地球のなおし方(ダイヤモンド社:2005/7)
デニス・メドウズ,枝廣 淳子,ドネラ・H.メドウズ(共著)1970年代、資源の浪費と環境汚染で、人類は限界に突き当たると指摘した「成長の限界」の著者ドネラ・H.メドウズ氏。ドネラ博士とともに「成長の限界」プロジェクトを遂行し、現代版に焼きなおした「成長の限界―生きるための選択」の著者デニス・メドウズ氏。「成長の限界―生きるための選択」の翻訳をはじめ、ゴアの「不都合な真実」の翻訳も務めた、翻訳家で環境ジャーナリストの枝廣淳子氏。この3人による共同著書だ。資源の枯渇、温暖化、森林破壊、食料危機などのあらゆる環境問題を、個別の事象ではなく、地球という大きなシステムで考えなければ、問題は解決できないと警鐘を鳴らす。根本の原因は、人間の経済活動によるものであり、未来の進むべき道(経済成長と環境保護)をコンピュータシュミレーションによって考察する。「不都合の真実」が出た頃、環境問題に少し興味のあった私は、その翻訳家である枝廣さんの講演を聞く機会があった。この講演をきっかけに、環境問題に強く関心をもっていくことになったのだが、その講演のエッセンスは、この「地球のなおし方」に記載されている内容であった。数値的に環境問題を検証するなかで、システムとしてそれぞれの因果関係を見ていくのだが、なかなか素人には分かりにくい因果関係も見えてくる。たとえば、食料問題において、化学肥料となるリン鉱石の枯渇が、今後の生産量低下の主因になるなど。そして、現在の経済成長、それによる資源の消費を続けると、やがて経済は破綻し、多くの犠牲が生じることを、コンピュータシュミレーションによって検証していく。それは、経済成長、環境対策などの係数を変えながら、いくつかのパターンで試算されるが、すでに、かなり手詰まりな状況に陥っていることを示している。有限の地球という器を、再現なく浪費する人間の活動が原因であるが、当面の限界の原因は「資源が枯渇」ではなく、その資源を使い続けるために必要なコスト、廃棄物を出し続けることへのコストが、経済を疲弊させて、やがて限界に突き当たることだそうだ。ちょっと前までは、掘れば湧いた石油も、だんだん採り難くコストが掛かり、ガソリン代が高くなる。それが経済に打撃を与える。簡単に捨てられたゴミも、処理コストがかさむ。果ては排出する二酸化炭素にも値段が付く。温暖化は自然サイクルの一部だとする説もあり、それも確かに一理あると思うが、人間の経済活動が地球に負担を掛けていて、それが取り返しのつかないレベルにあることも、証明されつつある。温暖化をビジネスチャンスと取られるむきが、欧米を中心に台頭していきているが、個人的には、少し違和感を覚える。そもそも、経済成長ありきの考え方に大きな問題があると、本書でも訴えており、私もその考えには共感する。豊かさの基準とはなにかを再度考え直す時期に来ていると思う。しかし、時は一刻を争う状況下にあり、経済的インセンティブ、人参をぶら下げないと、なかなか変換しないもの事実である。つまり、対応すると「得をする」仕組みづくりである。その点で、ビジネスチャンスと据える面もやむを得ないのかもしれない。環境問題に取り組むにあたり、認識の変換=パラダイムシフトが必要だ。しかし、社会全体でパラダイムシフトを起そうとすると、大きな抵抗勢力が現れて困難を極めるのだそうだ。まるで、小泉改革のようなだ。。。これに駆逐するには、旧システムの矛盾を指摘し続けて、新しいパラダイムシフトを訴え続けるしかない。つまり、地道な活動を重ねて、その輪を広げていくのだと。マイ箸、マイタンブラーなんかは、実際の効果よりも、この地道な活動の広報活動のようなものかもしれない。影響され、関心を持ち賛同する人が増えていくこと。それが一番大事なのかもしれない。環境問題は危機的状況にあるのは確かだが、まだ残された道はある。絶望したり、パニックなったり、諦めて投げやりになったり、そんな対応が一番まずいと、ここにも書かれている。自分がやれることを、少しずつ積み重ねていく。物事を成し遂げるには、やはりこれしかないんだな。