自分にとっての「転機」
夏ですね・・暑いですね・・・夏が来ると思い出すことがあります自分のキャリアの転機となったある「事件」、、イベントかな?2004年まで遡りますその頃私は長年の支店勤務から本社へ転勤となって2年目ようやく仕事にも慣れ、自分のスタイルを築き上げ、自己啓発にも力を入れ始めていましたそんな初夏のある日、夕方だったと思いますが「スペシャルプロジェクトチーム」という謎の部署のマネージャーから「ちょっといいか?」と声をかけられましたその方はよく知っていましたし、時々雑談もするので何気なく彼の部屋へ入ってゆきましたすると、、、「来年大きなプロジェクトがあるので、そのチームに入って欲しい。ついては、年初のイベントのチームから降りて欲しい」実は年初に全国のお客さまを集めたコンベンションを行っていまして私の部署はそのイベントを取り仕切っていましただいたい秋口くらいから準備に入るのですが、それに参加しない・・・ワクワクしてきたのでどんなプロジェクトか聞くと、「それは言えない、極秘事項がかなり含まれるから・・」(ますます知りたくなるんですけど、、そう言われると)そして8月のある日、そのプロジェクトチームのキックオフが開催されたのです冒頭マネージャーは英語で挨拶を始めましたそうです・・・このプロジェクトは社長(アメリカ人)を含めたマネジメントを巻き込んだ全社的なものだったのですスタート時は総勢70名程度、これが来年には200人以上に膨れ上がる・・そのプロジェクトとは(バーン)「海外からのお客さまへおもてなしをする」「へ?」(少し目が点になりました・・・)こういうことです1)世界中でビジネスを展開する弊社では2年に1回、社内外の取締役を集めてコンベンションを行う2)今回初めて日本で開催することになった3)会議、観光等含めて2週間、滞在中のお世話をする4)世界中のセレブなので様々な要求に応えられるようにする5)この仕事は成功して当たり前、失敗するとその国の評価が激落ち世界中の要人(財団の代表や他企業のトップも含まれる)が集まるということで、情報は一切シークレット、私達は家族にさえもそのことを話せないテロの標的になりますからね・・・秘密厳守の署名しました・・・(こんなこと人生初めて)こうして1年に渡るプロジェクトが始まったのです表立っては部署の異動はなく、私は文字通りこれまでの仕事と「二束のわらじ状態」となりました(これがまたキツかった)私の役どころはこのイベントの中枢となる通称「オペレーションルーム」のサブリーダーこのプロジェクトが後の「最年少マネージャー」誕生のきっかけになろうとはまったく知る由もありませんでした(つづく)