犬の病気と散歩と人生論
今日は、シーズーちゃんの散歩で、スティーブに会った。お互いにしばらく会わなかったね、と言い合った。 スティーブは私が日本に帰っているのだと思っていて、私は、彼がサンタクルーズに戻ったと思っていた。お互いの散歩の時間がずれていたことと、シーズーちゃんが病気だったので、散歩が5分。私の散歩が短かかったので、会わなかったようだ。 シーズーちゃんが、イーカラーをしているので、スティーブから、どうしたのかと早速、尋ねられた。昨日、シーズーちゃんが目の手術をしたことを言うと、”I am so sorry”と言われた。(こういう時も、I am sorryなんだけど、私は、他人の悲しい話を聞いた時に、どうも、この表現が言えない。) スティーブからは、”I have a bad news for you”と言われたので、ミッシェルに何かあったのかと思った。が、犬のセサミが癌に罹ったとのことだった。”Not curable, but treatable”なので、キーモ・セラピーを始めるそうだ。 ミッシェルは、大分、落ち着いてきたので、あと、数日で散歩に出れるとのことだった。 「ああ、ここ数日、お互いに大変だったのね。シーズーちゃんの手術をする前は、私は気が落ち込んで大変だったのよ。(英語でね)」と言うと、「人生って、チョコレートのようなものなんだよ」と、スティーブが言った。 頭の中にチョコレートを思い浮かべたが理解できなかった。不思議な顔をして、スティーブの目と覗き込むと次のような説明だった。 チョコレートには、スイート・チョコレートとビター・チョコレートの2種類ある。美味しいのはスイート・チョコレートだが、身体にいいのは、ビター・チョコレート。だから、ビターな経験はつらいことだけど、それが、人間を成長させる。お互いに、愛犬が病気になって、つらいけれど、健康がいかに大切か学ぶいい機会なんだ、ということだ。 お金よりも健康、とも言っていた。家族や自分の愛するものが健康でいることが一番、大切なことだ、とも言っていた。 私とスティーブとは親子ほど年齢が違う。日本人同士では、特に、これだけの年齢差があると、目上の人に人生論を語るということはないのではないか。特に、「人生はチョコレート」といったようなことを言って、慰めるといったことは、日本人同士だと、お互いに恥ずかしくてできない。 しかし、「人生はチョコレートのようなもの」と言うところが、彼の母親と似ていると思った。彼の母親のミッシェルは、人生論を語るのが好きだった。私は、そうした彼女の人生論を聞くのが好きだった。 スティーブによると、あと2,3日で、ミッシェルは散歩に出れるそうだ。早く元気になって、昔のミッシェルになって、人生論を語ってほしい。