何(十)年ぶりかのユザワヤ①
わたしの中のストレスが見た目にわからないけれど心理的にかなりやばいところまで来つつあると感じたので昨日、仕事を早く終わらせて、午後半休を取り何も考えない、感じるだけの時間を過ごそうと思った何をして何を感じるのか、予想もせず、ただ、目の前のこと、今だけを感じていたら自分はどうするのかそんなことを思ったまず、会社を出て、ふと、手元に、新聞屋さんからもらった、デパートでの作品展のチケットの存在を思い出したいってみるか、と思ったのが、最初の行動静かに作品を見ていると、おばあちゃんの一団がやってきた家族の作品と、展覧作品を比較して、あーだこーだ個人の感想を述べあって、作品にダメ出しするおばあちゃんたち声がデカいしばらくして、スタッフが、おしゃべりは、小さな声でお願いします、と、大きな声で言ったその瞬間から、作品へのダメ出しは、良いところを探し出す行動に変化し、声も小さくなったなんとなく、SNSで、誹謗中傷を浴びせるような人は、昔からいたんだろうなと思いながら、作品を見ていた作品は、最初の方が、賞をもらった作品だんだん、上手な人から、新人の作品になっていった出口まで来て、戻ってもう一度最初から見た作品の技術は、わたしにはわからないけど、作品そのものから受ける印象は、賞を取ったり、心に訴えるものがあるなと思う作品は、訴えてくるものがとてもシンプルでわかりやすく、その表現をこねくり回したりせず、素直に表していると思った新人さんたちは、きっと、こういうことを狙ったんだろうなという意図が見えるものの、考えすぎていたり、作品への熱量ばかりが前面に押し出されている気がしたものを作るということは、自分の思いを映し出すことには変わりないと思うけれどどう思って欲しいという考え方は間違っているのではないか、と思ったどう感じるのかは、あなた次第私は、この部分だけ、ここに残しますそういう作品の方が、見る側にとって、想像を膨らませる余地が生まれ、心を動かすことにつながるんじゃないかなって新人さんたちのエネルギーは、それは、素晴らしいものだと思うけど見ていてらお腹いっぱい、って感じ会場を去りながら介護の世界に入っても、賞を取るような作品のように、自分の世界をしっかり持ちつつ、相手が世界を広げられる、私を見て、利用者が疲れてしまうようでは、それは、求められる姿ではないのかもしれないななんて思ったのでしたあータイトルのユザワヤまだ出てきませんが、とりあえずこの日記はここまでw