1・11憲法9条を守り生かす講演の夕べ~超主観的講演内容のまとめと感想
「今、この時代に、このごろ考えること」作家、憲法「九条の会」呼びかけ人 小田実氏小田氏はまず、今年1月に阪神淡路大震災10周年を迎えるにあたり、震災について話されました。彼自身も家族も親戚も被災され、家のすぐ横で高速道路がひっくり返ったといいます。昨年末にインド洋での大津波災害がありましたが、大きな災害というものは、物事の飾りがはぎ落とされて剥き出しの本質が出てくる、それは社会の本当の姿だとか人間の本当の姿だという。日本一豊かな地域であった神戸が、そのすぐ前にテレビ報道されていたルワンダ難民収容所の(悲惨な)状態になった。避難所に集まり、コンクリートの床に地べたで寝て、食糧配給もなかったという。給水車も来ず、行政による広報もなかった。備えがなかった。これはいったいなんだ?!そこで、「市民が市民を助ける」「軽症者が重傷者を助ける」という戦地での原則をもとに、運動を始めたそうだ。そこで集められた資金は市民救援基金として、市民生活再建のために使われた。ところが、行政の集めた義援金は、市民生活そのものではなく、建物や道路の建設に使われた。行政のやることには隙間がある、それどころか全部隙間だらけということがわかった。隙間のところに本当なら公的援助が必要なのだ。行政は平気でうそをつく、政府の言うことを信じたらいかん。ほかの国では違う。まず生活基盤ができて市民が安心して初めて、生活の復興・回復の第一歩と考えている。危機が起きたら、まず市民生活再建のために公的援助金をまず出す。それを日本は、個人の生活は個人の自助努力でということで、また法律がないということで出さなかった。今でもほとんど変わっていない。阪神淡路大震災の1年前に、アメリカのノースリッジ大地震があった。高速道路がひっくり返っているのを見て、日本政府は「日本ではありえない」と言っていた。その際アメリカはいち早く個人に公的援助金を出したそうだ。そのときのアメリカの言い分がこうだ。「アメリカ合衆国は民主主義の国だ。 民主主義の中心は市民だ。 市民の生活が危機に陥るのは民主主義の危機だ」自助努力というのは、「お上は何もしない、お前ら勝手にやれ」ということ。この国はなんだ?!総理大臣や代議士に震災の責任はない。ただ、われわれの税金で彼らを"働かせ"われわれの生活が安定するように、彼らに政治を"させている"。これが"主権在民"だ。しかし、「自助努力で」といわれることで、震災が"人災"に変えられている。「生活基盤は必要な人に最低の生活援助を!それができてから、自助努力ができる」実は島原の雲仙岳噴火、奥尻島の地震の時には、(一人当たり?一世帯当り?)1200万円の義援金が渡された。阪神の時はたった40万円。政府が言うには「被災者が多すぎた。」被災者のせいなのか?!これが同じ国なのか?!これはいったいなんだ?!生活再建のためには、国からの公的援助がまずベースにあり、地方自治体からの公的援助がそれに乗っかり、さらに民間からの義援金が上乗せされるという3階建てであるべきだ。生活再建とは、住居の確保、事業所の確保、雇用の確保の3つ。危機は、政治テロと自然テロ(災害)と考えることができる。この二つ全体を含めて国を変えていかなくてはならない。政治テロはアメリカ追従を止めれば、なくなる。日本は災害大国として、自然テロにも十分備えていかなくては。そこで、平和憲法が生きてくる。日本だけの問題ではなく、地球的規模の視野で。インド洋津波のあと、きっと難民が多く出るだろう。それを日本は受け入れるべきだと思う。戦後、日本に"民主主義と自由"をもたらした国が、その後も一方的な殺戮と破壊を繰り返している。第2次大戦終了間際、アメリカ国内では"平時"だった。新聞には、大阪などの大空襲攻撃の記事の横に株式市場、靴やバッグの広告などが普通に載っていた。日本は完全な負けだった。天皇が降伏を受け入れるのに、アメリカは数日間空襲を中断したが、天皇はわが身が心配で降伏をぐずぐずしていた。陶磁の3人の悪者であるヒットラーとムッソリーニは既に殺されていた。残るは"ヒロヒト"だけだった。そうしている間に8月11,12日空襲が再開され、また多くの人が亡くなった。天王星保持の内諾をアメリカに取り付けてようやく降伏したという。アメリカ空軍の偉いさんが後に"日本の航空自衛隊の発展に寄与した"ということで勲章か何かを授けられたそうだ。その彼が、ベトナム戦争を指揮した時に言ったことが「ベトナムを石器時代に戻す!」戦争体験者は、第2次大戦後も"戦争の継続"を語り継がなくてはいけない。戦争非体験者は"爆弾で解決するのか?"と問い続けなくてはいけない。爆弾で解決しないからこそ、パレスチナではアッバス氏が出てきて話し合いでの解決を目指している。ほかの国や地域で、今こそ、日本の平和憲法が注目を浴びているとも聞く。日本国憲法前文は"世界平和(反戦)宣言"で、それを具体化したのが9条(非暴力、非武装)だという。是非前文を読んで欲しいと。「民主主義・自由=平和主義・平和憲法今こそ9条」-----以上がわたしなりにまとめた内容です。はじめに震災の話が出ていたので、戦争とどう関係があるのか、と思っていました。話を聞くうちに、小田氏の大きな大きな視点、時間も空間も超えるような視点を感じさせられました。「私はこう思う」という理屈ではなく、事例を挙げ、そのつど「これはなんだ?!」と問いかける姿勢、そしてそれを原動力とする行動力に感服しました。アメリカ民主主義の光と影が対照的に思われました。"主権在民"という基本姿勢がアメリカ社会に"当然"あることを初めて知ったように思います。反面、民主主義を世界にもたらすという名目で、今もなお、対等な戦争どころか「一方的な攻撃と破壊」がくり返し続けられている事実。憲法9条は、決して時代遅れのものではなく、何十年も時代を先取りしたものなんだと、新しい"目"が開かれたような気がしました。