96.キミの虜
キミは自分を“スター”と位置づけた。初めて会ったころ、「売れるかどうか判らないから、もうひとつの道を確保するために大学にはちゃんと進みたい」と語っていたキミ。デビュー曲がいきなりヒットしても、「長くは続かないかもしれない」とまだ慎重だった。ファーストアルバムが売れ、セカンドを引っさげての全国コンサートが決まり、キミは変わったの?いや、何より周りがキミをちやほやと煽てているのだろう。まだ18歳の男の子にとって、それは自分を見失うに十分な環境・・・。響司、キミを変えられるのは私? そう思いたかった。でも急に怖くなったんだ。キミに嫌われたら、キミを失ったら、私はきっと平常心ではいられなくなる。だから、今のままのキミと折り合いをつけて歩いて行くしかない。 今までは数歩先を行っていた私だけれど、これからはキミの後ろをついて行くのだろうか。それでもキミの恋人でいられるなら・・・かまわない。 悲しいけれど、みじめだけれど、時が経てばいつかキミも解ってくれるはずだから。キミの初めてのコンサートツアーは、東京を皮切りに始まった。その模様はダイジェストで翌朝のワイドショーに流れた。これから、名古屋、大阪、福岡、札幌、仙台、そしてファイナルに横浜と続く。もちろん毎日連続で行われるわけではないので、前の日に現地に入るとき以外は当日移動。昼過ぎからリハーサルをし、本番。その晩は現地に一泊し、翌日は地元のテレビやラジオに出演してから戻る、というスケジュール。どこかでコンサートを観たかった。 でもスタッフに見つからずに入れる会場はなさそうだった。初日のコンサート後、連絡をくれたのは翌日の午後を過ぎてから。「最初さ、そでで脚が震えたよ。でもさ、ステージに立ったらオレ、別人みたいだったぜ。照明が強くて客席は見えないんだけど、歓声? すごくてさ」キミは興奮冷めやらぬ感じで一方的にしゃべりまくった。「打ち上げ、盛大だったのかな?」 コンサートが終わった夜は、スタッフたちと宴席が設けられる。大規模な場合は予めお酒を出す店を貸し切りにしてもらったり、小規模の場合は、スタッフの馴染みの店に個室をキープしておいたり。「うん。バックミュージシャンとかダンサーとかも入れて、50人くらいいたんだよ。創作料理とかの店の貸し切り。石井さんや野末さんとか、最初からのメンバーもみんなで祝ってくれてさ」・・・そこに私はいない・・・。私はといえば、原稿書きの合間に響司が好みそうな物件を探し歩いている。本当は事務所に秘密の部屋など借りてはほしくなかった。 でもキミは一度言い出したら聞かないだろうから、それなら私がいち早く把握できる場所で決めてほしい。仕事は、あまりうまくいっているとはいえなかった。前々からつきあいのある局でのラジオ出演は続いている。 でもテレビは山室氏が進んで取ろうとはしてくれない。せっかく用意してくれたオウントークを断ってしまったことが、尾を引いているようだった。せめて自分でトークの練習をしなくては。 そう思って日々のニュースにコメントをつけ、それを録音し始めた。いくつか気に入ったものを編集して、山室氏に提出する予定だ。努力していることを伝えたかったし、上達へのアドバイスも貰いたかった。何か自分からアピールしなければ、このまま事務所との関係はデクレッシェンドしていってしまう。キミを失いたくないと同様、仕事でも成功したかった。“スター”のキミが「オレと釣り合う女性」と考えるのは、きっと仕事でも輝いている私のはずだから。よさそうな物件があると、それもすぐに知らせた。私、目いっぱいキミを思っている。「明後日、オレ、夕方まで空くんだ。11時頃から瑠璃んち、行ってもいい?」 急なメール。「瑠璃んちを3時に出れば、大丈夫なんだ」明後日・・・どうしよう、午後の1時からラジオが入っていて、11時には出ないとならない。逢いたい。 どうしてもキミに逢いたい。 よからぬ考えが浮かんだ。 キミに逢えるなら・・・キミに逢えるなら・・・。