タイタニック号沈没 ― その後に比べれば、小さな出来事 ―
1912年4月14日深夜、豪華客船タイタニック号は氷山に激突して沈没します。小学生の頃、この事故を書いた子供向けの本を読んで以来、この事故の理由が知りたくて様々な本を読んできました。映画タイタニック以来、市場の本は急増し、今では多くのことが分かります。氷山の発見が遅れたのは、波がない海で目視での監視だったから。氷山を回避できなかったのは、舵が小さくスピード重視だったから。回避行動がさらに遅れたのは、機関停止し更に舵が効かなくなったから。他船の氷山の警告無線を無視したのは、乗客の私用の電報を打つのに忙しかったから。氷山を無視したスピードは、商業広告用のスピード記録を狙ったから。不沈船が沈んだのは、回避行動で側面に5区間に浸水する長い傷を作ったから。大きな傷ができたのは、溶接技術のないリベット構造の船は脆かったから。意外に脆い船体の材料は、低純度で低強度の金属が船内火災で劣化していたから。乗員乗客1,513人が犠牲になったのは、救命艇が足らなかったから。救命艇が足らないのは、甲板の美観のために撤去されたから。1178人分の救命艇で705名しか救えなかったのは、定員分載せると沈むと思われたから。死者に3等船客や給仕等の船員が多いのは、身分差別がある時代だったから。最初の定員65名の救命艇に12名しか載らなかったのは、名士が優遇されたから。救難信号が近くの船に届かなかったのは、船の無線士が寝ていたから。救助に向かう船が遅れたのは、周囲の氷山での二次災害を恐れたから。救命艇に余裕があるのに救助活動しなかったのは、人の重みで沈むのを恐れたから。最後の救命艇に乗った人の半数が助からなかったのは、4時間の漂流で凍死したから。そして全ての原因は、不沈船という驕りがあったから。しかしこの事故で、人は多くのことを学びます。救命艇や無線の整備、氷山の監視、人命救助の徹底等が進みます。しかし本当の悲劇はこれからでした。姉妹船オリンピック号は長く就航しますが、もう1隻の姉妹船ブリタニック号は客船として使われることはありませんでした。病院船として第1次世界大戦に徴収され、魚雷に触れて沈没したのです。乗員乗客1,513人の死者を出したタイタニック号の沈没。それは数年後に始まる2つの世界大戦での死者3,000万人以上に比べれば、とても小さな出来事でした。