「わたしが・・・」と思うとき
目先の心配事や、日々の雑事に心を奪われているとき、気がつけば「わたしが・・・。」と思っていることが多い。日々の段取りについて、「わたしが・・・を仕上げてしまうためにはこうでなくちゃ。」子どもの要求には、「今わたしが・・・をしているから、それはできない。」祈る時ですら、「今日わたしが・・・をするために、守り導かれますように。」うまく事を運ぼうとしているにもかかわらず、イライラが募る。子ども達にもガミガミうるさくなる。あれ?なんか変。「自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分の命を失った者は、それを自分のものとします(見いだします)。」マタイ10:39自分の心を精励なる神に明け渡し、イエス様に従っていこうと決心したはずなのになぁ。どうりで心が穏やかにならないはずだ。「みこころがなりますように。そのみこころ示すささやき声を聴き取ることができますように。」