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カテゴリ:文化
豊かな想像力で育まれやがて芽吹く種子 アニメ研究家 氷川 竜介
—宮崎 駿監 督作品- 君たちはどう生きるか 宮崎駿監督ならではのイマジネーションの奔流。卓越した描写力によって空想世界にグイグイと引きずりこまれるアニメーションの映画だ。「死別した母に再会したい」「新しい母親になじめない」など現実と齟齬を生じた少年が、「ここではないどこか」に旅立ち、何か違うルールを持つ世界で現実を再検討できる経験を積んで帰還する。つまり、神話から連綿と紡がれてきた物語の王道が援用されている。 ただし、目の前に現れる事象には、遊園地のようなガイドや安全装置が付いてこない。観客は自分の内面にあるものだけで判断し、受け入れたり拒絶したりしながら、意志の力で先へ進む必要がある。振り落とされる人も少なくないだろう。 筆者は言外に示されたイメージの総体から、脳内が刷新された気分がわき上がりつつ、劇場を出た。そんな体験性の強い、稀有な映画とも感じた。場面の写真の一枚すらなく(執筆時点)、具体的な解説が皆無だったのも、体験の純度を高めるためだろう。最終的に問われるのは「君たちはどう語るか」だから、「うまい宣伝手法ですね」などと言ったとたん、映画の側から冷ややかな視線が飛んでくる。迂闊な語り方をすると底の浅さが露呈する、そんな怖さも備えているのだ。 これは、「あれは何だったのか」と引っかかったところを反芻し、自分の変化や成長に即して再吟味できる点で「残る映画」だとも思った。アニメが「コンテンツ」と呼ばれ始めて以後、マネーメイキング目当ての「消費物」の性質を帯びた作品が無数に繁殖した。この映画に登場するインコの群れもそう見えたりするが、ただしそんな下世話な反骨心だけで、この映画は作れない。むしろ宮崎駿監督が「物語」に対して、それまでよりも誠実に向き合っている点に心を動かされた。 実は、題名に引用された吉野源三郎の小説以外に、本作に影響を与えた小説はもうひとつある。『失われたものたちの本』(ジョン・コネリー著、東京創元社)という児童文学で、監督の推薦文にも帯に添えられている。同署は、母と死別した少年が新しい母とその子になじめず、姿を消したい血縁の遺物から「物語の世界」へ旅立つという内容だ。構造的に関係があるわけだが、もっと注目すべきは、亡き母が「物語とは何か」を主人公の少年に語る序盤部分である。人の想像力に根を下ろし、その人を変えるものが物語であり、決して固定されたものではないと、そんな趣旨が語られている。 映画『君たちはどう生きるのか』に詰めこまれた諸要素も、観客の深奥深くに忍び込み、やがて芽吹く「想像の種子」だと考えられる。だとすると題名は、「君たちはその趣旨を育てられるか?」という問いかけではないか。映画の中で傷つき汚れた少年の心は浄化され、拒絶していた他者を「お母さん」「友だち」と呼べるように変わる。「さて、君たちは?」と考えれば、これも一つの種子であろう。 こうした問いかけと答えを、多くの人と末永く語り合えるという点で、本作は、「今だからこそ必要とされる物語」になったのではないだろうか。
ひかわ・りゅうすけ 1958年生まれ。東京工業大学卒。著書に『日本アニメの革新 歴史の転換点となった変化の構造分析』(KADOKAWA)など。
【文化】公明新聞2023.8.23 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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October 7, 2024 06:10:12 AM
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