あたりまえ
あたりまえは、人によって違う最近、つくづくそれを感じる。博士くんと工作くんみたいに、頭の回転が良く、知識も豊富な人間と、私のあたりまえ、は違う。今、24時間テレビ見ていて、バリアフリーのことをやっていたけど、車いすのひとと、杖をつく人と、二足歩行の人のあたりまえは違う。過疎地に住む人と、都会に住む人のあたりまえは違う。お互いのあたりまえがあることを知っていれば、多くの人が、それぞれのあたりまえの中で生きていくことができるとそれを考える力がついてきたことが、昔と今の日本の違いなんじゃないかな。トイレのマーク🚺🚹♿これ、東京オリンピックの時に、つけられるようになったんだってね。今、東京オリンピックのために、構内放送は、何か国語も流れるようになったし、表示という表示には、日本語だけじゃなくて、英語、中国語、韓国語、が一緒に表示されている。震災の時、外国の人たちが、情報が入らないことがニュースになっていたけど、そういうことも、バリアフリー解決にひとつひとつ前進するきっかけになっているのかもしれない。エレベーターも増えた。エスカレーターも増えた。点字ブロックも増えた。でも、実際は、まだまだ、なんだと思う。自分を肯定できる人間じゃないと、常に、他人との比較や、他人からの評価だけで生きている人は、評価が得られない時点で、何もできなくなってしまうらしい。自分を肯定できるということは、それでいいのだと、認めてくれる経験をどれだけしてきたか、ということじゃないのかなと思う。それでいいのだと言ってくれる人は、多くは親かもしれないけど、親じゃなくてもいいんだと思う。愛してくれる人がいれば、それが、自分を肯定する力になるのだと。結局、どんなに、文明が発達しても、人は、心の在り方で、生き方が変わる。その心の在り方も、AIは、いま、学習中で、きっと数年後には、人間以上に、人間らしいAIになるのかもしれない。個性満載のAIが、たくさん出てきたら、そこからAIの社会が生まれるのか。そして、そのなかで、あたりまえ、が生まれ、人間とAIが共存していったりして。なんて、とりとめもないこと考えたりして、私以外の当たり前を認められる人でありたいと、そんなお年寄りになりたいと、思いながらなんとなく、だらーーっとした一日を過ごしている。京アニには、お金送ったけど、24時間テレビには、募金はしていない。24時間テレビも、博士くんに言わせれば、いろいろな意見があるようで、でもまあ、出ている人たちは、一生懸命で、そこで自信をつけている人も、現実いるわけだし。いろんなあたりまえを知るうえで、テレビは、いいねえ。