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カテゴリ:文化
水俣病が問いかける課題 ――胎児性患者の〈被害と障害〉〈補償と福祉〉 野澤 淳史
水俣病をめぐる運動では患者の認定と補償が大きな争点になったが、その中抜け落ちた課題の一つに胎児性源病患者の自立という課題がある。『胎児性水俣病患者たちはどう生きていくか』(世織書房)は、そうした水俣闘争の陰で見過ごされてきた、胎児性患者の〈被害と障害〉〈補償と福祉〉という困難な問いに迫っている。著者の野澤淳史・東京経済大学専任講師に聞いた。
裁判、認定制度の陰で 大学院で水俣病問題を研究していた私は、障害学にも関心があり、学外で介助者として障害者の日常生活支援に携わっていました。ですので、研究活動の早い時期から胎児性患者の自立とその支援がテーマでした。 当時は胎児性患者の多くが50代になる頃で、高齢化に伴う介護が切実さを増していました。親なき後の現実という重たい課題です。生まれながらに水俣病の被害者である、かつ障害を背負って生まれてきた胎児性患者が直面する困難は被害補償だけでは解決されない、そう感じました。 この問題を環境社会学の「被害」という概念だけで解くことはできません。被害を問い続けるだけでは、患者の認定や保証で終わってしまいます。しかし、半世紀以上にわたる水俣病の運動が導き出す答はそれだけでしょうか。水俣の中で最も強い被害を受け、障害を負って生きてきた彼らに向き合うには、「被害は何か」という問いと問いの立て方だけでは十分ではないでしょう。胎児性患者の診療に長く携わった原田正純医師は、被害と障害の接点を見つけない限り水俣病問題は解決しないと語っています。障害学の視座も必要です。 水俣闘争が激化した1970年代、脳性まひ者の団体である「青い芝の会」が、被害の悲惨さを訴える反公害運動の主張に潜む障害者差別に御義を申し立てたことがありますが、反公害運動やそれを源流とする環境社会学が障害者の主張に耳を傾けることはありませんでした。それほどまでに認定制度や裁判が運動的にも学問的にも大きな課題であったといえます。 水俣では、被害が認められた先にある胎児性患者の自立という課題は見えない〝周辺〟にありました。同時代的に見れば、他の障害団体がその後の自立生活運動につながる主張をし始め、胎児性患者もまた自立を求めているのですが、両者の運動が重なり合うこともなかったのです。
周辺に置かれた自立への訴え 求められる「課題責任」の共有
可能性の剥奪という被害 被害という視座からは見えない胎児性患者の自立という課題を、本書では「ディスアビリティとしての被害」と呼んでいます。「ディスアビリティ」とは、障害学に基づいて言えば可能性の剥奪です。公害被害の象徴として掲げられてきた胎児性患者は、被害者と名指しされることで自立の可能性を剥奪されてきたのです。 70年代、彼らは働くことを求めて加害企業であるチッソに対し声を上げました。現在は、施設ではなく、介護を受けながら地域で自立した生活を送り続けることを望んでいます。こうした訴えに対する議論が圧倒的に欠けていることを私たちは自覚すべきだと思います。 また、本書では、自立という課題に対し、「補償か、それとも福祉か」というテーマについても論じています。胎児性患者が求めていた自立は、障害者福祉制度の進展と歩調を合わせながら徐々に実現しているようにも見えます。ゆえに、補償ではなく福祉施策をさらに充実させることで問題を解決できるかもしれません。 しかし、それでも補償か、福祉かといえば、水俣病は工場排水を無処理のまま海に流し被害を発生させた企業や、それを規制しなかった行政の犯罪が問われた事件であり、福祉サービスも含め、加害者による補償が原則であると私は考えています。
簡単には答えを出さないこと
それでも残る違和感、恐れ 補償それ自体は解決策として実践的ですが、それでも私が環境社会学に感じる違和感、更に反公害運動に潜む障害者差別――本書ではそれを「日常の優生思想」と呼んでいます――と、どう向き合えばよいのか、課題はなお残ります。反公害運動やその後に続く環境問題が訴える安心・安全の論理には、障害のある子どもが生まれることに対する恐れが組み込まれたままです。 また、環境汚染による被害も生涯なのだと肯定しきることもできません。それでは、公害を持つ前提、水俣であれば、有機水銀の排出が早く止まっていれば、障害を負うことがなかったとの患者の訴えに答えたことにはなりません。 最も重要なことは、簡単には答えを出さないことだと考えています。私たちはこのようなギリギリの場所に立っている、そこに意識を向けることが必要です。 その時に鍵を握るのが水俣病患者の緒方正人さんが語る「課題責任」ということです。加害者も被害者もその位置付けは変えられないけれど、一人一人の人間として課題を背負うというところで共通する基盤に立ちうるという思想です。 高齢化する胎児性患者がどう生き切るかという課題を起点として、私たち一人一人が「課題責任」を共有することが、いま求められているのではないかと考えています。
のざわ・あつし 1982年生まれ。日本学術振興会特別研究員(PD)などを経て現職。明治大学・中央大学兼任講師。博士(人間学)。専門は障害学、環境社会学。著書に『気候変動政策の社会学』(共著)などがある。
【社会・文化】聖教新聞2022.12.6 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 21, 2024 03:36:31 PM
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