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きらめき星の世界

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2008.08.23
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カテゴリ:歴史

 

最近写真しか載せてないですね。。

 

写真を中心にきれいなブログにまとめようとしてましたが、また前みたいに支離滅裂でもいいかな、と・・・。

あっちをつついたりこっちを覗き見したり。性格なもんで。苦笑

 

 

 以前シルクロード・中央アジアの歴史について書こうとしていた時期があるのですが、色々学んでいくうちにあまりのスケール・ボリュームの多さにまとめきれなくなってそのまま現在まで流れております。現在もまとまっておりません。

 (以下は間違い多数と思われるので読み流してください・・・)

 

中央アジア(広域).JPG

 

 とりあえず文化らしきものが姿を現す新石器時代前後から始まって農耕・牧畜の開始、乗馬の歴史、車輪の登場、これだけでも人類そのものの歴史であり幅が非常に広い。

 やがて訪れる紀元前1000年ごろ(←多分記憶まちがってる)の最初の遊牧民族スキタイから始まって無数の遊牧民族が勃興しては衰亡を繰り返します。しかもこれらは中央アジア内だけで縮こまっていたわけではなく、馬という機動性に優れた乗り物を駆使してアジアの西に東に出没します。この遊牧民族の大移動が中国やヨーロッパの歴史に多大な影響を及ぼしています。またインドにもアーリア人が進出して現在に繋がっています。イスラム教の誕生は中央アジアにも大きな影響を与えて現代に至ります。近代ではイギリスとロシアの勢力争いの最前線でした。ただしモンゴル帝国、そしてティムール帝国以降中央アジア自身が主人公ではなくなってしまいましたが。

 一つ一つの国に語るべきところがたくさんあり、とてもカバーしきれません。

 

 スキタイやキンメリオイといった遊牧民族はアッシリアなどの古代王国の勢力争いに密接に関わっていたようです。また西の文物を東に、東の文物を西に運ぶ役割も果たしていたと思います。はるか昔から、人間の活動範囲はすでにユーラシアをまたぐほどだったのですね。(明確に知っていたわけではないでしょうが結果として)

 紀元前500年頃に起こった仏教は紀元前後に勃興したクシャン朝の時代に大きく発展します。クシャン朝は大月氏という遊牧民族が打ち立てた王朝で(大月氏が遊牧民族であったかは諸説あるようですが)、中央アジアとインドの間、ヨーロッパと中国の間(今のパキスタンのあたり)、まさに文明の十字路としてこの王朝の中から様々な文化が生まれました。それまで個人の哲学として完結していた観のあった仏教の中から、人々を広く導き救済するという大乗仏教の思想が生まれます。また仏像がこの時代に初めて生まれました。最初の仏像はヘレニズム文化の影響を受けて、とってもヨーロッパ風です♪

 

 アレクサンダー大王の遠征ののちバクトリア、パルティアなどの王国が勃興し、その中でギリシアとアジア・インドの文化が融合してヘレニズム文化が生まれます。いまのアフガニスタン・パキスタン周辺の西アジア地域にはそうした時代の遺跡が多く残っています。

今現在、この西アジアの地に加藤九祚(かとうきゅうぞう)という1人の日本人考古学者がいます。1922年生まれでシベリア抑留の経験をもち、すでに87歳になってなお、日本人として単身この地で発掘作業に携わっています。ウズベキスタン政府から勲章、また同国テルメズ市から名誉市民賞を受けています。加藤氏は2001年から一人雑誌「アイハヌム」を毎年発行しており、西アジア地域の様々な研究成果や発掘にたずさわる新旧の考古学者の人となり、人生などが紹介されていてとても興味深いです。以前TVでたまたま見て、こんな人がいることにびっくりしました。こんな孤高の人を見ると人間の強さというものを感じます。

 

03704.jpg 

 

話を戻して、

ユーラシア大陸を横断する道はいくつかありました。(地図帳片手にどうぞ)

・森林の道
・草原の道
・オアシスの道(絹の道)
・海の道(陶磁の道)

 

img877,.JPG 

 

ここで道と表現しているのは、現代のように一本の決まった道路ではなく、もっと幅広く帯のように地域をつないでいるものを想像してください。

もともと興味をもったきっかけもそうですし、多くの人が知っているのはシルクロード(絹の道)です。それ以外にもシルクロードの北に、モンゴル草原・カザフ草原を通る草原の道がありました。チンギス・ハーンや多くの遊牧民族はこの道を通って東西を駆け抜けたのではないでしょうか。

さらにその上にシベリアの森林地帯を抜ける森林の道があったと想定されています。毛皮などの交易が行われていたのでしょう。多くの小部族に分かれ、大きな王国の興らなかったこの地域の人々の生活を知る資料は少なく全容はなかなかつかみにくそうです。そうした名もない人々にこそ返って惹かれますが。

オアシスの道、すなわちシルクロードにも複数の道があり、

天山北路(草原の道と一部重なる)
天山南路(西域北路)
西域南路

に分かれます。天山北路は天山山脈の北側を通り、草原の道ともかぶります。タクラカマン砂漠をはさんで南北にそれぞれ天山南路と西域南路が通っていました。砂漠の中にあるオアシスに、これもまた無数のオアシス都市国家が生まれ、中国や遊牧民族の影響を受けて興亡を繰り返します。

この中央アジアの歴史を見ていると人類の激動の歴史そのものだと感じます。

そして陸の道に匹敵する重要な交易ルートが海の道です。中国・東南アジア・インド・イスラム世界・アフリカを結んでいたわけで当時の旅行記に色んな話が出ています。が、勉強中でまだあまり知りません。ので書けません・・。またいつか。興味のある方は調べてみてください。

海の道については10世紀に書かれた「中国とインドの諸情報」(第一の書は作者不詳および第二の書はアブー・ザイド・アルハサン他著)という著作が残っています。

中世のアジアに関する旅行記として有名なのは13世紀、マルコ・ポーロの「東方見聞録」(「世界の記述」)でしょう。しかしそれよりさらに広範囲におよぶ一大旅行記が14世紀、イブン・バットゥータの「大旅行記」(「諸都市の新奇さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈り物」)です。日本になじみのない地域も多く、そのわりに長文であることから完全な訳はつい最近までなく、日本ではあまり知られていません。この旅行記にはアラビア半島、アフリカ大陸、中央アジア、中国、東南アジア、インドなど現在の国にして50カ国以上の地域の自然、風俗について書かれています。

こうした本も読んでみたいとは思いますが、長いこともあってさすがに躊躇してます・・。

延々いつまでも書いてられますが疲れてきたのでそろそろ止めます。また、そのうち書くこともあるかと思います。

それでは読みにくい文章で失礼しました。もし読んでくださった奇特な方はありがとうございます。またがんばります!笑

 

参考文献:
たくさんあって、散逸してるので我が家を調査中・・・。 

 






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Last updated  2008.09.06 09:35:12
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