糸魚川駅の駅長さん
1974年の秋だったと思う。長野県の松本駅傍で仕事を終え、翌日は休みだったため、急きょ思い立ち、大糸線に乗ってみることにした初めての大糸線。終点の糸魚川までの間の景色を楽しみたかった。車窓から間近に見える紅葉と、その後ろの山々の雪化粧は、絶景。電車の中にはストーブがあり、一人旅の若い私に、地元の人らしきおじさんたちが当るようにと勧めてくれた。終点の糸魚川駅に着いたのは、夕方だったが、時刻までは覚えていない。とにかく宿を探そうと、観光案内所のようなところに行ったのか否か・・・とにかくその日の宿が決まらない。仕方なく駅長室を訪ね、夜行でどこかへ出られないかと尋ねてみた。「ないですね。この時間じゃ宿も取れないし、困ったなあ」と駅長。そもそも当時は女性の一人旅自体、自死されるのでは? と敬遠された。やがて駅長は、笑顔になってこう言った。「うちに来ませんか? 上の子が東京に行ったので一部屋空いています」詳しく伺うと、家には奥様と二男、長女がいるとのこと。ためらったが、宿がなく、乗れる夜行列車もなく、他に方法が見つからない。結局、お言葉に甘えて泊めていただくことにした。電話で連絡がついていたらしく、奥さんはたくさんの料理を用意してくださっていてお子さんたちに至っては、2台めらしき小型テレビを運んできて「見ていいよ」と。その日の夕食に、ゆり根が出たことは、何故か鮮明に覚えているこの話を、10年ほど前に娘のような年代の人に話したら「危ないですよ。考えなしの行動ですね」と顔をしかめられた。そうだよね。およそ半世紀。いつの間にか、世の中はとてつもなく物騒になってしまった。