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資本主義の〈その先〉へ 大澤 真幸 著 異なる〈普遍化〉によって内側から克服 北海道大学教授 橋本 努 評
資本主義の次に来る時代を想像することは、いかにして可能だろうか。本書は、この大きなテーマをめぐる、著者の長年の施策をまとめた到達点である。講義スタイルの文体で読みやすく。随所に深い洞察が散りばめられている。 資本主義を超えるといっても、私有財産を否定するわけではない。資本主義の根幹は肯定する。けれどもその行程は、逆説的にも資本主義の否定にいたるというのが著者の論理である。 資本主義というのは、絶えず剰余価値を生み出すことで、資本の蓄積が無限に可能になったシステムである。マルクスはこの剰余価値が、労働の搾取から生まれると考えた。けれども著者によれば、これは経済的な価値が次第に広範な文脈で評価されるという、システムの普遍化の作用によるものだという。 例えば、中世末期に台頭したメディチ家は、通貨間の交換レートを利用して、独創的な高利貸しのシステムを築いた。その富は、通貨間の違いをいわば普遍化する知恵に支えられていた。市場経済の拡大もまた、同じような普遍化の作用をもっている。私たちは他国の商品を買うときに、同時に自身のアイデンティティを拡大している。売買を通じて、私たちはいっそう普遍的な存在になっていく。こうした作用は、近代科学の発展や、プロテシタンティズムの予定説などと並行して進展してきた。 加えて小説も、資本主義とともに、普遍化の欲望に支えられて隆盛したという。小説は、「この私は何者なのか」という問いをめぐって、私的な文体を発達させてきた。私は一人の個性的な人間であるとして、潜在的には別の人生を生きたかもしれない。小説はそのような虚構を描くことで、私たちのアイデンティティを拡張していく。晩年のフローベールは、『紋切型辞典』という、物語を構成する要素の一覧表を作った。これは私たちが、あらゆる可能性の組み合わせを生きたいという、普遍化への衝動に支えられていたのではないか、と著者はみる。 しかしこうした普遍化の欲望には、資本主義を否定する景気もある。私たちの社会には、儲からないけれども生きがいになる仕事がある。そうした資本主義的な仕事を徹底的に実現していくと、それは資本主義を超える〈普遍化〉の作用となって、資本主義を内側から克服するのではないか。資本主義は普遍化の運動であるとして、私たちはそれとは異なる普遍化を目指すことができるのではないか。 かつて見田宗介は、交響圏という、互いに響き合う自発的なコミューンを理想とした。これに対して著者は、私たちが互いに他者の潜在的な可能性を引き出しあうような、普遍的で相乗的な関係を展望する。資本主義とは別の社会に向けて、私たちはどんな活動をすべきなのか。そのためのヒントになる具体例を示した快著である。 ◇ おおさわ・まさち 1958年、長野県生まれ。社会学者。専門は理論社会学。思想誌『THINKING「O」』(左右社)主宰。東京大学大学院社会研究科博士課程修了。社会学博士。
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Last updated
November 2, 2024 04:35:49 AM
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