飛鳥時代のせんとくん ― 救世観音 ―
法隆寺 夢殿、救世観音像に会ってきました。年2回公開される秘仏、救世観音像。かつては、絶対秘仏で非公開でした。見れば災害が起きるとされ、数百年間、僧侶さえも見ていなかったこの秘仏。その禁と解いたのは、フェノロサでした。明治17年、白い布で何重にも巻かれたこの像を、フェノロサは解放しました。その時、僧侶たちは、祟りを恐れて逃げ出しました。謎の救世観音像は、長屋王の変から歴史が始まります。729年、長屋王は、藤原氏の策略で、無実の罪で自殺に追い込まれます。しかし天下を取った藤原4兄弟は、737年に天然痘で全員命を落とします。さらに呪いを恐れた宮子も、精神を病みます。その災いを鎮めるため、739年に夢殿が建てられました。長屋王の変は、人々に同じく蘇我氏系の聖徳太子を思い出させました。聖徳太子の子、山背大兄王も、蘇我入鹿の襲撃で、悲劇の死を遂げたからです。そのため、夢殿は、聖徳太子,山背大兄王の住まいがあった斑鳩宮の跡に作られました。いつしか、天然痘の災いは、聖徳太子一族の呪いに変わっていました。救世観音は、聖徳太子をモデルに作られたと言われます。また179cmの大きな像は、その子で大柄の山背大兄王とも言われます。なぜ救世観音像は、秘仏となったか。梅原氏の説は、聖徳太子の呪いを恐れたこと。夢殿を造った行信僧都は、晩年に呪術で左遷された説もある僧侶。梅原氏は、救世観音像は、光背を頭に釘で打ち付けていると述べています。それが、呪いを封じるためであるとも。救世観音像の顔も、様々な文学者が「気味が悪い」と酷評です。その呪いを封じる意味から、救世観音像は秘仏化されたとしています。しかし光背は、打ち付けられているのではなく、金具に掛けられています。また写真では気味悪く見える表情も、実際はそうでもありません。しもぶくれで、厚い唇。その顔は、たしかに絵画の聖徳太子や、山背大兄王によく似ています。あまりに写実的で、人間らしすぎるとは思いますが。人間らしくて、ちょっとキモい救世観音。わたしは、よく似た人を知っています。救世観音様。あなたは、「飛鳥時代のせんとくん」。・・・・・・・・・・・・・・・・救世観音像公開: 2011年4月11日~5月18日(秋は10月22日~11月23日)※ 昨年からLED照明で照らされ、少し明るくなりました。 しかし観にくいので、私は単眼鏡持参です。※ 夢殿のみの拝観なら200円と安価。法隆寺共通券は1,000円です。※ 写真撮影不可。上記は、著作権フリーの写真を転載しました。 しかしこの写真はイメージが違います。 他のカラーの写真を、ネットでご覧ください。※ 下記の本は、聖徳太子以外を救世観音像のモデルと述べています。※ 就学旅行生は多いものの、意外に空いています。 今年はゆっくりと、救世観音像とお会いするチャンスかもしれません。