my room2
映二は渋谷にある東〇ハンズ本社の総務部から、北海道に回された。特に大きなミスがあったわけではないのだが、どうも上司の濡れ衣をきせられたらしい。誰かを裁かなければ収まりがつかなかったから、独身の映二を飛ばしたのだろう。映二は自分の無実を証明したところで、首になるよりは、北海道へ行く道を選んだ。札幌は行ってみれば、楽園のようなところだった。本社のように仕事に追われることもなく、全てがのんびり動いていた。食べ物も美味しく、住宅も暖房設備が充実してるから、部屋はとても暖かくて過ごし易かったし、雪にも慣れてしまえばどうということもなかった。雪解けが過ぎると、爽やかな季節がやってくる。夏の北海道はドライブしたくなるような場所に溢れていた。ただ、何のプレッシャーもないままに、またなんの向上心もないままに、この地に埋もれてしまうのかという不安がないわけではない。映二はまだ30歳になったばかりだったのだ。麻子にその気があるのなら、来てもらいたいという気持ちもないわけではない。けれど、まだお互いに良く知り合う程の時間を、過ごしてはいないし、初めは東京へも、もっと帰れると思っていたけれど、週末にハンズのイベントが入ってしまうと、店舗に行かなければならないので、中々盆と正月以外に帰ることは難しかった。電話もマメに麻子にしょうとは思うのだけれど,何を話していいのかがわからない。映二の大学時代の友達の彼女が麻子と友人関係で、その紹介で知り合った。だからと言ってその共通の友達の話ばかりするわけにもいかないし。仕事であったことなど、取るに足りない話しだったし。お互いに深い付き合いが始まったばかりの時に、こんな状態になってしまったのだから、もっと会いたいとか思ってもいいはずなのだけれど、麻子も映二も何故か淡々としていた。映二はもともと、女の子に熱くなる性質ではなかった。今までも付き合うときは、女の子から言われて付き合うことがほとんどだった。好きな人がいても、自分から相手に気持ちを伝えてまで、付き合いたいと言う気持はなかった。女の子に熱くなれないのは、本当は心を奪われてしまうような人に出会っていないせいだと映二は思っている。麻子に対しても、特に心を奪われたという訳ではなかったけれど、初めて二人で会った時の、さり気ない感じがとても良かったのかもしれない。例えば、何処に行きたい?と聞くと、最近鎌倉に行っていないから行ってみたいけれど、どうですか?とか、食事のときも、どんなものが好きか聞いて、こんなお店があるのですが行ってみますか?という感じだった。一緒にいても居心地が悪くなかった。話も自分の事ばかり話さずに、映二の話を良く聞いてくれたりもした。何時間も一緒にいて、ドキドキするとか、嬉しくて仕方がないとか言う気持ちはないけれど、別れた後に、一日を振り返ってみて、また会いたいと映二は思った。そして次に会っても、嫌な気持ちになることは一度もなかった。ゆっくりではあったけれど、何度か会っていくうちにお互いに好きになっていったのだろう。突然、麻子の部屋に押しかけたのは、仕事が急に暇になって、上司に休みをとれと言われて、纏めて休みを貰ったせいだった。その前に休暇の申請を出していたけれど、もう少し待てと言われていたのだ。慌てて飛行機の最終便に飛び乗って東京へ向かった。実家に帰るつもりで羽田から実家に電話すると誰も出ない。母親は携帯を持っていないので、父親の携帯に電話すると、母親は温泉旅行に行っていて、父親は泊まりでゴルフに来ていると言う。仕方がないので、友人に連絡すると、たまたまみんな週末で忙しく動き回っていた。麻子には実家に一晩泊まった次の日に連絡しようと思っていた。映二は迷ったけれど、麻子の家に押しかけて、びっくりさることにした。もし、彼女が泊めてくれなかったら、何処のビジネスホテルに泊まるつもりで麻子の部屋へ出かけて行ったのだ。麻子のアパートの前に着いたときは午前零時をとっくに過ぎていた。けれど麻子の部屋の灯りが点いていることが救いだった。麻子は驚いてはいたけれど、怒ってはいなかった。むしろ面白そうな顔をしていた。その顔を見て来て良かったと思った。麻子は実にその晩も感じが良かった。それに麻子の部屋は素晴らしくすっきりしていて、無駄なものが何一つない。そして食べ物を出してくれて、お風呂も入れてくれた。リヴィングに布団をひいてくれて、今日は疲れていると思うから、ゆっくりお休みになって、と言うと彼女は自分の寝室へと消えていった。実際映二はとても疲れていたので、布団に入るとあっという間に眠ってしまった。目が覚めると、麻子は朝食の支度をしていた。コーヒーの匂いと、ベーコンやウインナーを焼く匂いがしていた。映二はこんなに気分良く目覚めた朝は、小学校の遠足の朝以来だと思った。麻子は顔洗ってくればと、濃紺のフェイスタオルと歯ブラシセットを映二に渡した。麻子は晴れ晴れとした顔をして、まるで楽しむようにスクランブルド・エッグをフライパンでかき回して作っていた。