賀新年 本年も宜しくお願い申し上げます」とか書いて、差出人名を書かずに返信した。ちなみに下がそのときの「自画像」である。受取人のほとんどはオイラからの年賀状だと判ったらしいが、「新年から縁起が悪い」とたいへん不評であった(笑)。80センチくらいの錆びた鉄板に主にアクリル絵具で描いた力作で、大学ではかなり評判がよかったのだがなあ(笑)。年賀状を出さないのは、ひと言で言えばオイラが非常識な人間だからである。もっと言えば、冠婚葬祭も盆も正月もクリスマスも「自分には関係ない」という、いい年をこいた社会人としては極めて異常なまで「マイペース」な生活をしているからである、と言える。そして何よりも、あんなのをいちいち書いたり印刷するのが面倒クサイ、という点に尽きる。…でも、ここ数年「電子グリーティングカード」というのが出回っていることを知り、コレならまとめて複数の人にカンタンに送信できるので、日本以外の友達にはコレを使って「クリスマスカード」を、日本の(数少ない)友人には「電子年賀状」を送信している。これを受信した友人たちも、仮に返信の義務感に駆られたとしてもコレを使えばカンタンに返信できるので、鬱陶しい想いをさせずに済むというものだ。…ということで、今年もクリスマスイブの前の晩になって、アメリカ&カナダの(日本人以外の)友人たちに慌ててカードを送信した。…ついでに日本人の友人にも電子年賀状を作成して送った。フラッシュ動画のヤツだ。一部の人たちには会社のアドレス(...しか知らなかったので)に送ったんで、新年早々会社のコンピュータでフラッシュ画像のゲームに熱中して上司や同僚のヒンシュクを買って下さい(笑)。
2004.12.23
先週日本出張から3ヶ月半ぶりに帰国し体重計に乗ったときはショックであった。出張前に62Kgだった体重が69Kgに膨れ上がっていたのである。なんと7キロの増量。7キロといったらあなた、独身世帯用のあの米袋ひとつと1リットルのジュース2つ分である。手に持とうと思ったら相当の重さですよ奥さん。連日連夜の深夜または早朝までの残業でランニングのヒマがなかったのと、コンビニ&ファースト・フードの高カロリー食のみごとなまでのコンビネーションの結果であることは疑う余地がない。あの日々が憎い。おまけに北米に帰国するなり風邪で寝込みしばらく運動ができなかった結果、ついに体重はランニングを始める前の70キロの大台に乗るか、という悲しい事態に発展しつつあった。何とか今週からボチボチちょっとずつ(ほんの6KMくらい)走り始めた結果、1週間弱で体重が68キロまで落ちた。…それでも減ったのはたったの1キロ程度か。ほんの4ヶ月前まで爽快に42.195キロを走りきれたあの身体に戻るには、このまま日々のジョギングの距離と頻度を上げていって、まだ3-4ヶ月は掛かるであろう。重い身体で走るのはスピードも出ないし爽快感に乏しいので、走るモチベーションも上がらない。当面はツライ日々が続きそうである。
2004.12.05
日本デお世話ニなったミナサン、おげんきデスカ。オイラはこちらに戻るなりカゼでダウンしましたが、サンクスギビングの4連休をもっぱら横になって過ごしたおかげで、ずいぶんと調子が回復しました。とはいえ年をとると、ちょっと数日のあいだ寝てるくらいではなかなか快復したりできなくなるもんですなー。カゼをひいてベッドに横になっている間、心斎橋さんからもらったMichael Nymanの「GATTACA」のサントラCDを10回以上繰り返し聴いていました。何年も前に見たこの映画のシーンを思い出しながらベッドの中でウットリしていました。いつものことながら、いいCDをありがとうございマシタ。それにしてもNymanの音楽ってホンマに泣かせまンナン。今回はいつになく日本に長居したもんで舌がすっかり“日本の味”をしめてしまい、こっちに戻ってからマトモな喰いモンがなくってちょっと困惑してマス。とりあえずサケの缶詰とかオクラとかカップラーメンとかいった日本の味に近いモノを食う頻度を高くして、自分の舌を慰めています。従兄弟の○○家のミナサン、いただいた味付ノリは大事に食べてマス。ところでドイモイさん、オイシイもののニオイとクサイもののニオイって似てると思いませんか?納豆と足のウラとか、中華料理とある種のダイベンとか、ツケモノと腐敗物とか、野郎の体臭とシシカバブとか、クサヤと婆さんの腰巻とか。…ホラ、ほかにももっとあるでしょ?ドイモイさんも考えてみて下さいよ(ところで例のカナダみやげのサーモンジャーキーってどうでしたか)。こんどから何かクサイ臭いをかいだら、何か食べ物を連想するようにすれば、それをクサイと感じるどころか、訓練しだいではヨダレが出てくるようになるのではないだろうか…なーんてことをオイラは、たった1日で臭くて臭くて食べられなくなってしまった茹でたカリフラワーを目前にしながら今日考えていました。それにしても、どうしてカリフラワーやブロッコリーってすぐ臭くなるのかなあ。誰か知ってたらオイラにおしえて下さい。五反田さん、知らない?紅牡蠣さんでもいいけどー。さて、こちらに戻ってからちょっとだけ走ってみましたが、カゼで体調が悪いのと運動不足による体力の低下のせいで、マトモに走れませんでした。ヘロヘロです。8~11月の4ヶ月という長い期間ロクに走れなかった(平均月間走行距離100キロちょい)というのは、オイラのランニング・ライフにおける致命的なブランクになったような気がします。楽天広場仲間のランニング日記を拝見してても、なんだか自分に関係ない遠い過去のことのような感じさえする今日コノごろ。日本出張前の走力まで戻るには日本出張期間と同じ4ヶ月は掛かると考えてますが、どーなることやら。それにしてもミノルトトさん、Mickeyさんってどこに海外出張に行ったか知りません?ところで、オイラがこちらに戻るのと機を同じくして、日本から何人かの人たちが米国本社に出張に来てまして、おかげで仕事はそれほどラクになってませーん。さすがにもう徹夜や朝帰りはないけどー。…でもさ、パパ&ママ、オイラさ、日本出張中のその献身的な努力を会社に認められて、来週会社のカネで休暇旅行に連れてってもらうことになったんだよね。…ホラ、よくある例年の「成績優秀営業社員」の年末報奨旅行に、営業社員でもないオイラが特例でついでに同行させてもらえることになったのヨ。…ま、でもオイラの場合、「褒賞」というよか(失った夏の)「報償」って感じィ?(笑)どこに行くかはナイショです。行く先はアメリカ国内でもカナダでも、もちろん日本やその周辺でもアリマセン。アッチに着いたらデジカメで撮った写真をアップします。じゃあ手術を受けたバーさんにヨロシクお伝えください。以上
2004.11.30
関西空港に移動する前に、大阪駅前のヨ○バシカメラでデジカメを買ったのであった。パソコンのUSBポートを通じてしか充電できない超小型タイプ。自宅に戻るまで待ちきれなかったため、空港のトイレのコンセントにラップトップをつないで充電し、試写。深夜2時半、自宅に(3ヶ月ぶりに)戻るなり、疲労と風邪でダウン。北米は寒い。
2004.11.23
当初の予定を若干延長して、あと2週間ほど日本にいることになった。さいわいにして今週の前半でようやくドデカイ仕事の大山脈を踏破したので、あとの2週間は「人間らしい生活」をさせてもらうつもりだ。週末だって(あと2回しかないけど)自分のために使うんだもんね。それにしてもここ2週間の生活ぶりはムチャクチャだった。日本に出張に来てからこれまでの3ヶ月が大概ムチャクチャだったのだが、とくにこの2週間は異状も異常。終電、徹夜、朝帰り、徹夜、終電、休日出勤で朝帰り、休日出勤で終電、徹夜、終電ンーっ…♪ といった惨憺たる生活のリズム。これは本当に人間の生活なのか。人気絶頂当時のピンクレディーかオイラは。こんな生活を2-3ヶ月にわたって続けた結果、オイラの前髪はいつの間にか10本くらい見事な白髪になっていた。おまけにまったく走るヒマがなくなったため、コンビニで調達する食事の莫大なカロリーが消化できず、体重は日本出張前の7キロ増、腹回りについた贅肉はなんとベルトの穴2つ分。おかげで春に買ったスラックスがもうキツくて入らない(涙)。外資系を渡り歩いてきたバリバリのキャリアウーマンの先輩も「こんなに働いてこんなに疲れたのは初めてだ」と断言していた。それが本当だとすれば、オイラはたぶんこれからの社会人生活でこれ以上たいへんな経験をすることもないのだろうと思った。…たしかに、今後これ以上たいへんな経験をすることになれば、そのときは病気になるか死ぬかのどちらかだろう(笑)。これまでの2年間、平均月間250キロ前後を走ってきたオイラの10月の走行距離は100キロ未満であったが、あさっては無謀にもフルマラソンを走ることにした。なんでもこの世には「当日申し込み可」のマラソン大会が存在するらしいhttp://www.runnet.co.jp/info/a/2004/watarase/main.htmと聞きつけ、飛び込み参加することにしたのだ。遊水地の周回コースで制限時間は7時間だそうなので、ピクニック気分で42キロを走ってみるのも悪くないと思っている。フルマラソンを走れば2キロくらいは痩せるかなあ。…北米に帰国するまでには、せめて「ベルトの穴2つ分」の腹回りの贅肉を「1つ分」程度に戻したいと切に思うオイラである。
2004.11.05
うちの部署でパートタイムで働いていたアルバイトの青年が辞めることになったので、これまでの勤労をたたえ、チョコの詰め合わせをはじめとするお菓子類をコンビニで購入し、プレゼントしてやった。詰め合わせとはいっても缶入りや箱入りの贈答品なんかではなく400円くらいの袋入りのヤツで、ほかの菓子というのも「ビックリマンチョコ」とか「ポッキー」とかいった遠足のオヤツみたいなヤツばかりを、そのままコンビニの袋に入れてプレゼントしたのであった。こんな“プレゼント”を、場合によってはイヤミにとったり「馬鹿にされた」とか感じても不思議はなかったのかも知れないのだが、そしてそんな誤解を招くようなプレゼントをするオイラもオイラなのだが(笑)、部下の報告によると、この青年はオイラからのプレゼントを袋ごとカバンに大事そうにしまい、いとおしそうに撫でていたそうだ。少しだけ気になったので、彼がオフィスを去る前にいちおう尋ねてみたのだが、彼は「甘いものが好きなので、(このプレゼントが)本当にうれしい」かったそうだ。だから、どうやら部下の報告は(多少の誇張があったとしても)ウソではなさそうである。それに、オイラは当初、この青年が、買ってあげたお菓子類の袋を開けてほかの社員にも「おすそ分け」するに違いないと予測していたのだが、予測に反して袋ごとカバンにしまったところからも、「甘いものが好き」というのはまったく率直な意見であり、彼はこれらのお菓子を本気でひとり占めしたかったに違いないと思っている。ところで、オイラはすでに20年くらい前から自分の感覚が常人と異なることをあきらめており、常人の感覚を無理に想像し模倣した結果失敗を犯したり後悔するよりも、原則的に「自分の常識」にしたがって行動することにしている。だから、「気を遣った」プレゼントをするよりかは、自分がその人の立場だったらよろこんでくれそうな駄菓子を大量に買ってあげるなどというのは序の口で、たとえばつい先日も、社内でちらっと見かけたことがあったけど初対面だった人にあらためて紹介されたとき、あいさつ代わりに開口一番「あなたの顔は私に似てませんか」とか尋ねたことがあった。社交辞令はさておき、オイラがその人の顔を見ていちばん伝えたかったことがそのことだったからである。はっきり言って、一歩まちがったら非常に失礼な発言であったが、この人は「…実は、私もそう思ってたんですよ。」と言っていた。(考えてみると、かなりスゴイ初対面同士の会話ではある(笑))。オイラはこういう経験を重ねるたび、やっぱり無理に「ジョーシキ」を“見よう見まね”せず、自分に率直に行動していいのだ…という自信を妙に深めていっているような気がする(笑)。常軌を逸しているかもしれない自分のヒジョーシキには、じつは草の根レベルでは案外潜在的に共感者が多数居るのではないのか、ということである。標題の(四半世紀もむかしの)曲の歌詞でいうと、「気の合う友だちって、たくさん居るのさ。今は気づいてないだけ」というカンジか。一方、オイラが30代も半ばにして海外移住を選択するハメになったり、ガールフレンドもいなければ友人も極端に少ないという事実は、オイラが「自分に率直に」行動してきた結果でもあるので、動物とか幼児や老人以外にふつうの友だちがほしい人には、率直な行動による生き方はあんまりおすすめしない。(おわり)
2004.10.13
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先週はさいわいアメリカ本社とのTV会議もなく、毎日日付が翌日になる前に帰宅できたが、先々週までの疲労は根深く今週は一向に調子が上がらない。肉体的な疲労にはなんとか対応できるつもりだが、精神的な疲労にはめっぽう弱い。これはきっと息抜きあるいはストレス発散のための「遊び」を知らないからに違いない。「飲めない」「打たない」「買わない」の三拍子に加え、友人のいないオトコの弱点なのよネ。ここ1-2年は「飲む・打つ・買う」の代わりにひたすら「走る」ことで一種の息抜きとしているのだが、あいにくここ数週間は仕事の疲労のせいで走るためのスタミナをすっかり奪われてしまった感がある。たまの休みに10キロも走ったりすると翌日に疲労が残ってしまうのだ。精神的な疲労を抜くために走った結果肉体的な疲労が増えてしまってはあんまり意味がないので、今は日を空けて短めの距離を走っているのだが、これだと満足感に乏しい。ちなみにマラソンするようになった2年前までは、長いこと自室で鍵盤楽器を弾いたりベースを弾きながら歌うことで“発散”していた。マラソンにしても楽器を弾くにしても酒を飲むにしても性交するにしても、自意識を離れて頭を空っぽにした状態が精神衛生には肝要らしい。同じ楽器でもベースなんかだとテレビを見ながらでも弾けるので、弾きながら歌わないと「頭が空っぽ」なところまでは到達しない。一方、ピアノの場合は逆に自意識を取っ払わないと途中でトチりがちなので、うまく弾いているときは例外なく頭が空っぽになっている。“忘我の境地”がいちばん明確なのがドラムを叩いているときだ。これはクラブとかで大音響の音楽と一体になって踊っている状態と同じであるだけでなく、自身が「踊っている」意識に、自分のタイコに合わせて他人を「踊らせている」意識が加わるので、ちょっとした巫女や神主の気分も味わえる。ところでオイラはよくピアノを弾いている状態がセックスの最中の精神状態に似ていると思うことがあるが、バンドをしていた当時のことを思い起こすと、好きな曲に合わせてドラムを思い切り叩いている時のトランス状態というのは、自分が今まででいちばん陶酔できたセックスの記憶に勝るものがあると思う。ちなみにオイラは当時、ライブでオイラの叩くドラムを見た人から「ボアダムズの吉川海坊主(参照→http://plaza.rakuten.co.jp/kameika/3004)を意識しているだろう?」と言われたことがあるくらい全力でボコボコのドラミングで知られていた。1回ライブをやると、スティックは折れてすっ飛ぶわ、バスドラムのビーターが抜けて吹っ飛ぶわ、ハイハットは外れて閉じるわ、タムは凹んで緩むわ、メーワクこの上ない。同じことをセックスでやろうとしたら相手は確実にケガをすると思うし、やっぱりこれはドラムでしか到達できない境地なんだと思う。これは中島らもか誰かの本に書いてあったんだと思うが、薬物中毒になるヤツの中にはオイラみたいに「酒がまったく飲めない下戸」というのが多いらしい。要は、「酩酊するための適当な手段」を持たないヤツがドラッグにはまりがちなのだろう。オイラもバンド仲間やアート仲間と出会わなかったら、ジャンキーになっていた可能性は否定できない。とくに渡米してNYに引っ越したあとはジャンキーを身近に何人も見たし、あらゆる薬物に容易にアクセスできる環境だっただけに、「飲む(打つ・買う)」の代替手段を何とか見つけられたのは幸運だったかもしれない。あの頃のドラムには適わないかも知れないが、マラソンというのも手っ取り早い酩酊の手段だ。むかしアメリカのテレビで「元・薬物中毒のトライアスロン選手」の特集を見たことがあるが、この人なんかはランナーズ・ハイによって脳内に分泌されるエンドルフィンという麻薬状物質が、体外から摂取する人工的な麻薬よりも強力であることの生き証人のようなものだ。「強烈さ」という点ではドラムやピアノによる酩酊と薬物による酩酊は甲乙つけがたいが、「手っ取り早さ」という点では何の準備も要らなければリスクもないマラソンはこの上なくお手軽である。...そウいウわけで、オイラが犯罪に手を染めたり、いきなり会社に楽器を持ってきてヘンな歌を唄い出すような暴挙を防ぐためにも、1日せめて8キロくらい走れるだけの時間を与えていただくよう、会社の上司をはじめとするオイラの周囲の皆さんにはご協力いただきたいと思う次第である。
2004.09.28
週末の3連休は実家に帰り、10歳児の姪と4歳児の甥と遊んだ。極端に友達の少ないオイラにとって、姪と甥は数少ない理解者である。2日間、電車に乗って一緒に石ノ森章太郎美術館に行ったり、プラスチックのバットとゴムボールで野球をしたり、近所のジョギングに自転車で伴走させたり、プレイステーションで「太鼓の達人」をして遊んだりした。よく分からないが、30歳も年下のこの友人たちは一緒にいてとても気持ちが良い。ひねくれたところや巧んだところがなく、非常に接しやすいからだろう。親たちなら眉をひそめるようなオイラの冗談でも、フツウに受け容れてくれるところもいい(笑)。いちおうオトナとして敬意を払ってくれるし。10歳になったばかりの姪は身長が140センチ体重が35キロを超え、身に着ける衣服や挙動しだいでは中学生でも通用しそうな感じだ。しかしその挙動はあくまで小学校低~中学年である。夜になって、これまでと同様に「3人で一緒に風呂に入ろう」とかいうので、恥ずかしくないのか尋ねたら恥ずかしくないというので、今度は何歳になったら恥ずかしくなるのか聞いたら「生理が来たら。」とか言っていた(笑)。なんと分かりやすい回答であろう。オイラは感心した。そういえば25年くらい前のある朝、階下がえらく騒々しくて目を覚ますと、(今では彼らの母親である)オイラの妹が「お父さんには言わないで」と何かを必死で母と祖母に懇願しているのが聞こえて、オイラは妹に何が起きたのかすぐに悟ったことがあったのを思い出した(その日の夕食に赤飯が出た)。妹はたしか5年生だったハズだ。まあ、成長のスピードが親に似るとすれば、姪が「一緒にお風呂に入ろう」とか言うのも今回が最後になるんだろうなあ。姪は、オイラにオムツを替えてもらったり、一緒に七五三に行ったり、オイラがエジプトで買ってきたアラビア文字の練習帳でアラビア文字を学習したこととかを、ぜんぜん覚えてないと言っていた。きっと一緒にお風呂に入らなくなる頃にはオイラが石ノ森章太郎美術館で死神博士から改造手術を受けたことも、「太鼓の達人」で水風船を33個ふくらませたことも、みんな忘れてしまうのだろうなあ。4歳児の甥だって、2-3年もすればオイラと遊ぶより同級生の坊主どもと遊ぶのが忙しくなるんだろう。これまでオイラをファーストネームで呼んできた彼らから「叔父さん」なんて言われる日が来るのも、あっという間なんだろうなあ。しみじみ。
2004.09.19
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すんません、Mickey センパイ、29日のマラソンの話が最後の7キロのところで保留になっておりました。お察しのとおりホンマに忙しいんですわ。火曜に会社に復帰したら、その日からいきなり大忙しで、帰宅は翌朝の始発電車の午前5時。マラソンから帰ってきていきなりコレでっせ。...で、水曜は少しマシで退社は午前2時過ぎ。木曜はまた少しマシで午前1時。マラソンで消耗した体力を回復せなアカンのに、今週の睡眠時間の合計、月曜分を除けばまだ10時間でっせ(笑)。...で、29日のマラソンの話の続きだが、実はオイラは10キロ付近くらいからずっとオシッコを我慢していた。何んせ10キロ前後はずっと街中だったし、20キロ地点までも比較的人通りの多いところで、立ちションのできる場所はなかった。だからそれまでずっと、「あと5キロガマンしよう...」と自分に言い聞かせているうちに、テキトウな場所がないままついに35キロまで到達したのであった。33キロ付近で濡れスポンジを脚にあてがったところ、体が冷えたためか尿意があらためて昂然と沸き上がってきていた。オイラは前日、最後の7キロの下見をした際に、37キロ付近の歩道橋下に公衆便所があることを知っていたので、そこに到達すれば思う存分ショーベンができるのだと自分に言い聞かせ、尿意を抑えてスピードを上げたのであった。前日歩いて下見した時にはエライ長い折り返しに感じられた5キロであったが、実際走ってみると、やや頭がボーっとしていることもあって(笑)気がつくと折り返し地点に到達していた。40キロ関門まであと2.5キロ。最後のスパートで血中のアドレナリンが増加していたためか、歩道橋下の公衆便所のことも尿意のこともいつの間にか忘れていた。スピードを上げても脚が攣りそうな気配もない。この時点初めて、完走できるたしかな手応えを感じた。あとはもう悔いの残らないよう、全力で走るのみであった。この地点としては自分でも驚くくらいの勢いで走っていたのだが、38キロ地点ではオイラのすぐうしろでアニマル浜口に感化されたらしいオッサンが「気合だー!」と叫んでスパートし、オイラの脇をすり抜けてあっという間に先に行ってしまった。このオッサンについて行こうかとも考えたが、ベジタリアンのオイラではアニマルの気合には適わなかった。そういえば、36キロ地点でまるで悶え声のような妖しい声の混じった激しい息遣いの女性が、「ハァン、ハァン、ハァン...」と言いながら走っているのに遭遇したが、この女性も速くてオイラには着いていけなかった。豊平川に掛かる橋を渡り切ると39キロ。関門閉鎖時刻まではまだ10分はあるはず。彼方に見える街中の方から大きな声援が聞こえていたはずだが、頭がボーっとしていたためあんまり記憶に残っていない(笑)。最後の直線となるすすきの大通りに向けてひたすら走る。40キロの関門に表示されていた時計が見えたが、まだ3時間40分に達していなかった。5分以上の余裕。オイラは思わず「やったー!」と大人げない率直な感想を声に出して関門のマットを通過した。(つづく)
2004.09.03
そこから30キロ地点を少し過ぎるまでの6-7キロは、自分としては快調なペースで飛ばした。たぶん数百人は抜いたと思う。少なくとも、この間に誰かに抜かれたことはなかった。しかし、街中へと向かう国道に入るちょっと前のポイントで、ちょっとペースを上げようとしたらハムストリングが攣った。ちょうど3月の荒川マラソンで、やはり同じくらいの地点で経験したのと同じ症状。30秒くらい前屈してストレッチしているうちに、余裕で100人くらいのランナーが追い越していった。これ以降はハムストリングが攣らない程度の強度でだましだまし走るしかなかった。脚に力を入れると攣りそうなので、腹筋による腿上げと腕振りでスピードを維持した。少なくとも周りのランナーたちと同じくらいのスピードを保つことはできた。街中の35キロ関門を目指し、あとはひたすら前進するほかなかった。辛くはないし、スタミナがまだ余っている感じなのにスピードを上げられないのは実にもどかしい。...この先、いつまで経っても35キロ関門はやってこなかった。オイラの脇を、経過時間を表示した馬鹿デカイデジタル時計を載せた乗用車が過ぎて行った。関門時刻まではどうせまだ余裕だろうとタカをくくっていたが、どうやらそうでもなかった。この乗用車の中からスピーカーかメガフォンで、またしても35キロ関門閉鎖まで2分何10秒というアナウンスが流れた。しかもご丁寧に、10秒刻みにカウントダウンまでして焦らせてくれる。何がいちばん焦るかと言って、35キロの表示がまったく見えてこない。目指すところの関門が見えないことにはどれくらいスピードを上げたらよいかも想像がつかないではないか。慌てる我々ランナーは、この乗用車を追って高架下の100M弱の坂を下った。そして今度は高架下をくぐり抜けて坂を上り終えたところで、ようやく前方に35キロ関門が目に入った。通過時刻、関門制限時刻の2分弱前。...これで何とか「私的なゴール」はなんとかクリアできた。これはもしかすると最後の40キロ関門(通過制限時間:3時間45分)も通過できるかも知れない。貯金2分弱で40キロ関門を通過するために、オイラは勝負に出ることにした。ハムストリングに負担をかけずにスピードを上げるためにやや前傾姿勢をとり、足を地面に叩きつけるような「ハーフマラソン向け」の走法に切り替え、バタバタと走り始めた。(つづく)
2004.09.01
15キロ地点まで、ずっと街の中である。沿道で走者を応援する人たちの波が途切れる様子もない。アフリカ出身の高速ランナーの一群や千葉真子さんのような招待選手のトップ集団はもうとっくの昔に通過したハズなのに、沿道を去ることなくオイラたちのような関門ギリギリのシロウト走者たちにも懸命に小旗を振って惜しみのない応援をしてくれる道民に、ちょっぴり感動した。そうこうしているうちに、走り始めてまだ1時間半くらいしか経っていないはずなのに、進行方向からトップ集団が突進してきて猛烈なスピードで対向車線を走り過ぎて行った。オイラの全力疾走のときのスピードと変わりない(笑)。それから数分して、男子選手の第2、第3集団の後を、ストーカーまがいの多数の野郎どもに囲まれた千葉真子選手が走り去っていった。ムサいオッサン・ランナーたちに囲まれて、なんだか迷惑そうだった。そういうオイラも、走り去る千葉選手の背中に「千葉さん頑張れ!」などと応援の声をかけているメーワクなオッサンのひとりではあった。やがてハーフ地点を過ぎ、そろそろ知り合いのランナーとすれ違う頃かと思いつつ対向車線を注意して見ていたところ、第1折り返し地点に向かう途中でMickeyKさんがちょっと驚いた表情でこちらに手を挙げて合図してくれた。4月のレースで3時間40分を切った彼は、すでにオイラより3キロ先を走っているのだった。しかしそれから折り返し地点までの約1キロは、中央分離帯の植え込みに遮られて対向車線を走る仲間の姿は確認できなかった。この第1折り返し地点を過ぎると、コースは極めて緩い上り坂になるとともに、往路では追い風だったものが強い向かい風となって吹きつけてきた。周りのランナーも目に見えてペースが落ちている。数百メートル前方で、レースの係員が25キロ関門閉鎖まであと2分何十秒というアナウンスを始めた。35キロ関門をゴールと考えているオイラにとっては目標どおりのタイムであったが、完走を目指しているほかのランナーたちはそれを聞いてかなり慌てたハズだ。ここでペースの落ちているみんなと一緒に走っていたら35キロ関門突破は覚束ない。オイラはここで誰も走っていない道路の中央側に寄り、潰れるのを覚悟の上で、キロ15秒くらいペースを上げた。残り17キロは維持できなくとも、35キロ地点までの10キロまでであればこのペースで走れる自信はあった。(つづく)
2004.08.31
しばらく自分のHPを訪問してなかったら、なんだか楽天広場の様子がいつの間にかすっかり変わっとりますなあ。トップページに掲載していたオイラのお気に入りのキャラ「バーロー・ギディ(Hey, fuck you! Giddy)」も無残に四方が切れちゃってましタ。このまま放っておくのも忍びないので、週末にネットカフェのPCでちょっとだけデザインを変更。ちなみにプロフィールの画像は「オイラのお面を被ったアメリカ人の級友(1992年当時)」である。たしか、ハロウィーンの頃に課題で描かせられた「怖い顔の自画像」を切り取って作ったんだよな、このお面。もちろんオイラは金髪でスカートをはいたりもしてなければ、青い顔もしていないケド。関係ないけど、この週末にまた無駄遣いをした。3週間後のマラソン大会用にと思って購入したランニングシューズは、たぶんこの1年で10足目くらいにあたる(笑)。今日ためし履きしたら、幅広サイズ(4E)なのに横幅がキツくて小指にマメができてもた。また本番までに別モノを探さねば。これも本番用にと思い、11500円もする半ズボンタイツ(コレ→http://www.wacoal.co.jp/sight/jsp/WacoalServlet?Event=DetailPicBack&NowPage=1&ArticleNumber=HZO615&PageFLG=&StaticBrand=91)も買った。店員に「骨盤がサポートされ、フォームが安定する」とか言われて、つい買ってしまったヨ。今日走ってみて、短い距離を疾走する分にはたしかにフォームが安定するのが分かったが、マラソンみたいな長距離でも効果があるのかは不明。あと、ラップやスプリットタイムが計れる腕時計を持ってなかったので、ランニングウォッチを購入。それと、過去に試供品を使用して酸化チタンの効果を実感していた、チタンテープとネックレスを購入。合わせて4万円弱也。計算してみたら、日本に来てたった1週間で早くも7万円くらい消費してたゾ。北米にいるときの(電気代とか家賃を別にしたときの)1ヶ月分くらいの額かあ。日本って物価高過ぎ。
2004.08.08
地元はNBAのデトロイト・ピストンズの優勝で大騒ぎだ。オイラが住んでいるのはデトロイトのダウンタウンから川を挟んだカナダ側の街なのだが、一昨日の晩は街中を自動車がクラクションを鳴らしたり酔っ払いが嬌声を上げたりして夜中の2時くらいまで騒いでいたし、今日はダウンタウンでの優勝パレードに市民が集合し、テレビ局のヘリコプターやら、広告のバナーをたなびかせたセスナ機なんかが低空を飛び交い、うるさいったらありゃしない。デトロイトは、野球ではタイガースが最下位の常連で、昨年は年間の負け試合数が119敗(41勝)、アメフトでもライオンズが地区最下位(5勝11敗)で、全国ネットのトークショーでも毎度ギャグのネタにされていた。とにかくここ数年は地元チームが弱かったのだ。一方では、肥満体がなんと6割以上を占めるアメリカ国内でも昨年「肥満度全米一」の都市に認定され、何かと不名誉なイメージが付きまとっていた。そこにピストンズの優勝ときた。デトロイト市民が盛り上がるのもムリもない。街中がパーティー、という感じ。そう言えば、おととしの冬季オリンピックでカナダがアイスホッケーで男女両方とも(アメリカを破って)優勝したときの騒ぎもスゴかった。国技であるアイスホッケーで、毎回決勝でアメリカに敗れて長年「銀」に甘んじてきたカナダ。何かというとお隣のアメリカと比較されて劣等感に苛まれてきた国民のプライドが一気に爆発したのであろう、優勝が決まった瞬間、街中の家や飲食店から同時に大歓声が上がり、しばらくすると街中に人が溢れかえって知らない同士が握手したり抱き合ったり“ハイ・タッチ”をしているのであった。女性はよく分からないが、野郎どもはスポーツ観戦を通じて交流や連帯を深めるという構図が洋の東西を問わずあるようだ。スポーツ・バーとかで知らない同士がビールを飲みながら大型テレビでスポーツを観戦し、スコアしたの退場したの、勝ったの負けたの言って騒いで盛り上がるのが「男の証」みたいな。酒も飲めなければスポーツにも興味のないオイラは、こういった時に一人でシラーっとしていると、なんだか野郎として半人前みたいでちょっとした疎外感を感じないでもない。サル山のボス争いから最初から外れている“はぐれザル”の気分か。ただ、野郎同士がスポーツ観戦を通じて連帯を深めるとか、レースカーを見て鼻息を荒くしたり、ピストルや銃器に興味を持つのは、サル山の話と違って、別に遺伝子に組み込まれた本能的な行動形態ではない。単に息子が父親(あるいはその代理)の姿を見て“学習”するだけのことだ。女系家族で父親との接触もマレな状況で少女漫画を読んで成長した男や、自宅で俳句を読んだり油絵を描いたりしている父親の背中を見て成長した男が、スポーツ観戦とかスポーツカーとかピストルに興味を持てなくても不思議はない。そう言えばむかーし読んだ竹内久美子の本に、日本のどっかのサル山で、ボス争いのランキングから完全に「問題外」の位置にいたはぐれザルが、ある日どこからか灯油缶のようなものを見つけてきてガンガン鳴らし始めたところ、ボスザル候補たちを完全にビビらせてしまい、いつの間にかボスの位置に上りつめていた、という話が書かれていたなあ。高校時代に応援団で学ランを着てデカイ声を出しタイコを叩いていたり、大学時代に黒装束に身を包みハードコア・バンドでドラムを叩いていたオイラって、今思えばまさに「パーティー」に混ざれない憐れなはぐれザルだったのかなあ。中年になった今ではもはや「パーティ」にせよ「タイコ」にせよただウルサイだけだけど。
2004.06.17
ロンが死んだってなあ。「ロン」とか言っても分からんか。ホラ、眉の濃いヤスの友人だったロン。苗字はレーガン。30歳以下の人はよく知らんかもなあ。93歳ってのは歴代の米大統領ではいちばんの長生きだそうだ。レーガンは日本にはじめて紹介された頃にはメディアで「リーガン」とか呼ばれてたことがあったよな。政策はさておき、人柄的には人気者だったよなあ。「裏表のないイイ人」という評価は衆目の一致するところのようだ。「ジョークのうまい長嶋」って感じかなあ。関係ないけど、昨夜は「もしかして閉鎖されているんじゃないか」と思いながら恐る恐るこのホームページにアクセスしたよ。さいきん、オイラがよく訪問している楽天広場のホームページの一部が相次いで閉鎖されていたところに、この調子で日記にウンコやチンコの話を書き続けていたら数日で閉鎖されるのではという知人の書き込みがあり、気になっていたからだ。さいわいオイラのホームページは無事であった。アクセスして自分のHPがなくなってたりしたらショックであろうことは間違いないが、それはそれで何となくスッキリするような気もする。コツコツ積み重ねたものがなくなってしまったところに、一からやり直すというのも楽しいかもしれない。…でも、このHPにはけっこう自分でも気に入っている日記やページも結構あった。だから、「今日は無事だったけど、明日はどうか分からないゾ」と思ったオイラは、昨夜は日記も書かずに夜どおしバックアップをとった。バックアップする日記を選ぶために過去日記を読んでたら、つい夢中になってしまって夜中になっちまったよ。バックアップを取り終わってそろそろ寝るか、という時にたまたま立ち寄った楽天HPで、「楽天日記のバックアップソフト」を発見した(http://penguin.oops.jp/blog/rakuten.htm)。ダウンロードして試してみたけど、あいにくオイラの英語PCでは動かないようだ。何せ、まったく閉鎖される身に覚えのないようなマトモなHPでも、さいきんは閉鎖の対象になったりしていると聞く。しかも閉鎖には「事前通告」も「詳細な理由の説明」もないらしい。「明日はわが身」だと思った人は、このソフトをダウンロードするといいと思うゾ。
2004.06.05
昨日アメリカは「メモリアル・デイ」という国民の祝日であった。「戦没者追悼の日」とでも訳すのか。アメリカでは、ある祝日が州によって休日になったりならなかったりするのだが、「メモリアルデイ」とか「独立記念日」は全米どの州でも祝日だ。貴重な3連休の最後となる手つかずの平日。土日はいつものとおりひたすら莫大な距離を走って過ごしたが、今日こそは日頃なかなかできなかった私事だとか大掃除でもしようとハリキっていた。しかし、夕刻近くにある調べものをするためにパソコンを起動した時、ついいつものクセで会社のウェブメールをチェックしてしまったのが良くなかった。案の定日本支社からのメールがいっぱい着ている。中にはご丁寧に標題に「午前中」なんて表示しているものまである。どうやら日本では米国の祝日について周知が徹底されていないらしい。結局、ひとつのEメールに返信しているうちに芋づる式にほかの件まで対応するハメになり、気がつくと深夜零時近くになっていた。せっかくの平日の午後のひとときが仕事でつぶれてしまったのであった。関係ないけど、昨日体重計に乗ったところ連休前より2キロくらい増えていた。週末に大量に作って食ったカレーとスパゲッティのせいかも知れない。…しかし待てよ。週末は合わせて35キロくらい走って3000カロリーは消費しているから、カレーとスパゲッティとは相殺しているハズ。それに、連休前にも1週間くらいのうちに若干体重が増えていたような気がする。原因は、先週から飲んでいる「プロテインパウダー」しか考えられなかった。オイラは莫大な距離を走ることで脚の筋肉が傷むので、つねにプロテインを飲んでいる。しかし、この前安売りしていたのを買ってきたプロテインというのが、あとになって標示をよくよく見たところ「Weight Gainer(体重増加剤)」と書いてあるではないか。そう、このプロテインパウダーは、痩せ過ぎの人たちが体重を増やすために、やたらと糖分が多くて高カロリーのフォーミュラになっていたのであった。北米には「体重増加剤」を必要とするくらい痩せている人なんてまずいないので、このプロテインパウダーは二束三文で安売りされていたのだ。ところで、北米ではプロテインのたぐいはバケツみたいな大きな容器に入れて売られている。3-40ドルくらいするが、2-3ヶ月は持つ。40ドル分を棄ててしまうのももったいないので、この体重増加用プロテインは当面様子を見ながら飲み続けることにした。もののデータによれば、体重1キロ増えるだけで、フルマラソンのタイムに換算して3-5分くらい遅くなるそうな。ランニングシューズだって、たった300グラム増えただけで、マラソンを完走するのに400カロリー近くも余計に必要になるらしい。来月、再来月とフルマラソンのレースが控えているオイラとしては、いくらドケチとは言え、体重の増加傾向がこのまま止まらないようならあきらめてフツウのプロテインを買うこととしよう。しかしなあ、買うヤツがいないようなモンを作るなよなあ、メーカーも。
2004.06.01
先日、自分にしては思い切ったことなのだが、日本の上司に対して批判的なEメールを送信してしまった。「自分でもよく分かっていないクセにあんたがロクに説明もせずに指示を出してくれるんで、現場の人間たちは困っている。自分自身がよく分かった上で指示を出して欲しいんだよね。」といったことを、もちろんずっと丁寧な言葉で、「宜しくお願い申し上げます」などというインギンな結語とともに書いたのである。たぶんその上司もオイラのEメールを読んでムカっとくるだろうとは予想できた。…しかし、まさか日本法人の社長から電話が来るところまでは予想していなかった。その上司は、オイラが書いたEメールをその社長に転送した上、その件について「相談」の電話をし、相談を受けた社長は「…だったら、その件は○○さん(←オイラ)と直接話し合いましょう」ということになり、予想外の電話会談となったのであった。オイラは自分が送信したEメールでの主張の正当性については自信があったので、それをあらためて社長に説明することには何の抵抗もなかったが、インギンで読んだ人を挑発するような内容に社長が反感を持っていたらヤッカイだなあ…と思いながら、電話を受けていた。…ハテ、どんな姿勢で対応すべきか。上司の不手際についてあらためてまくし立てるか、とりあえず低姿勢に徹して社長の言うことに「ごもっとも」を繰り返すか、あるいは…。オイラは社長からの電話を受けた時パソコンの前に座っていたが、どうしてオイラに電話をしているかということを社長が電話の向こうで説明しているのにハイハイと返事をしながらパソコンに向かって何をしていたかというと、常時接続のインターネットで「高島暦」のホームページを検索していたのであった。「今日の運勢」を見たうえで、社長への対応を考えようと思ったからである。オイラは小学生から高校生くらいの年齢まで“占い小僧”であった。手相・人相、姓名画数判断、占星術、血液型、タロットカード…思いつく占いはひととおりカジった。比較的しつけの厳しい家庭で自主性を尊重されずに育てられた小僧のオイラはいつも「自分が何をしたいのか」というカンタンな問いに答えられず、何かを選択するのに長いこと「占い」に頼っていたのであった。さいわい、オトナになる頃にはたいていの占いには懐疑的になり占いへの依存は少なくなったのだが、それでも長期にわたるさまざまな占いへの傾倒によって「この占いはたしかに偶然以上の何かがある」というのが判断できるようになった。…で、オイラが今でもたまに頼りにしているのがこの「高島暦」なのであった。この占いは結構あいまいで抽象的なひとくちアドバイスが書かれているのだが、そのアドバイスは不思議と役に立つ。今日の占いを見たところ、ただひと言「自分の立場を認識し消極的にする」と書かれている。オイラはさっきまで「この際、上司に対する不満を洗いざらい社長に吐露してしまおうか」などと考えていたのだったが、これを読んで、「そうか、今日は自己主張は抑えて“消極姿勢”でいこう」と方向転換を決めた。はたして、社長の見解を聞いたところ、オイラの主張しようとしていたことと正反対の立場であることが分かった。それにもかかわらずオイラがもし自分の言い分を強く主張していたら、社長と感情的に激突していたであろうことは明らかだった。さいわいなことに“消極姿勢”を自分に言い聞かせていたおかげでオイラは“激突”しそうになる前に一歩退くことによって、最終的にほぼ円満な形で電話を切ることができた。…もちろん、“万事塞翁が馬”の謂いにしたがえば、もし占いに頼らずに当初の予定どおり自分の言い分をまくし立てて社長と激突していたら、会社での居心地が悪くなってやがて退社するハメになり、しかしそのおかげでもっと条件のいい転職先が待ち受けていた…なーんて展開もなかったとはいえない。…でも、冷静に考えれば、どんなに長い目で見ても今日は“積極主張”によってよい結果は生まれなかったであろうことは明白に思えるのだな。面白いのは、例えばおとといの高島暦のアドバイスは「控えめな態度を取って万事円満に」だったし、その前日は「対立的気分持たず協調的に和を保つ」だった。高島暦はまったく衝動的なオイラのために書いたとしか思えないような助言に溢れている(笑)。巷には『魔法の杖』という、何か悩み事や願い事を声に出してながら何も考えずにテキトウにページを開くと、核心を突いた助言が書かれているという一種の占い用の本があるらしい(参考)。きっと高島暦はオイラにとっての魔法の杖のようなものなのだろうなあ。
2004.05.28
おとといの日記にも書いたが、オイラはよほど忙しくない限り、”Law and Order” という警察と司法法廷を舞台にしたTVドラマ・シリーズは欠かさず見ている。4シリーズあるこのTVドラマには「Special Victims Unit」という「性犯罪」を専門に取り扱う、NY警察に実際に存在する特殊部署を中心にしたシリーズがある。今日の”Special Victims Unit”は、「小児性愛者の女校長先生」が12歳の男子生徒を手篭めにした上、その生徒を連れて逃避行するというストーリーだった。これは、2年くらい前にアメリカで実際に在った事件を下敷きにしている。アメリカの統計では、小児性愛者10人のうちの1人は女性だそうで、この世には(あるいはアメリカには)男児あるいは女児をイタズラしたくて仕方のない女も10%の確率で存在するらしい。へえー。しかし、このストーリーが2年前の事件と異なるのは、この女校長は、本来であれば性的虐待+未成年誘拐の罪で禁固十数年になりそうなところが、司法取引の末に逮捕されず猶予保護観察処分になって釈放される、というところである。その理由というのが、この女校長がこんな犯罪を犯したのは「脳腫瘍」のせいであり、手術でその腫瘍を取り除いたところ小児性愛の傾向がウソのように消え失せたため、「本当の犯人は脳腫瘍だ」という結論に落ち着いたためである。これもアメリカで実際にあった事件が下敷きになっているらしい。近所では紳士として知られているある敬虔なクリスチャンの男性が、やにわにそこらへんの男児を性的に虐待しはじめて逮捕されたのだが、頭痛を訴えたために検査したところ脳腫瘍が発見され、どうやらその腫瘍が「自分の衝動を抑えるための脳の部位」を圧迫していたことが明らかになった。実際にその腫瘍を取り除いたところ、その男性はやはり憑きものが落ちたようにマトモな状態に戻った。しかし、それからしばらくして、その男性はまた性的虐待で逮捕された。誰もが「やっぱり脳腫瘍が原因なんてことはないんだ」と思い掛けたが、検査をしてみたら、やはり同じ部位に脳腫瘍が再発していた、という話。ただし、「脳腫瘍が真犯人」というのは厳密には間違いで、こうした小児性愛の傾向はもともとこれらの“犯人”に潜在していた。それが腫瘍のせいでタガが外れたために、抑圧していた傾向がコントロールできなくなって犯罪に及んだのであり、小児性愛の傾向はまぎれもなく彼らのものなのである。しかも興味深いのは、これらの“犯人”たちは得てして「自分が悪いことをしている」という自覚があるらしい。「悪いことだけど、自分が抑えられない。」「誰でもいいから私を止めて!」といった感じらしいのである。この「脳の病気」や「薬物の影響」による「潜在的傾向の露呈」による犯罪、というのは、犯罪を犯す側にとっても、被害者になる側にとっても、ちょっと怖いよなあ。ありがちな話で言えば、「酔っぱらってワイセツ物チンレツで逮捕」とか「ボケて万引きして逮捕」とかいうのの延長にあるわけだが、この「潜在的傾向」というのが「放火」とか「サディズム」だったりした場合、「脳の病気」になったヤツのせいであちこちが火事になったり猟奇的な殺人事件が頻発したりするわけじゃん。しかも、「潜在的傾向」なんてのは自他ともにで把握していないことも往々にしてあるわけで、誰からも善人として認められているヤツが「脳腫瘍」のせいで殺人鬼になったり変質者になったりしかねないわけか。オイラなんかが前述のような部位の「脳腫瘍」になったら、性犯罪や凶悪犯罪を犯さないまでも、きっとハダカで外出したり、そのヘンでウンコしたり、しそうな気がするんだよなあ。それに近いことをシラフですでにやった実績があるしなあ(笑)。おまけに“気に入らない”ヤツに誰かれ構わずケンカを売ってまわりそう(笑)。…いや、待てよ。実は、オイラが会社のトイレで口笛を吹きながらウンコをしてたり、日本のオフィスで英語でブツブツ言ったりしているのって、もしかしてオイラの脳にはすでに腫瘍が発生してるのかもな。検査したら、脳ミソが全部腫瘍で出来てたりして。
2004.05.19
いやあ、暑いね。2週間前はミゾレが降ってたのに、ここ数日は連日真夏日でんがな。NYもオハイオもそうだったけど、日本と比べて春が短いねえ。うちのコンドミニアム(日本でいうマンション)の住人たちは、ここ数日でいっせいにベランダに出て、冬場のあいだエアコンにかけてた保護シートをビリビリはがしてたよ。オイラなんか、一昨年から保護シートをつけっぱなし。去年は夏場の前半に日本に出張してたんで、けっきょくエアコンを使わなかったし。透明なはずのシートのビニールが茶色に変色してるよ(笑)。東北で生まれ育ったオイラはエアコンを知らずにオトナになったため、いまだに人工的な冷房の不自然さに慣れない。夜暑苦しくて眠れず、明日の仕事に差支えが出そうなときだけ、仕方なくスイッチを入れることがある程度だ。暑いもんで、ここ数日パジャマを着ずに下着姿で寝ている。10日くらい前から就寝時に読んでいた『ハリーポッター』もいよいよクライマックス。ハリーの両親を殺した暗黒魔術師がついに姿を現し、魔法学校の秘密の場所に隠されている不老不死の願いがかなう「賢者の石」を奪うために、学校に忍び込む。自らの命をもかえりみず、暗黒魔術師に立ち向かうハリポタとその友人2人!これまで「1晩1章」と決めて読み進んできたものが、ここ数日は先が知りたくて先の章まで読んでしまった。やっぱり面白いわ、ハリポタ。本に見向きもしなかった世界中の少年少女が、TVも見ずに読みふけったというのが、後半になってやっと理解できた。…そうか、ハリポタのテーマは「愛と勇気と友情」だったんだなあ。単なる薄幸な少年の「シンデレラ・ストーリー」ではなかったんだ。勝算のない戦いであっても、愛するものを守るために、自分を信じて挑む。そして、そんなハリーに勝算がないのを承知のうえで、運命を共にすることを決める友人たち。…なんだか、デビルマンとかジャイアント・ロボみたいだよなあ。…そんなこと言っても35歳以下の人は分からんか(笑)。じゃ、「ドラえもんの最終回でジャイアンに立ち向かうのび太」みたい、と言えば多少は分かるか。ちょっと恥ずかしいけど、週末は古本屋に続編を探しに行こう。続編はHarry Potter and the Chamber of Secret (ハリー・ポッターと秘密の部屋)か。1巻では11歳だったハリーは2巻では13歳になるはずだから、第二次性徴なんかを経験して、生えてくる陰毛や精通に戸惑ったりするのかなあ、魔法使いでも。「秘密の部屋」とかいうと、三島由紀夫の「鍵のかかる部屋」なんかを連想してしまうが、「仮面の告白」に出てくるようなエピソードが出てきたらハリポタはもはや純文学だな(笑)。5巻まであるらしいから、最終回までには初体験とかするのかな(笑)。…なんだかしばらくは就寝時の本にはこと欠かなそうだなあ。p.s. ところで、自分で言うのもなんだが、今日の日記のタイトル、シブくない?"Harry Potter and the Tuft of Armpit"っての。だれかこんなタイトルで、ドキドキするような思春期小説書いてくれないかな。
2004.05.14
仙台にあるオイラの実家は、ちょっとしたイベントにかなり盛り上がっているようである。カナダに住む、誰も会ったことのない「遠い親戚」が遊びに来ているからである。3週間くらい前の日記にも書いたが(日記) 90年くらい前にメキシコに移民したオイラの「母方の曽祖父の弟」は、20年くらい前に現地で亡くなったが、6人も子供をつくって現地で子孫を繁栄させている。その長女の息子2人はオイラと同じくらいの年齢で(注.「母方の曽祖父の弟」はかなり晩婚だったらしい)、どちらもアメリカの大学に留学した末にカナダに移民し、カナダ国民として生活している。そのうちの1人が「マイレージが貯まったので」妻と2人の幼子を連れて日本に遊びに来たのである。しかも4人ともスペイン語と英語は話せても、日本語は話せない。オイラも電話で話したことがあるが会ったことはなく、写真でしか見たことがない。オイラ自身、7年ほど前にメキシコを訪れた際に彼の両親の家に世話になったこともあり、オイラは彼の一家が仙台を訪れる際、彼らに会っていろいろ面倒を見てくれるよう、3週間前から電話やEメールで親族の都合を聞いたり、お世話をお願いしたりしていたのであった。本来であれば「遠い親戚」であるオイラではなく、同じ姓の「直系の親族」もちゃんと仙台に住んでいるのだが、いかんせん百姓の家系であるため、外国語で会話したり、カナダがどうとかメキシコがどうとかいう話ができるレベルの教養がないようで、“同族”でありながらこの「異国の親戚」たちとは音信が途絶えているらしい。...結局、何らかの形で彼らとコンタクトを保っているのは、「遠い親戚」のオイラだけなのである。日本へ向かった彼らと入れ違いでカナダの自宅に戻ったオイラに、彼からしばらくEメールも電話もなかったので、ためしに昨日実家に電話してみたところ、なんとさきほどオイラの父が、仙台に到着したばかりのこの一家に頼まれてもいないのにホテルまで出向いて挨拶してきたという。父は、教養の乏しいうちの親族の中では数少ない大卒者であり、辛うじてブロークン・イングリッシュで単純な意思疎通ができる。なんだかんだ言って、ガイジンと会話をする機会がうれしくて仕方がないようである。今日はうちの父がホテルに一家をお迎えに参上した後、実家でオイラの妹の家族やその他親族の一部と合流し、親戚から借りたマイクロバスに乗り換えて、「松島」だの「塩釜神社」だのを父の部下に通訳ガイドさせて連れ回す予定らしい。...その話を聞いて不安になったオイラは、父が一家をホテルから実家に連れてくる時刻を見計らい実家に電話し、この「遠い親戚」にすぐに電話で説明した。「あなたは仙台を訪れる目的はあくまで『祖父の故郷を訪れ、親族と会う』ことであることは理解しているが、どうやらうちの父が余計な気を利かせて、マイクロバスまで借りて“一大観光ツアー”をアレンジしてしまっているようだ。夕方にはあなたの『直系の親族』の家にも連れて行く予定らしいが、今日一日あなたの一家をあちこち連れ回すつもりらしい。疲れているんじゃないか、大丈夫か?」さいわい彼は、「…大丈夫だ。今日の予定はあなたの父から伺っている。当初は訪れることなど考えていなかったようなところにも連れて行ってくれるみたいだが、まあせっかくいろいろと手配してくれたことだし、親族の皆さんが気分を悪くしない程度に予定にはつき合わせていただくつもりだ。」予想外のハデなもてなしにやや困惑しているのは明らかだった。...でも、あいにくオイラの父にとってはそんなことはお構いなしである。そうこう話しているうちに、電話の背後ではガキどもの歓声が上がっている。オイラの姪と甥と、彼の2歳半の娘と1歳半の息子が、オイラの送った「メキシコの一族の写真」を囲んで盛り上がっているらしい。そのあと母に電話を代わってもらい話を聞いたところ、マイクロバスの運転手にはオイラの妹の夫(義弟)が借り出されているらしく、しかもこの“親族ツアーバス”にはどうやら話を聞きつけた近所に住むほかの親族なんかも加わり、さらに夕方には「直系の親族」5-6名が合流し、会食の席にお座敷まで予約しているという。電話の背後の盛り上がりはタダゴトではなくなっている。通訳に借り出された父の部下は皆がいっせいにしゃべるのをあれこれ通訳し、忙しそうな様子である。実家の居間はなんだかエライにぎやかで収拾がつかなくなりかけている様子であるが、みんな楽しそうにしているみたいなので、ま、これでいちおう一安心ということにして、オイラは電話を切ることにした。
2004.05.07
楽天市場なんて一度も利用したことがなければ、今後も利用する予定もないオイラであるが、グーゼンとほんの気まぐれで開設した楽天ホームページが、興味深い人たちと遭遇したり、旧交を温めるのに意外と役立っていて感謝している。まいにち楽天市場からやれ「大ヒット!!ダイエット腹巻」だの「【あと3時間!】たった10円?オークション」だの、コチトラまったくキョーミがないのに、悲壮なまでに商売っ気を露わにした件名のEメールがいっぱい来るのはほんとにウットーしいのだが、ま、タダでHPを開設させてもらってるわけだし、ガマンしようではないかと思う。匿名(仮名)のホームページとは言え、そのHPの主が誰であるかはその人を知る者にとってはだいたい特定できるもののようだ。オイラの場合は「バンド名」とかはホントの名前を掲載してたりするし、日記なんかに書いてることもホントの話ばっかりなので、何かのキーワードで検索したらズバリ、「あの時のアノ人!」のオイラのHPにヒットしたりするらしい。それに、「おすすめ新着」でリンクを形成している楽天広場のHPは、Googleみたいな「リンク数」によってヒットの順位を決定している検索エンジンに引っ掛かりやすいのだな。おかげで、しばらく会ってない旧友とネット上で再会したりとか、外国に住んでて何年も会ってないヤツとお互いの日常を把握しあえたりとか、たいへん重宝している。昨日は、大学時代にオイラの演っていたバンドがライブデビューする際にお世話になり、その後15年以上音信のなかった関西イロモノ・バンド界の先輩(大学では後輩だが)であるAさん(参照)が、たまたまこのウェブサイトを見つけて掲示板に書き込みを残してくれた。いわゆる“紙一重”の傾向のあるお方だったので、その書き込みをオイラがどこまで正しく理解できているか自信がないのだが、どうやら一旦就職した会社を辞めていまは“三味線を弾いている”らしい。さすが女子高時代からスクール水着を着てライブのステージで「♪ ゾウとやりたい、カバとやりたい」とか「♪ あなたがセンズリするところを見せて…」とか歌ってたような人は、やることが違うよなあ。それにしても、若かりし頃は周囲から冷たい目で見られていた異端者の仲間たちが、それから10何年経ってみんなこうしてリッパなオトナになっているのを知り、ホコリに思うとともにちょっと驚くなあ。だって、当時は一歩間違ったらケーサツにタイホされかねないような、その奇行がすでに法に抵触する領域に足を踏み込んでいたとか、黄色い救急車に強制的に乗せられそうなヤツがだ、今では海外で自営業を営んでたり、ラジオのパーソナリティをやってたり、人の親になってたりするんだからなあ。オイラのばあいホンノちょっとだけ不安なのは、オイラに対し恨みを持つモノがこのHPからオイラの居所を特定し、復讐を試みたりしないかということだなあ。当時の奇行はさておき、そもそもオイラのような人間存在が許せないとか、オイラのせいで人生を誤ったとか言ってたヤツらは多いらしいしなあ。
2004.05.06
35歳になるまで、時差ボケなど経験したことがないことを密かにホコリに思っていた。ほんの数日前に「海外出張」を言い渡されても、たった数日で出張準備をし、赴任先では到着したその日からバリバリ仕事をした。赴任先で昼過ぎに眠くなるとか、夜中に目が覚めるなんていうセンシティビティなど、イナカで生まれ育った野生児のオイラには無縁だと思っていた。…しかし、35歳を過ぎてから、人並みに時差ボケを経験するようになった。それはまず、到着時の肉体的な疲労感に始まり、やがて新しい環境への心理的な違和感が加わるようになった。どうも「時差ボケ」というのは場数を踏むことで「馴れる」ものではないらしい。時差に限らず、日本での出張を追えて北米に帰って来るときはいつだってカンタンに頭を「英語モード」に切り替え、「日本モード」を忘れることができたはずのだが、ここ1-2年それが困難になってきた。たとえば、北米に帰る飛行機の中とか空港で、アメリカ人やカナダ人を相手に英語をしゃべるのが面倒くさく感じる。テレビを見ていても、アメリカなまりで早口でしゃべるアナウンサーの声が鬱陶しく感じる。これは今までなかったことだ。身体が硬くなるように、年をとると精神も硬くなるのかも知れない。心身ともに柔軟性が硬化してゆくのだ。気温の変化とか、習慣の変化とか、それまで十分慣れていたはずのものであったとしても、それに再会すると懐かしさよりも頭を切り替えることの「面倒臭さ」が先立ってしまう。野生児のオイラもヤキが回ったとしか言いようがない。人間、こうして変化を嫌い単調を愛するようになり、刺激を避ける日々を重ね、やがてボケ老人になってしまうのかなあ。…ま、これまでもそうだったように、数日もすると、先日まで日本にいたことを忘れているのかも知れないけど(笑)。
2004.04.28
この2ヶ月半、我ながらよく働いたなあ。まいにち平均13時間労働ってとこかなあ。残業時間にして月100時間ってとこか。アメリカでこんだけ働くヤツがいたら、その職業は弁護士と医者&看護士とマスコミでなければ、政府関係者くらいだろうなあ。ふつうのサラリーマンが日常的にこれだけ働いている日本って国は、やっぱりタタゴトじゃないわ、こりゃ。また北米での刺激のない単調な生活に戻るのが、ちょっぴりさみしい気もするから不思議だなあ。これまでの日本出張では、アチラに帰国する日が待ち遠しかったものだが。それだけ日本社会により馴染んできたということか。ちょっと自分でも驚きだなあ。最後の出社日だというのに、今日も11時過ぎかあ。菓子パンとかポッキーをかじりながら残業するのも当面はこれで最後だもんな。早朝の江古田界隈を疾走するのも明日が最後か。公園のノラネコたちよ、ラジオ体操の爺さん・婆さんたちよ、お盆明けにまた会おう。明日は上京してくる姪と甥とディズニーランドへ、明後日は会社の同僚数名と米軍基地でのマラソン大会参加である。...とっとと帰って寝よ。
2004.04.23
帰国まであと1週間。早くも帰国の荷物はまとめ終わった。決してとっとと北米に帰りたくてそうしたわけではなくって、今回の日本出張でのある最大のシゴトが成功裏に終わったことが先日判明し、アタマを切り替えるのにちょうどいいと思ったからである。我ながらなかなか有意義な日本滞在であった。仕事だけでなくプライベート(…といっても「マラソン」以外とくに何もないが)でも結果が出せたしなあ。それにしても、この2ヶ月ですっかりアタマが「日本の社会人」モードになってしまった気がする。自他ともが認める「日本不適応者」が大多数の「日本社会しか知らない」人たちと机を並べて仕事をするために、毎日「いかに常識的な発想をするか」を無意識のうちに自分に強制してきたのかも知れない。たとえば、日本に出張に来てから自分が書いたこの「日記」のツマラナイこと!(笑)。「自分の視点でモノを考える」とか「どーでもいいことに考えを巡らす」ことを無意識のうちに自分に禁じていたことを痛感するなあ。そもそも「オイラ」なんて一人称で日記を書くのが結構困難だったりして、日記を書いていてふと気がつくと一人称が途中で「私は…」にすり変わっていたりする始末。...でも、しょせん「日本と北米のはざま」でしか生きられない不適応中年野郎としては、向こうで生活している時には眠らせてしまっている「ニホンの社会人」としての自分のパーソナリティを、たまにはこうして使用しておく必要性をも痛感する。これで「ニホンの社会人としての常識的な発想」ができなくなったら、オイラなんて「日本ではとても使いモノにならない海外カブレのアホ」であって、日本支店になんか呼んでもらえなくなってしまうもんなあ(笑)。...で、給料なんかも現地のアメリカ人並み。いやさ、日本に不適応だからと言って、オイラも北米に戻れば街中ではただの「エタイの知れないアジア系市民」に過ぎないわけで、決してアチラなら「適応」しているわけではないんだよな。ただ、あっちでは「しょせん自分はガイジン」だと開き直って生活しているので、いちいち「不適応」に悩まなくて済むのがいい。言い換えれば、異国に住んでいると「自分が周りと違う」ことが気にならなくていい、ということか。でも、日本にいるときには封印されている「ヒジョーシキな自分」が大手を振舞えるのは、精神衛生上とってもヨイことだと思う。コッチにだけ居たらいずれ「バクハツ」してしまうかも知れないが、アッチにだけいたらタダのヘンな人になってしまう、ということだな。なんだか、自分って「水中では生きていけないが、かといって陸上生活もできない両生類」みたいなもんだな。いわば今のオイラは、カラダが乾いてきて、そろそろ池に戻らなきゃと考えているカエルのようなもんか。こういう立場の生物は、いずれ「進化」して陸上に上がるか、もと来た海に還るかしないと、紫外線にやられて絶滅する運命なのかもなあ。
2004.04.18
オイラには、メキシコ人の親戚がいる。「親戚」といっても、「ひいひい爺さん・婆さん」が共通だっただけなので、血のつながりは16分の1くらいしかない。苗字だって違うし。オイラのばあさんの叔父にあたる人は、今から8-90年くらい前、ペルーに移民した。ほんとはアメリカに移民したかったらしいが、当時すぐにでも行ける移民先がペルーだったらしい。それでもこの「ばあさんの叔父」は、「アメリカ移民」の夢を達成するために、仕事をしながらペルーから徐々に北上したそうな。やがてメキシコに移住し、結婚して妻子とともにアメリカとの国境にある街メヒカリに居を構え、アメリカに移住する日に備えていたときに、太平洋戦争が勃発。財産を没収された上にメキシコシティの日系人収容所に強制的に入れられたそうな。太平洋戦争が終わり、「アメリカ」の夢を断念した彼は家族とともにメキシコシティに落ち着くこと決め、メキシコに根を下ろしたのであった。その子供が実に6人。その6人はメキシコでそれぞれ社会的に成功して複数の子を持ち、その一部はアメリカの大学に留学しアメリカ人と結婚するなどして「爺さんの夢」を部分的にかなえたらしい。このアメリカ人と結婚した「オイラの婆さんの叔父の孫」が、今カナダに住んでいる。しかも、オイラと同じ年だそうだ。あいにくオイラは写真でしか見たことがないが、カナダのカルガリーでコンピュータ関係の仕事をしているらしい。この「16分の1」の親戚から昨日英語でEメールが届いた。「今月末、家族総出で日本に遊びに行く。日本に誰も知り合いがいないので、日本で会ってくれるか。あるいは誰か紹介して欲しい。」...で、オイラはさっそく返事を書いた。「あなたのことは写真で見たこともあるし、(オイラがむかしテキサスに住んでいた頃に)あなたの母親からいろいろあなたについて聞かされたことがあり、ぜひ一度お会いしたいとかねがね思っていたので、今回の話をとてもうれしく思っている。...でも、オイラは10日後のフライトでカナダに帰ることになっている。あなたとちょうど“行き違い”になってしまう。スケジュールを変更できないものか。あいにくうちの親族でまともに英語で会話ができるのはオイラくらいで、せっかく日本に来ても日本語がしゃべれないと、日本の親戚たちともコミュニケーションが困難だと思う」...などと返信を書いてからかれこれ2日、その後オイラの外国人の親戚から連絡はない。(オチなし。いちおうこれで終わり。)
2004.04.15
約10年前のこと。当時アメリカに住んでいたオイラ。TVのニュースを見ていたところ、信号待ちをしていた自動車ごと2人の息子を誘拐されたという悲惨な20代の夫婦が、自宅前でテレビのインタビューに答えていた。母親は必死に訴えていた。「お願いです。犯人は私の息子を返して。息子たちが無事であることだけを祈っています。」母親がこう哀願する姿をTVで見てアメリカ中が涙を流している時、オイラはこの母親をTVで見ながら、ひとりで大笑いしていた。…というのは、この母親の様子が何となくウソ臭かったからである。この母親は涙声で「息子たちがもしこのテレビを見ているのなら伝えたい。I love you so much!」なんて言っているのだが、涙も出ていないし、オイラとしては直観的に信じられなかったのである。それは、20年前の「ザ・ベストテン」で1位になったとき、スタジオから実家に電話してウソ泣きしながら「お母さんっっ!」と泣き崩れた松田聖子を見た時と同じような感覚とでも言おうか。テレビで繰り返し放映されるこの「I love you so much!」の映像に全米が涙し、「子供たちを捜せ!犯人よ名乗り出ろ!」という世論の声が盛り上がっている中、オイラだけはゲラゲラと笑っていた。職場でも、毎日この事件について話している会社の同僚たちはこの母親に同情して表情を曇らせているのだが、オイラだけはやっぱり笑いを抑えられず、そんな同僚たちからヒンシュクを買っていた。…それから数日後、この母親は殺人容疑で逮捕された。路上で自動車ごと子供たちが誘拐された、というその状況をケーサツが母親に詳しく聞き質せば聞きただすほど話のつじつまが合わないことが判明し、詰問したところ「自分が殺りました」と自白したそうな。なんでも、愛人ができたために離婚する上でコドモが邪魔だったらしい。アメリカ中が、このどんでん返しのニュースに激怒していた。それは、利己的な理由で自分の子供を殺した母親に対する憎しみも当然あったであろうが、「よくもウソ泣きで自分たちをダマしやがったな!私が流した涙を返せ!」といった怒りが主であったことは言うまでもない。…オイラだけがそのニュースを聞いて、二度笑っていた。やっぱりあの母親はとんだクワセ者だったのだ。そして、TVを見て涙していた国民たちは、実のところ最初から「かわいそうな母親」に同情したいだけだったのだ。…いま、日本全土が「イラクで拘束された3人」の安否を気遣い、またその家族たちに同情を寄せている。しかしながら、オイラは何となく、この事件が「反戦&反自衛隊派遣」の3人が現地のイラク人と仕組んだ「ヤラセ」ではないか、という疑念を払拭できないでいる。要は、誘拐された3人と、誘拐グループはグルなのではないか、ということだ。おまけに、もしかすると高遠さんあたりは「自分が無事であること」をすでに家族に電話で知らせていて、家族たちの報道陣に向かっての毎日の「必死の懇願」も実は「迫真の演技」だったりして...。郡山さんの親とかはホントに憔悴し切ったカンジなんだけど、なんだか高遠さんの家族って、あのシロウトばなれした外見の妹・弟をはじめ、その挙動に芝居掛かったフシゼンなものを感じてしまうのは、オイラだけかぁ?とくにさ、高遠さんのオヤジがテレビカメラに向かって「自衛隊を今すぐイラクから撤退させろ!」と元気いっぱいにガナっているのを見たとき、とても娘が生きるか死ぬかって時のリアクションとは思えなかったんだがなー。もしこの事件が「ヤラセ」&「グル」だったとしたら、“主犯”は「アナーキー顔」の高遠さんだ、とオイラは見ているゾ。...あ、でももしすでに焼き殺されてたりしたら、その時は...えらいスンマセン。
2004.04.14
そうか、4月というのは、日本の新年度だったんだよなあ。ここ数日、オイラの滞在先である都内のウィークリーマンションに、いわゆる学生とか社会人の「フレッシュマン」の姿が一気に増えたようなのだが、世間は今「新年度」だったのだ。東京本社での社員研修だの、アパート探しだので、この時期はウィークリーマンションが繁盛するんだよなあ。考えてみると、日本で「4月」を過ごすのは2000年以来だった。桜なんて見るのも4年ぶりなんだよなあ。紙吹雪のように路上に舞う桜の花びらにちょっとだけ感動。ところで、オイラは日本の会社に“新卒”で就職した経験がないし、日本で勤めた先も新卒者を一切採用しない外資系だったので、どうも「4月が新年度」という感覚を忘れてしまっているらしい。朝、ウィークリーマンションのロビーで緊張した面持ちで待ち合わせをしている社会人1年生たちの初々しい姿とかを見ると、大学入学時を除けば「フレッシュマン」の経験をしたことのないオイラとしては、ちょっぴりうらやましい感じがする。このまま「初々しさ」なんて二度と経験せずに、老いていくのだ、オイラは。欧米に住んでいると、「年を改める」なんて感覚のないうちに、直線的にどんどん歳月が過ぎて行く。一方、日本だと毎年1月とか4月が訪れるたびに、なんか「仕切り直し」して一からやり直せるような感じがしたり、1年を振り返ってちょっと成長した感じが味わえるのは、いいことかも知れない。でもさ、日本だと毎年毎年「後輩」が増えて、1年経つごとに自分が「先輩」に、「先輩の先輩」に、「先輩の先輩の先輩…」になると、いやが応にも自分の年齢を自覚せざるを得ないところだが、アメリカとかに住んでると就職とか採用というのは基本的に「随時」なので、職場で年齢の自覚を促される機会が乏しい。おかげで欧米ではたとえば「後輩におごる」なんて習慣は生じ得ないし、「永遠の青年」みたいなオッサンやオバハンが職場にあふれることになる。どっちがいいかは一概に言えないが、どっちも経験してみると、ま、面白いかも。オイラは今回の日本出張でひさびさに「新年度」の片鱗を味わうことができて、ちょっぴり満足しているけど。
2004.04.02
映画館から出ると昼食時である。駅方向に向かってアーケードを歩いていると、いわゆるファミレスを発見したので、姪と甥と合意の上でここで食事を取ることにした。しかし、入り口で立つ我々に「席を用意するまで待て」という店員の口調は、あまり礼儀正しい感じではない。おまけに、ようやく席についてドリンクと食事を注文し、ドリンクを先に持ってくるよう頼んでも、店員はなかなか持ってこないでほかの客のコップに水を注ぎ足したりしている。やはり平日にガキの手を引いてファミレスで昼食を摂ろうという中年オヤジは、マトモな扱いを期待できないのであろうか。オイラは店員に分からないようにひとりで英語で「さっさと持ってこいや。」「ほら、客だって水の注ぎ足しなんて要らないと言っているだろうが。」などとブツブツと文句を言っていたところ、9歳の姪に「まあまあ…」といったしぐさでたしなめられた。まったくよくできた姪である。ちなみに彼女が2歳のときに始めて覚えた英語は「No!」であった。彼女が何かわがままを言うたびにオイラが口にした言葉がそれだったからである。マズイ割にやたらと高かった食事を終えてレストランを出ると、午後2時を回っていた。そうだ、そういえば、オイラは今日中にある口座にカネを振り込む予定であった。オイラは姪と甥に、オトナの用事で銀行に立ち寄らねばならないことを告げ、これから駅に向かう途中でローマ字3文字の赤い看板を見つけたらオイラに教えるように言った。疲れた4歳児の手を引いてノソノソと歩くオイラを先導しながら、キョロキョロと「ローマ字3文字の赤い看板」を探していた姪は、まもなく約100メートル前方のビルをオイラに指し示した。まさにオイラのU○J銀行である。この娘は天才か。オイラが手続きを終える間、混雑する銀行内でおとなしく待っていた二人に、本屋で本を買ってやることにした。ところで、彼らの両親は読書を趣味とするようなタイプではなく、自宅にある本棚らしきものは空っぽであった。オイラはそれをちょっぴり懸念していたので、いずれ二人にはオモチャなどではなく本を買ってやろうと考えていた。本屋に入ると、反射的にマンガのセクションへ移動し始めた姪をたしなめ、「きょう買ってやるのはあくまで活字の本である」ことを告げると、彼女はレジの前で見つけた『トリビアの泉』を選択した。オイラは『小学館のなぜなに百科』のような本をイメージしていたが、まあ、いいであろう。ついでに少女マンガ誌の『ちゃお』を買ってやった。過去にオイラ自身が愛読していた『りぼん』でもなく、母が愛読していた『なかよし』でもなく、あくまで『ちゃお』なんだそうな。4歳の甥は、痛烈に欲しがった『てれびくん』を買ってやった。帰りの電車の中で、姪はさっそく『ちゃお』のフロクを開けて見ていた。甥は疲労して昏睡していた。翌日、姪はオイラに『トリビアの泉』を読み終えたと言った。マンガの『ちゃお』ばっかり読んでいて、ほんとに活字の方を読み終えたのか疑問だったオイラは、その本を姪から奪って適当にページを開き、彼女に「水戸黄門が実際に旅した最も遠い場所は?」と尋ねた。すると姪は即座に「鎌倉。」と答えた。9歳で東北人の姪が。マグレを疑ったオイラは、今度は「ライオンに噛まれた松島トモ子は、それから10日後に...」と言うと、すかさず彼女は「...今度はヒョウに噛まれた。」と答えるではないか。松島トモ子なんて知らないクセに(笑)。驚いたことに、姪はこの本を1日で読み終え、「ウルトラマンは、カラータイマーを取るとしぼむ」とか、「シンデレラは原作の中で殺人を犯している」とか、『トリビアの泉』のこの巻に登場する50くらいのネタを、ホントにぜーんぶ覚えていた。性格もいいが、頭もいい。叔父に似た鼻の形を除けば、器量も悪くない。将来がたのしみな娘であるが、この声のデカさでは、ちょっと日本には住めないかなあ。(つづく)
2004.04.01
せっかくの長期日本出張中なので、数日間の有給休暇を取って東北にある実家に帰った。オイラがいつも実家にいる間にしていることといえば、ただひたすら「子守」である。オイラの妹とその夫はどちらも国家公務員で、ふたりとも勤務体系が不規則なため、姪も甥も学校や保育所が終わると自宅ではなく祖父母の家、つまりオイラの実家に帰る。そして、両親のどちらかが仕事から戻るまで祖母さん(と祖父さん)に面倒を見てもらっている。したがって、姪と甥にとってはオイラの帰省は「アメリカ/カナダから叔父さんがおみやげを持って遊びに来てくれる」ことにほかならない。姪も甥もオムツを替えてやった頃からの付き合いだが、姪は9歳に、甥は4歳になった。早いものだ。オイラはこの子供たちと接するたびにいつも感心させられるのは、この子供たちの性格の良さである。たとえば、先日私と姪と甥が3人でイチゴを1パック食っていたところ、4歳の甥はイチゴが残り5-6個になった時点で「イチゴを食べるのはこれまでにしましょう。残りは帰宅するパパのために取っておきたいと思います。」などと言うのだ。4歳児がだぞ。これが、いい加減中学生になっても妹のおかずやおやつを言いがかりをつけたり腕力によって奪っていた男の甥だなんて信じ難いことではないか。姉は姉で、両親とも帰宅が遅くなる晩にオイラが夜通し子守をしていた際、弟がベッドの中でゼンソクの発作を起こして咳き込み始めたのを聞きつけると、自分の部屋のベッドから跳ね起き、オイラをさておき弟をベッドからキッチンに導き薬を飲ませてやったりするのだ。まだ小学3年生だぞ。オイラが子供の頃なんか、妹がぜんぜん可愛く思えず毎日のようにイジメて泣かせて喜んでいたというのに、この違いは何なのだろう?実のところ、妹もその夫もけっこうすさんだ家庭に育っているのだが、この姪と甥には親のそのすさんだ生育歴の影を見出すのは困難である。また、保育所に居ない時間は、すさんだ親であったはずのオイラの両親に面倒を見てもらっていながら、その悪影響を受けずにまっすぐに育っている事実は驚嘆に値すると思う。オイラは、彼らと接していると、つい自分の子供時代を思い、いかに自分が歪んだ性格の子供であったかを思い知らされるとともに、姪と甥がまっすぐ育ってくれて良かったなあ、と思う。ヒネくれていたオイラは幼い頃からいつも、「こんな時代の、こんな国のこんな家庭に、こんな容姿で生まれたのは、親のせいだ」と思っていたものだ。さすがにこの年齢になるまでには、自分がもって生まれた条件とは折り合いをつけているけど。一方、親は親でこんなオイラのことを「まさかこんなヒネくれた子供が生まれるとは夢にも思わなかった」と思っていたに違いない。でも、親となる者は、どんな子供が生まれてきても受け入れるだけの覚悟をしてから子供を作るべきなので、オイラはあんまりそんな自分の両親には同情していない。「生まれてすいません」などという遺書を書いて自殺した作家がいたが、別に「生まれる」というのは子供が選択したことではなく、親が自分の都合でやったことであり、子供に責任はない。だから、親は心の奥につねに「産んですいません」という態度をもって子供に接するべきだとオイラは思っている。姪と甥がまっすぐに育ったことの一因には、こんな謙虚な叔父の態度にある…なーんてことは、まあ、ないだろうけど。
2004.03.30
あるヤロウがいた。海中に住むヤツで、海をコントロールしていた。これが、ニューヨークとニュージャージーから流れてきた1000万トンのヘドロで殺されちまった。このサルは天国に行ったよ。天国に行っちまった。空に住む生き物がいた。さいきん空には穴が開いてるらしくて、この生き物はその穴に吸い込まれちまった。地面は熱くなってる。で、地面が暑くなると、何もかも燃えてしまうのさみんな順番に。オイラの順番も来るだろ。このサルは天国に行ったよ。天国に行っちまった。もし人間が「5」なら、悪魔は「6」だな。…で、もし悪魔が「6」なら、神様は「7」だ!このサルは天国に行ったよ。天国に行っちまった。…すんません、別にアタマがおかしくなってワケのわからないことを日記に書き出したわけではありません。ちょっと、さっき残業の息抜きにPixiesという10年も昔のバンドの「Monkey Gone to Heaven」という曲を聞いていて、その歌詞を日本語にして書いてみただけです。…それにしても名曲だよなあ。私はよい。したがって、良いのはわたし。わたしは良い。だから、よいのは私。彼はわたしじゃない。ゆえに、彼はよくない。…これもオイラが疲労の極みで支離滅裂なことを言い出したわけではなく、今朝の通勤電車で聴いてた Stereolab の新譜のある曲の歌詞を日本語にしてみたもの。哲学的な歌詞だよな。カッチョイイ曲に合わせてこんなワケわからん歌詞をシブく熱唱しているこのバンドって、やっぱりスゴイ。しかもこのフランス人ボーカルは30代半ばで1児の母だぞ。
2004.03.25
ひさびさにログインしてこのHPの編集ページを確認してみた。「アクセス数」が、HPを立ち上げた当時のような哀れな数字になっていて、ちょっぴり淋しかった(笑)。ま、日記も週末くらいしか書いてないし、コンテンツなんてぜんぜん更新してないんだから、当たり前なんだけどさ。さいきんになって気づいたことなんだが、日本に来てからというもの「海外在住」の楽天仲間のHPをぜんぜん訪問してないんだ、これが。きっと、日本での社会人生活を維持するのに必死なために、(自分が海外在住のクセに)「海外」のことに気を向ける精神的ヨユウがなくなってるんだよな。要は、自分の身の回りのこと(ま、仕事のことがほとんどだが)に日々対応するのにセーイッパイで、ヨソの国のことを考えるどころじゃないんだよな。その昔、若かりし頃、いつも海外から帰国して「サラリーマンのオッサン」の姿を見るたびに、「このオヤジは自分がいかにちっぽけな国のちっぽけな家&会社の中でちっぽけな人生を送っているか、気づいてないんだろうなあ」なんて思ったものだが、考えてみたらまさに今のオイラがその「ちっぽけなオヤジ」のひとりになっている、という皮肉。もしもオイラが通勤電車の中で、カッコつけた若造に「ちっぽけな世界にしばられたミジメなサラリーマンのオッサン」を嘲笑するような目つきで見られたとしても、許してあげよう。それは10年前のオイラなのかも知れないし。また、もしその若造が10年後に「そんなミジメなオッサン」になっていたとしても、許してあげるよ。「ちっぽけな世界」でセーイッパイな生活をするのも、そう悪くないもんだしな。…なーんて言っているオイラは、1ヵ月後には北米でのお気楽な生活に戻れることを前提にしてたりする、ズルい野郎である。バチが当たって、アメリカの会社クビになったりして。
2004.03.24
年に1回か2回くらい、あんまり仕事が忙しくてピリピリしているときに、通常であれば余裕で受け流せたり受け止めたりできるような、上司や同僚などからのちょっとした理不尽な指示だとか反応に対して、「爆発」しそうになることがあるような気がする。いつもなら、「そりゃちょっとムチャでんがな。」と思いつつも素直に「分かりました。」と上司からの指示を受けたり、「おいおい、なんでそんな話になんねん。」と思わせるような同僚の反応も笑って流してしまえるのだが、たまーに「勝手にしろ。」とか「やめたやめた。これで文句があるなら辞めてやる。」とか自分が心の中で啖呵を切っているのに気づき、「お、オイラ、いま結構テンパってるんだな(笑)。」と気づかされるのだ。今週は、自分的には大イベントに当たる「マラソン大会」が週末に控えている関係上、仕事以外にも「ピリピリ」してしまう要因があったりして、ここ1週間で同僚や上司と一歩間違うと「売り言葉に買い言葉」になってしまう目に2-3回くらい遭ってしまった。…いやあ、アブナかったなあ。若い頃はこんなことがもう少し頻繁にあったかもなあ。…よく覚えてないや(笑)。こんな年になってもなくならないんだなあ。そうそう、そんな目にあったいずれの日にも、「ブリーフ」をはいていたよ。やっぱりチンポを圧迫すると「ピリピリ」の度合いが増すんだなあ。(参考)。それと、今週の前半はマラソン大会前の「カーボ・ローディング」http://www.runnet.co.jp/Beginners/Series/PlayBack/Meal/main.htmlの準備のために炭水化物の摂取を避け、昼飯を「豆腐とサラダとスープ」だけで済ましたりしていたため、空腹気味でイライラしていたのもあるなあ。…で、今日からはいよいよカーボ・ローディングを開始して逆に「炭水化物中心」の食事に切り替え、朝から「おにぎり2個とモチ3個」とか、昼・夜は「ラーメン&ライス定食」とか「カレー+菓子パン4個」とか食っている。「弁当食ったのに菓子パン?ずいぶん食欲あるねえ。」とか言われるのだが、食いたくて食っているわけではないのだ。腹がいっぱいになれば「ピリピリ」も収まるかと思ったが、そうでもないな。うまいもんを食って満腹になるのと違って、満足感がないんだなあ。気をつけよう、マラソン大会前のブリーフと、急ぎの仕事。ちょっと字あまり。
2004.03.18
アメリカの大学時代の友人(日記)の妻の妹が突然日本に来ることになった。この男とは卒業してからかれこれ10年くらい会っていないのだが、いまだに たまーに電話やEメールをくれる奇特なヤツだ。今では「Hot Wheel」というアメリカのミニカーのデザイナーとしてそこそこビッグになっている。名前は知られていないだろうが、彼のデザインした「Hot Wheel」のミニカーのファンは日本にも多いらしい。「日本に着いたら義妹をヨロシク」とのEメールを寄こしたこの友人にオイラは「会社支給のケータイ」の電話番号を教え、彼女が日本に着いたらオイラに電話するように伝えておいた。…すると、金曜の晩、残業していたオイラのケータイが鳴った。彼女である。大阪から入国して、一緒に日本に来た友人と一緒に神戸の夜景を楽しんでいるところらしい。オイラは明日東京入りするという彼女と、昼過ぎに東京駅で待ち合わせることにした。週末といえば歯医者を訪問する以外ただひたすら走っているオイラが、誰かとどこかで待ち合わせをしたり週末を一緒に過ごすというのは非常にマレなことである。正直、誰かと会って一日を過ごすなんてオックウになりつつある独身中年のオイラであったが、いろいろと世話になっている数少ない友人の義妹ということで、「走る」ことより「彼女のセワ」を優先することにした。翌日、オイラは指定の時刻に新幹線のホームに降り立つ「目印の緑のマフラーをしたガイジン」とその東洋系の友人を必死で探すも、10数両編成の列車から降りてくる何百人の乗客の中から見つけ出すのはやはりムリな相談であった。…これはもう、彼女がオイラのケータイに電話してくるのをひたすら待つしかない。…ところがこのケータイ、いったん地下に降りたら電波を受信しないらしい。いつまで経っても電話が鳴らないので「もしかしたら指定の電車に乗り遅れたか?」とか思いつつケータイの表示を見たら、5分ほど前に1件着信があるではないか。こりゃマズイ。電波の届きやすそうな位置に移動して電話を待つこと約10分。ようやくケータイが鳴った。目の前に本屋が見える「八重洲南口」で待っているらしい。そこを動かないように指示して「南口」に移動するが、なんと「八重洲南口改札」は新幹線用と在来専用の2つあるではないか!どちらの南口改札を行ったり来たりしてみたものの、「緑マフラーのガイジン」は居ない。オイラはその友人の妻の写真を見たことがあったのでその妹の外見はだいたい想像がついたが、改札周辺にそれらしき女性の居る様子はない。すでに新幹線が到着してから30分が経過している。とうとうシビレを切らして、オイラと待ち合わせるのを断念して宿泊先に移動してしまったか…。と思った矢先、再度ケータイが鳴った。「どこに居る?オイラはまさに南口改札に立っている。手を振ってくれ。」と受話器に叫びつつあちこちを見渡していると、オイラのファーストネームを呼ぶ女性の声がした。キオスクの公衆電話の受話器を握りつつ、オイラに手を振る女性とその友人が居た。ほんらいの待ち合わせ時刻から40分が経過していた。オイラは開口一番、「オイラが日本に住めないのは、自分の母国で待ち合わせするのでさえ、こんなに苦労しなきゃいけないからなんだ!」と言うと、イチオウ彼女もその友人も笑っていた。(明日につづく)
2004.03.06
日本にやってきてからというもの、なんだかやることがいっぱいあり過ぎて、日記を書くところじゃありません。だいたい、あちらにいるときにいつも日記に書いていた「どうでもいいこと」をぼんやり考えるような余裕がないんです。アメリカで働いているときは、いかに時間に恵まれていたかを痛感させられます。いつもそうなのですが、日本に到着したばかりのうちは「メシがうまい!」とか「便利だ!」とか「何でも手に入る!」とか感動しているのですが、そんなふうに感動しているのもほんの1-2週間程度で、ひと月もするとあちらでの生活を恋しく思うようになり、2か月くらいで「ダメだ、そろそろ限界だ、あちらに帰りたい!」という欲求が強くなります。そして、その欲求が爆発する寸前の3ヶ月目くらいにようやくあちらに帰って安心する…というのを日本出張のたびに繰り返しているような気がします。いや、こういう、毎日満員電車に揺られて、礼儀作法や言葉遣いに気をつかって、日々ちょっとしたことに莫大なカネを遣って、夜遅くまで働いて、クタクタになって帰宅する…という日本の生活もそう悪くはないのですが、ハッキリ言ってオイラが「そう悪くない」とか言っているのもそれが“期間限定”であることを承知の上のことだからなんでしょう(笑)。やっぱりイヤですワ。こんな生活を死ぬまで続けるのなんて。オイラはタイクツには耐性がありますが、自分で制御できる範囲を超えた多忙に対する耐性は極めて低いんです。毎日20時間寝るような生活はヘイキですが、いくらウマイものを食わせてもらっても毎日20時間働くような生活にはそりゃ耐えられません。思えば、バブルのさなかに就職活動を一切せずに卒業後も「コンビニの夜勤のバイト」を続け、荷物を整理してアメリカに渡ったのも、自分がこんな生活に耐えられないことを重々承知してたからなんですよね。向こうに住んでてたしかにイロイロ不便はありますが、ガマンできないほどじゃないですモン。ましてや年に1-2回、会社のカネで帰国させてもらえるんですから、たかが3ヶ月くらい「満員電車」も「睡眠不足」も「毎朝ジョギングができない」のも、文句を言わずにガマンしますです、ハイ。きょうは「プロジェクトX」が始まるまでには帰れそうだし。...オイラはシアワセ者デス。
2004.02.23
寝不足のせいもある。環境が激変してストレスがかかっているのもある。日本側の切迫した状況をいまひとつ理解してくれていない米国勤務の日本人社員に対し、きょうは電話で怒鳴ってしまって反省している。「大事なことなので、くれぐれも今日までに調べて報告しておいてください。」とお願いしていたのにもかかわらず、「担当のアメリカ人社員が忙しそうだったので、尋ねることができませんでした」などと言い訳するので、つい切れてしまった。もともとオイラがその指示を出していたのは2週間も前のことだったのだ。だいたい調べる手段なんていくらでもあるだろうに。...しかし、その場にいたオイラの上司は、アメリカにつないだスピーカーフォンに罵詈雑言を浴びせるオイラをたしなめ、電話の向こうの社員たちに「おそくまで協力どうもありがとうね。」などと笑顔でいうのであった。「おそくまで」といっても、アメリカはまだ午後6時台だ。オイラの上司はここ1週間、連日ほとんど徹夜に近いというのに…。エライなあ。感情的な対応をしてしまったオイラは、反省しながら「オイラが今日イライラしているのは、半分以上はパンツのせいだ」と思った。オイラは通常はボクサー型の下着を着けているが、たまたま2着だけ「ブリーフ型」のパンツを持っている。ボクサー型のパンツをはいている時は比較的温和なオイラだが、ブリーフをはいている日はなぜか生理の前の女性のようにイライラすることにさいきん気づいた。局部を圧迫されると、まるで小便をガマンしているかのようにソワソワ落ち着かなくなり、テンションが高くなる。呼吸も浅くなり、声のピッチもやや高くなる。いわば、「ハイ」な状態になるのだ。何かを急ぎの仕事を片付けたりするときや、緊張を要するような場面ではブリーフが向いているかもしれない。「短距離レース」みたいな機会にも向いているかもな。…そういえば、オイラが通訳学校に通っていたときの先生は、通訳仕事の時にはブリーフをはくとか言っていた。特に同時通訳の仕事のときはゼッタイにブリーフだろう。しかし、冷静沈着な態度を要求される日にブリーフをはいていたばっかりに、失言をしてヒンシュクを買ったり、超特急で仕事を片付けられたのはいいが、後でうっかりミスが発覚したり、好意をもたれるべき女性に不審がられたり…とまったくブリーフはオトコ泣かせなヤツだ。この週末はちゃんと洗濯して、来週はまいにちボクサー型をはけるようにしたいものだ。
2004.02.20