空が (33回目)
空が黄色い・・・黄砂か・・・。せっかくの桜日和と思ったのに・・・。 今日は絵の話。この前旅行したスペインにはアートがそこら中に溢れていました。ほんとに。スペインと言えばマドリッドとバルセロナが二大都市ですがマドリッドには今東京にも来ているプラド美術館、ティッセン・ボルテミッサ美術館、ソフィア王妃記念美術センターといった有名美術館が同じ地区に集まっています。それぞれで絵の保有数が何千とある。一日中立ちっぱなしはめちゃつらかった。もっと真面目に見ようとしたらそれこそ一日ですまなくなる・・。日本にもこんな大きな美術館が1個位欲しいんですが。 バルセロナにはピカソ美術館やミロ美術館、ダリ美術館とまあ個性的な画家がそろってます。スペインというのはこうした前衛的な画家を生む風土があるんでしょうか。Joan Miro (ジュアン・ミロ (ユアン・ミロ)) 1893-1983 色彩がバラエティに富んでいるのが私の好みに合うようで、ソフィア王妃記念美術センターとミロ美術館は行けてよかったです。というかスペインで初めて彼の作品を見たのですがミロ美術館は建物内にカフェテリアもあって、屋上には彼の作った愛らしい彫刻が置かれていて面白いです。天気も良く、とても気持ちよく過ごせました。Caress of a Bird, 1967 彼が彫刻を手掛けるようになったのは後期になってからで初めの頃は風景画などを描いていました。風景は、後年どのような作風で描くにしろ生涯彼が関心を持ち続けたテーマです。彼はあくまで自分がカタルーニャ人であることに誇りを持っていました。彼の絵も、彼が愛したカタルーニャの風土の中から生まれてきたのです。(カタルーニャはスペイン東部、バルセロナを含む一帯の地方名。独自の文化、言語(カタルーニャ語)を今も守っている。)The Village of Prades, 191730代になると作風がシュールレアリスムに変化していきます。(1924-27)20代の頃はまだ駆け出しの画家といった雰囲気ですね。Carnival of Harlequin, 1924-25Catalan Landscape, 1923-24 Man with a Pipe, 1925この頃のミロはまだスペインの一画家といった感じだったようです。生活が安定していたというわけでもなさそうで、それがこの後に続く「表現の危機」の時代に繋がったのでしょうか。(まだあんまりくわしくないので間違っててもご容赦下さい。)「表現の危機」(-1938) なにやら絵が危ういのです。安定感がありません。表現に行き詰ってしまったのか、絵に彼の不安感のようなものが出ているように見えます。 Head of a Man, 1935Still Life with Old Shoe, 1937「星座」シリーズ(1940 - 41)、 よりシンプルで大胆に・・(1941-) この一連のシリーズでミロは自分の絵の描き方を確立させたように見えます。これ以降の彼の作品には星、鳥、女性が頻繁にテーマとして登場します。おそらくミロと聞いて多くの人が連想するのはこの辺りの作品かもしれません。インパクトの強い単色を大胆に織り交ぜ、幅の太い線や形が不思議な絵を作り出しています。色と形の実験を楽しんでいるかのようです、また1940年代以降ミロは彫刻やテキスタイルを使った作品にも取り組むようになります。とりあえず色々眺めて見ましょうか。Awakening in the Early Morning, 1941The Morning Star , 1940(名前調査中)(名前調査中)以上4枚「Constellations」Seriesより (全部で23枚だったかな?)Blue 2Blue 3 (ともに1961年)The Morning Star, 1946 The Singing FishFlight of Birds Encircling the 3-Haired Woman on a Moonlight Night, 1968The Lark’s Wing Encircled with the Golden Blue Rejoins the Heart of the Poppy Sleeping on the Diamond-Studded Meadow, 1967(黄金の青によって取り囲まれた雲雀の翼が、ダイヤモンドで飾られた草原の上で眠るヒナゲシの心に到達する)(名前調査中)晩年になるほど構図がシンプルで大胆になるのはパウル・クレーとかマティスにも似てますね。やっぱりそうなるものなのかな。ともにパウル・クレー、Park bei Lu, 1938(上)、名前調査中(下)ミロの彫刻作品もあと一つ挙げておきます・・・(他にもたくさんあるんですが)Character with Three Feet, 1967 ミロの名前も1950~60年代頃には世界的に高まっていたようです。彼の若い頃の写真を見ると割りと整った顔立ちでりりしいです。晩年の写真を見るともちろん年は取っているのですが、目がきらきらと輝いているのがとても印象的で、私もいつまでもそんな目でいたいなーと思ったりするわけです。(もう既に・・・無理かなー・・・)