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August 28, 2024
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カテゴリ:文化

「急行」列車のノスタルジー

鉄道写真家  南 正時

全盛期は全国で180種走る

2016年にJRから姿消す

戦後日本の高度成長期支え

「急行列車」。すでに日本鉄路(JR)から姿を消した懐かしい列車になってしまった。JRで最後まで残った定期急行列車は、青森―札幌間を結んでいた「はまなす」で、20163月に北海道新幹線の開業に伴い廃止され、ここに国鉄からJRに至る急行列車はすべて廃止された。絶滅した急行列車の数々の軌跡を繰り返しながら、その存在を改めて検証してみたい。

長距離を走る急行列車の多くは客車を機関車が牽引する列車だった。その代表的な列車が昭和30年代、東海道・山陽本線を走破して東京と九州を結んだ急行「高千穂」「雲仙」などであった。まだ電化されていなかった岡山以西や九州内は蒸気機関車などが先頭に立っていた時代もあった。その時代の急行列車は国鉄における最上級列車で、特別な急行列車が「特別急行列車」すなわち特急だった。特急はまだまだ運転本数が少なく特急列車も高額なところから急行が多く利用され、1970年代の急行全盛時代は180の急行列車が全国津々浦々を駆け抜けていた。

私がこれまで印象に残る上野発の夜行列車で上野―青森間の「津軽」「八甲田」である。この二つの列車は昭和30年から40年代には東北からの季節労働者、金の卵といわれた集団就職者たちに利用されていた列車で、特に盆や正月の帰省時には「せめて急行を奮発して故郷に帰りたい」という気持ちから「出世列車」とも言われていた。私も駆け出しのころにはこの列車にお世話になり東北や北海道の蒸気機関車の撮影に出かけたものだ。

この列車の思い出は尽きないが、「撮り鉄」的に言えば、この列車は東北本線の黒磯と上野間はEF58形電気機関車が牽引した。特にD51よりも古い1940年生のEF57形は前面にデッキが突き出たいかつい外観の機関車で、鉄道ファンの注目の的だった。これらの急行が冬には客車に雪を付けて上野に到着する姿は特に外観が深かった。

急行列車は、戦後の日本の鉄塔と高度成長期を支えてきたが、旧国鉄末期に進められた増収目的の特急への格上げや、新幹線の開業による在来線合理化などで相次いで姿を消した。そして、明治期から続いてきたその歴史は平成の時代に途絶え、いまや「急行」の名称は一部の私鉄の通勤電車などに残るだけとなったしまった。

(みなみ・まさとき)

 

 

 

【文化】公明新聞2023.7.7






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Last updated  August 28, 2024 04:19:37 PM
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