日記 神と物質(12)
この日記は平成11年11月24日から平成12年2月3日にかけて書かれたものです。一覧で日記を選んで通して読んでください。前生として生きた300年前の私は、もっと直接的です。闘いという場において、相手を殺さねば私は生き残れなかったのです。そして、勝てば官軍、負ければ国賊として、私には食べ物が与えられました。それ故に、前生での私の一族は途絶えることが無かったのです。それでも私の前生の生活は苦しかった。子供に食べ物を与える為に、私は盗みもしたのです。子孫を残す為に、ありとあらゆる悪さをしました。それとは別に自分の快楽の為に他人の女房も盗みました。人を憎みました。人をおとしめました。考えられるすべての悪さをしたのでした。今改めて思い出しても、恥ずかしい事ばかりです。それらの事が神としての私のまわりにビッシリと垢としてこびりついていったのです。 前生の人間としての体から脱出した私は、飛び出してみて、とんでもない事に気付きました。私自神がその汚れた皮から脱出出来ないのです。そんな状態に陥った私の焦りを、君はわかってくれるでしょうか。しかし、結果的には私は救われました。他の神様のお陰です。人間として、他の人間に勝たねばならない。負けるという事は死ぬという事で、子孫を残せない。その人間としての根元的なジレンマというものを他の神様は知っています。知っている故に神様は、霊界で待っていて下さったのです。 宇宙には、始めは、神様の世界と人間の世界しかありませんでした。神界と現界といいます。だが、次々と神であった存在が、その粒の表面に体験という衣服をまとって戻ってくる。しかもその衣服は、生き残る為のやむを得ない事情と、その神の快楽の為からしてしまった体験という汚れをつけて、幾重にも身にまとってしまっている。でも待っていて下さった神様は捨てなかった。見捨てはしなかった。こんな極悪非道の私のこの衣服の汚れを、とってくれました。申し訳ない事です。人間の根元である生き残る為の最低の事ならまだしも、私のよこしまな快楽の為だけの汚れすらも、取り除いてくれました。神様があなたを許すというのは、実はこの世界での事なんです。人として死に際し、今までの罪をお許し下さい、私は罪深い人間でしたと告白すれば許して下さるというのは、大ウソです。本当の神様は、人間の中に入っていた神の犯した罪は、そのままでは許しません。死後の世界で1つ1つ自分のやった事を見せられ、その1つ1つにお詫びをせねばならないのです。並大抵な事ではありませんでした。でも他の神様は懸命に働いてくれました。私はそのお陰で汚れのとれた私の衣服を、やっと脱ぐ事が出来たのです。私は元の神に戻れました。感謝以外の何ものでもありません。