|
カテゴリ:文化
郷土かるたで学ぶ地域の歴史と文化 大東文化大学教授 宮瀧 交二 昭和初期から各地で数多く誕生 皆様はお正月に〝かるた〟遊びをしていますか? 今日は私たちが暮らす地域の歴史や文化を楽しく遊びながら学ぶことができる「郷土かるた」についてお話します。 まずは〝かるた〟の歴史をたどってみましょう。ご存じのようにその語源はポルトガル語のcarta(もちろん英語ではcard)です。広義には南蛮貿易によってポルトガルなどの異国からもたらされたトランプなどのゲームカードも〝かるた〟になりますが、日本では一般に「百人一首」や「いろはかるた」のような「読み札」と「取り札」からなるものを指します。 これに類する遊びとしては、蛤の貝殻を左貝と右貝の二つに分け、それぞれの内側に和歌の上の句・下の句や絵画を描いて、他の蛤の貝殻を見つけ出すという「貝合わせ」遊びが、すでに平安時代から貴族の間で人気を集めていました。こうした遊びが南蛮渡来のゲームカードと結びついて、江戸時代初期には、現在の「百人一首」のような〝歌かるた〟、注いて「石の上にも三年」(どんなに困難なことでも、じっと我慢して努力すれば、いつかは必ず報われる)というたとえや諺などを記した〝たとえかるた〟の「読み札」の冒頭に、いろは四十七文字を一つずつ用いた「いろはかるた」も、江戸時代の終わりまでには誕生したようです。 さて、このような〝たとえかるた〟とりわけ「いろはかるた」をはじめとする各種の〝かるた〟は、明治政府が欧米にならって導入した学校教育の現場や庶民の家庭などでも、一種の教育玩具として、ますます普及していったようです。そして、地域の歴史や文化を遊びながら学ぶことが出来る〝かるた〟として昭和期に作られたのが「郷土かるた」です。
『上毛』は今も県民に高い人気
「郷土かるた」は、都道府県、あるいは市区町村を単位として作られていて、その総計は二千種類を超えているようです。そのような中、「郷土かるた」の代表とも言うべき長い歴史と県民からの高い人気を誇っているのが、昭和二二(一九四七)年に群馬県で誕生した『上毛かるた』ではないでしょうか。群馬県内の小学校では早くから授業に導入され、よく、昭和二三年から毎年「上毛かるた競技県大会」も開催されています。今年二月には前橋市のぐんま武道館で第七四回大会が盛大に開催されたようです。「浅間のいたずら鬼の押し出し」以下、五十音に「読み札」が作られていて、登場する群馬県ゆかりの歴史上の人物には、高校の歴史教科書等でもおなじみの内村鑑三、関孝和、田山花袋、新島襄、新田義貞らがいますが、その一方で、船津伝次平(農業技術指導者)、呑龍上人(浄土宗の高僧)、塩原太助(豪商)といった人物は、全国的な知名度は決して高くはありませんが、『上毛かるた』に取り上げられていた故に、群馬県民の間では高い認知度を誇っているようです。どうかお近くに群馬県出身の方がおられましたら、この『上毛かるた』についてたずねてみて下さい。きっと話が止まらなくなること間違いなしです。 ちなみに私が暮らす埼玉県にも、昭和五七(一九八二)年に誕生した「さいたま郷土かるた」をはじめ、六十種類前後の「郷土かるた」がありますが、群馬県のようには普及しておらず残念です。また、西日本地域にも「郷土かるた」はありますが、その種類は少なく、「郷土かるた」は〝東高西低〟のようです。 (みやたき・こうじ)
【文化】公明新聞2023.9.3 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 14, 2024 06:20:47 AM
コメント(0) | コメントを書く
[文化] カテゴリの最新記事
|
|