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カテゴリ:文化
ドライブインの現在 ノンフィクションライター 橋本 倫史 復興の道路網とともに拡大 高速道路の整備などで減少 1950年に横浜で撮影されたドライブインの写真を確認すると、売店を意味する「PX」の文字が掲げられ、アメ車を乗り付けてハンバーガーをほおばるアメリカ人の姿が映し出されている。マクドナルト日本1号店のオープンは1971年だから、当時はハンバーガーになじみのある日本人はほとんどいなかったはずだ。当時のドライブインには、アメリカの輝きが宿っていた。 進駐軍とともに日本に普及したドライブインは、道路網が整備されるにつれ、全国各地に拡大してゆく。戦後の復興が進み、生活が落ち着くにつれ、バス旅行が人気を博した。そこで、行楽地や景勝地のそばにドライブインが開店する。あるいは、モータリゼーションの進展とともにトラックが物流の主役となっていくにつれて、幹線道路沿いにドライブインが軒をつられるようになった。 だが、高速道路の整備が進んだ上に、コンビニやファミレスが普及したことで、ドライブインは数を減らしてゆく。ドライブの途中に立ち寄るとすれば、高速道路沿いならサービスエリアになるし、一般道路沿いなら道の駅に立ち寄る人の方が現在は多いだろう。こうしてドライブインは少しずつ「レトロ」な存在となったのだ。
一軒一軒に戦後と土地の歴史 時代が一巡りし新規の出店も
今の感覚からすると、「どうしてそこに?」と首を傾げたくなるような立地の店舗もあるけれど、そこには必ず理由があり、土地の歴史が刻まれている。一軒一軒のドライブインに、戦後日本の歩みが刻まれているのだと、取材を通じて感じた。 終戦から78年を迎えた今、戦争体験の継承に焦点を当てられている。戦争の記憶が遠い昔になりつつある今、戦後という時代も遠のきつつある。昭和57年生まれの私にとって、「戦後」という言葉はどこか観念的な響きを帯びていたけれど、ドライブインに刻まれたひとつひとつの記憶を辿っていくことで、戦後という時代を立体的に生き生きしたものとして感じられるようになった。 コロナ禍になる前は、惜しまれつつも閉店したドライブインの跡地を利用した町おこし企画やアートプロジェクトも2軒ほど見かけた。いずれの場合も、地域に愛されたお店の記憶を未来に引き継ぎたいと立ち上げられた企画だった。 ドライブインの記憶はどう引き継がれてゆくのか。 神奈川県平塚市にある「ペッパーズ・ドライブイン」には、店主のこだわりのアメリカンな空間が広がり、オールディーズが流れる「レトロ」な空間だ。だが、オールディーズをリアルタイムで聞いたことのない若い世代でも、来店すると「懐かしい」と感想を漏らすのだそうだ。 ここ最近は、新規出店するドライブインもある。時代が一巡したことで、ドライブインはかえって新しい存在となり、脚光を浴びつつあるのかもしれない。
はしもと・ともふみ 1982年生まれ。リトルマガジン『HB』などを手がける。新著に『ドライブイン探訪』(筑摩書房)、『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』(木の雑誌社)など。新聞や雑誌等で連載も多数。
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Last updated
September 30, 2024 05:46:34 AM
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