親父の入所
本日、朝10時に近くの施設から迎えがあり、親父は起き抜けの眠い状態で、パジャマの上から、ダウンジャケットとニットキャップで車椅子に乗って、そのまま車に載せられました。荷物を係の人に渡し、「お願いします」と言うと涙が出ました。親父には、「リハビリ頑張ってや」としか言えませんでした。自分の限界はあるけれど、まだ先なんじゃないかと自問していました。しかし昨日の夜、布団の中で合わせた手をブルブル震わせて、「どうしたらええんや」「殺してくれや」と言われたら、この先どうしたらいいのか判らず、やはり施設で専門の人や他人との接触を増やさないと、家族(特に息子)への依頼心や甘えが増幅するばかりで、1時間の外出もままならず、夜中も目が覚める度に起こされ、きっと自分が潰れてしまって、この先介護どころではなくなると感じました。それからの今日一日は、あぁ昼ご飯の用意はしなくていいんだな、2時に見守りに行かなくていいんだな、4時半に夕食を作らなくていいんだな、7時半に様子を見に行かなくていいんだな、9時に帰らなくていいんだな、転けてないか心配しなくていいんだな・・・。する事がなく、気が抜けた状態でした。思えば、 5年程前に親父にアルツハイマーの診断が下った時から、我々家族の介護との戦いが始まったと思います。一軒家での生活の限界、そして親父の認識障害や歩行困難での転倒から、引っ越しを決意して、すぐ近くのバリアフリーのマンションを手に入れ、引っ越したものの、今度はお袋の転倒による骨折入院。退院してからは家事が困難になり、食事の用意をして、ヘルパーさんに配膳を頼むようにもなりました。その間、親父は週3回訪問看護士に来てもらい、入浴、排便、リハビリマッサージを受けるようになりましたが、何もしなくなったお袋への言葉の攻撃も始まりました。去年は、親父が2月に風邪で歩行困難になりその後回復、夏に脱水症状で救急車で点滴を受けに行きその後回復を繰り返し、そして秋にお袋が転倒して入院しました。ここ5年ほどの介護の日々でしたが、少しずつ両親の状態が悪化し、とうとう今日、ある意味、二人ともが手を離れました。お袋が入院して以来、仮同居していたわけですが、2月になって引っ越しをして完全な同居となりました。しかし、あっという間にその時間は去り、我々夫婦だけが残りました。その間、親父とはゆっくり話す時間もあり、貴重な時間を残せたと感謝しています。大学に進学する為に親元を離れて以来、親父とゆっくり話す時間はほとんど無くなりました。そして卒業してからも喫茶店で勤めるようになって、あいかわらず東京で生活していたわけですが、18年前、奈良で店を始め、近くに親が越して来てからも、なかなか打ち解けて話す機会はなかったと思います。それがこの何ヶ月かは、仕事が終わってからの数時間、親父との時間を持とうと努力もしましたし、親父もその時間を楽しみにしてくれていたと思います。何度も「お前には感謝してるよ」といってくれましたし、反面「お前なんか出て行け」と何度か言われました。嬉しさと辛さ、喜びと悔しさの同居した、貴重な3ヶ月でした。これが最後ではありません。.(ピリオド)ではなく,(カンマ)なだけです。これからも少しは書くかもしれませんが、見守っていただけたら幸せです。