オランダの有名人?(最終回) メンゲルベルク
9月30日 一昨日辺りから降りそうで降らないような天気だったものの今日は昼から雨 昨日はサボってしまいました。 オランダシリーズはひとまず今日で終わりに・・・。 最終回は、あまりに思い付かなかったものの、オランダの有名人をピックアップすることに。 本格的に有名なところからは・・・ 画家 ヨハネス・フェルメール(1632~1675) フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~1890) レンブラント・ファン・レイン(1606~1669) ・・・・ちょっと短命な気がしますね。 という訳で・・・有名人?というところから。 マックス・エーワ(1901~1981) 第5代世界チェスチャンピオン(1935~1937) 生涯アマチュアだったというのは珍しいらしい。数学者兼その他。 ハドリアヌス6世(1459~1523) ローマ教皇(在位1522~1523) カール5世(ハプスブルク家・神聖ローマ帝国皇帝)の個人教授も務めた。本名アドリアン・フロリス、フロレス・ボイエンスなど諸説。 教会改革を志すも在位一年と短命で果たされることは無かった。 その他いろいろ珍しいところがあるらしい。 ウィレム・メンゲルベルク(1871~1951) オランダの生んだ20世紀前半の大指揮者 Willem Mengelberg(ヴィレム・メンヘルベルフ) ベートーヴェンの曾孫弟子(フランツ・ヴュールナーの弟子) 甥ルドルフ・メンゲルベルクは音楽学者 カレル・メンゲルベルクは作曲家 ジャズピアニストのミッシャ・メンゲルベルクはカレルの息子 国際的に活躍し凄い指揮者だったようですが、呼吸器系が弱く体調不良による演奏のキャンセルも少なくなかったとか。一つ面白いのは国内の人気投票で女王を抜いて1位だったほどの人気があった為に、女王とは折り合いが悪かったらしい。 この辺りから可愛そうなことに、ベルリン・フィルに客演していることから?終戦後国外追放される一因に。ドイツ占領下でも指揮活動を継続したことからコンセルトヘボウ(アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団)の楽壇からも追放される。その後スイスで過ごすも追放解除前に死去。 交流のあった作曲家などとのエピソード グスタフ・マーラー リヒャルト・シュトラウス ・マーラーは自作の楽曲の理解について、弟子ワルター以上、自分より上手いと評した。 ・シュトラウスはツァラトゥストラ(Also sprach Zarathustra 映画2001年宇宙の旅で導入部が使われ有名)が聴衆に理解されるようになったことに非常に感謝した。 ・チャイコフスキー『悲愴』を指揮した際 ・・・グリーグが客席からウィレムを賞賛する演説を行う。 ・・・地元新聞「心理学的奇蹟」 チャイコフスキー『第5交響曲』を演奏した際 ・・・チャイコフスキーの実弟から、「兄がピアノで弾いていた演奏とそっくり」と賞賛され、自筆のスコア(楽譜)を献呈されたという。 バロックから近代音楽まで幅広いレパートリーを持っていた彼は、スコアを徹底的に分析して感情に押し流されない計算された指揮を行っていたという。 1920年代から積極的に録音していて現在も当時の演奏を聞くことが出来る・・・らしい。 (体調不良によりキャンセルが相次いだ1939年の録音には傑作が多いという。) 代表指揮演奏曲? バッハ『マタイ受難曲』 チャイコフスキー『交響曲第5番 悲愴』 シュトラウス 交響詩『英雄の生涯』(メンゲルベルクとコンセルトヘボウ管弦楽団に献呈) シュトラウス 交響詩『ドン・ファン』 マーラー 『交響曲第4番』 その他 初演の曲を多数手掛けた。演奏した作曲家は延べ300人に達するとか? また、その完成度も非常に高いという。 (特に)自国オランダの作曲家を良く支援した。 ★ もともとは文学者だったディーペンブロックの才能を見出し?自ら指導し作曲家に大成させた話は有名だとか・・・。 おしゃべり・・・演奏のリハーサル前に30分以上演説することも多々あったとか。 門下(一人だけ) モーリス・ジャンドロン(フランス チェリスト四天王の一人と称される) 始めは私淑(直接ではなく自分で何らかの形で学ぶこと)していたが、後に指揮法を学んだ。 どうやらとてつもない偉人の一人であるということだけが分かりました。 全然調べた内には入りませんが、この人についてはもっと調べれば面白いと思います。大学生なんかにはおすすめ。 ・・・たまには音楽でも聴こうかな。 オランダの有名人。私の勝手な判断ですが、歴史的に言ってウィレム・メンゲルベルクが最も有名だと思いました。(今日まで知りませんでしたが・・・。) オランダ でした。