8.新たな羽根をこの身につけて
新しい扉を開けて、私は透明に輝く未知の羽根を得た。キミと一緒にどこまでも高く、この空を飛ぼう。そう決めた。こんな朝を幾度迎えたことだろう。いつかはまた涙にかすむかもしれない。でも今は悲しい想像はしないでいよう。歩み始めてしまったこの道を、今は信じてみよう。恐れずに。遮光カーテンのわずかな隙間から、朝の光が差し込んでいる。無防備な姿で眠るキミの上に、新しい今日という日の光が留まった。朝食の仕度をし終わり、キミを起こすタイミングに迷う。昼までに帰ると連絡をしたのだから、それを守らせなくてはいけない。だって、キミはまだ親の保護下にいる高校生なんだもの。そっと揺り起こす。テーブルに並んだ食事を見て、さすがにお腹をすかせていたんだね、「わぁ、うまそう」キミは目を輝かせた。向いあって座ることができない。キミの顔を正面から見つめることは恥ずかしすぎて・・・。だから並んで座ったんだ。キミは私にぴったりひっついて、フォークでフルーツトマトのサラダを口に運ぶ。「うん、うまい! 瑠璃の味がする」「何、それ?!」「解んない。言ってみただけ」キミは笑顔をはじけさせた。キミは今、どんな気持ちでいるのだろう。私と結ばれたことをどんなふうに感じて、どんなふうに捉えているのだろう。もう不安からは解き放たれたの?覗こうとしても覗けない心。いけない、ネガティヴに考える癖はもう捨てよう。「さあ、そろそろ帰らないと・・。明日から試験でしょ」「うん。金曜日までずっと試験。でも午前中で終わりだから午後は会えるよ」会いたい。できるなら毎日、会いたい。1分でも、1秒でも。でも・・キミは受験生。しかも秋にはCDデビューも控えている。「ダメ! ちゃんと勉強しなくちゃ。私も今週は忙しいんだ。だから試験が終わったらね」キミはくちびるをとがらせて考え込んだ。まるで子供の顔。かわいい。いとおしい。だから・・・キミを縛りつけてはいけないんだね。近くのバス停まで送ることにして、なかなか腰を上げたがらないキミを帰路へとつかせた。遊歩道を歩きながら、立ち止まってはキスを繰り返す。「これじゃ、いつまで経ってもつかないよ」お互いにそう言いながら、笑いあった。それでも辞めようとはしなかったね、長いキスの繰り返し。キミを乗せたバスが視界から消えるまで、私はずっと見送っていた。キミは最後尾の席に座って、ずっと私を見てくれていた。部屋に戻る。キミの残像があちこちに漂う。キミの匂い。抱きしめあった感触が蘇る。ダメダメ。頭を切り替えて、仕事をしなくては。プロデューサーから渡された、できあがったばかりの曲に詞をはめ込んで行く作業を明日までに終わらせなければならない。これはあるシンガーソングライターの創ったもの。彼は作曲は得意だけれど、詩がどうしてもフルコーラス分書き上げられない。だからゴーストという形で私が関わっているのだ。サビの部分や、どうしても伝えたい言葉だけを乗せ、あとはギターを鳴らしながら「ラララ」で歌い、吹き込んだものが私のもとに届けられている。せつないバラード。彼独特のメロディライン。ところどころに乗せられた詩から、彼が伝えたいことを読み取る。恋の終わりを悟ってしまった悲しみ。それでも諦められないでいる慟哭。できるだけレトリックを駆使した詩を乗せようと、音を細かく拾っていく。でもね、今日の私には悲しい言葉より温かい言葉が自然と浮かんできちゃうんだ。そうだ! 恋が始まった頃からの描写を入れてみよう。希望に満ちた言葉を遣って、悲しみを引き出してみよう。メロディを口ずさみながら、1コーラスめの詩を組み立てていく。その時だ。キミからのメールを知らせる着信音が鳴った。キミが設定した、お気に入りだと言うイギリスのロック。ねえ、このメロディ、ずっと、ず~っとキミと私との“幸せの合図”であり続けるよね。ねえ、ねえ、そうだよね。もう泣きたくはないんだ。今、手がけているような悲しい旋律は、もう私の耳には聞こえてはこないと、響司、そう言って・・・。