カテゴリ:プレバト俳句を添削ごと査定?!
青天の富士鼻唄は茶摘唄 次郎長も観し富士の山新茶の香 夏場所へ新緑薫富士を背に 立春来る緑鮮やか富士山も 高座より富士より高い新茶かな ツアー初日の楽屋あいさつ新茶の香 新茶汲む所作ぎこちなき左利き 母の日に贈る新茶を母と飲む
5月23日のプレバト俳句。 お題は「新茶」。 ◇ 丘みどり。 青天の富士 鼻唄は茶摘唄 これは山梨じゃなくて静岡側だよね。 茶畑も見えてる気がします。 ◇ 坂東彌十郎。 次郎長も観し富士の山 新茶の香 次郎長も愛でし富士山ふじやま 新茶の香(添削後) 梅沢も、先生も、 古臭いキャッチコピーのようだ!と酷評。 わたしは浪曲のことはよく知りませんが、 ♪ 旅行けば 駿河の国に 茶の香り… ってのが「清水次郎長伝」の名文句なのね。 博徒・次郎長の尽力によって、 清水港が輸出拠点となり、富士裾野に茶園が造成され、 近代の茶生産の中心が宇治から静岡へ移ったらしい。 ◇ 豊ノ島大樹。 夏場所へ 新緑薫かおる富士を背に 夏場所へ高ぶる心 富士堂々(添削後) これは「夏場所」と「新緑」の季重なり。 原句の「薫る」は送り仮名が欠落してますが、 おそらく直喩&倒置法で、 「(茶畑の)新緑が薫るような富士を後にして夏場所へ」 という一句一章なのでしょうね。 中七を「茶畑薫る」とすれば、 とりあえず季重なりは回避できますが、 ちょっと無理のある直喩というべきだし、 添削では茶畑の情報をカットしてます。 ◇ 清水アナ。 母の日に贈る新茶を母と飲む 母の日の母への新茶母と飲む(添削後) なにやら添削句は、 《人民の人民による人民のための政治》 …みたいですね(笑)。 これも季重なりですが、 「母の日」は映像をもたないので、 主たる季語は「新茶」といえるでしょうか。
◇ コウメ太夫。 立春来る 緑鮮やか 富士山も 立春を眠る茶畑 富士白し(添削後) 立春を眠る茶畑 富士青し(添削後) そもそも「立春」とは「春立つ=春来る」ことなので、 上五の「立春が来る」は「頭痛が痛い」と同じような重複。 (→ 百歩譲って「立春日が来る」という意味なら許容できるのかもしれませんが) 作者の話によると、 中七・下五は「富士山も緑鮮やか」の倒置じゃなく、 (→ ネットで調べると「緑色の富士山」ってのもなくはないようですが) 「茶畑も緑鮮やか。富士山も絶景」という意図らしい。 なので、三段切れです。 新茶を意識して作った春の句だそうですが、 そもそも、お題の「新茶」は初夏の季語。 新茶の収穫は4~5月なので、 現代の感覚でいうなら春ですが、 俳句的には「立夏」の前後なので、 作者が「立春」の句にしたのは明らかな事実誤認。 だとすれば、 添削は「立夏」の句に直すべきだと思うけど、 先生はあくまで「立春」の句として直したのね(笑)。 とはいえ、この添削句では、 「富士」が主役で「茶畑」が脇役に見えるし、 結果として、季語もいまいち立ってない。 せめて語順を逆にして、 茶畑の眠る立春 富士青し としたほうが季語は立つんじゃないかしら? ◇ 蝶花楼桃花。 高座より富士より高い新茶かな 高座より富士より高値なる新茶(添削後) 原句は、 比喩を使って物価高を嘆いた時事川柳。 落語家がやりがちな失策です。 とはいえ、これはあくまで、 比高や標高と値段とを掛けた比喩なのだから、 添削のように「高値」と明言してしまうのも、 それはそれで妙な感じがします。 ◇ アインシュタイン河井。 ツアー初日の楽屋あいさつ 新茶の香 7・7・5の字余り。 梅沢は「詰め込みすぎ」と批判しましたが、 先生は逆にそれを「丁寧」と評価しました。 わたしは梅沢と同意見ですね。 「ツアー」「初日」「楽屋」「挨拶」 この4つの要素がすべて必要なのかどうか。 とくに「ツアー」「初日」「楽屋」は、 いずれも興行にかんする情報なので、やや重なる。 たとえば句またがりで、 初日の挨拶 新茶の香の楽屋 のような17音にすることも可能でしょう。 ◇ 梅沢富美男。 新茶汲む所作ぎこちなき左利き 新茶汲む急須 生憎左利き(添削後) 原句は、 左利きの人の滑稽味を描いた一物仕立て。 季語の「新茶」は、そのダシに使われてる感じ。 せめて語順を逆にして、 ぎこちなき左利きの手が注ぐつぐ新茶 ぎこちなき左利きの注ぐ新茶かな のようにすれば、中八ではあるものの、 季語の「新茶」を主役にした一物仕立てになる。 添削句のほうも、 内容的には一物仕立てなのですが、 新茶を汲む優雅さと、左利きのぎこちなさが、 まるで二物衝撃のように取り合わされて、 いわばオチをつけた滑稽句のようになってます。 … 余談ですが、 「汲む」というのは、ちょっと謎の動詞です。 柄杓や器ですくう、というのが第一義ですが、 「茶汲み」といえば客などに茶を供することで、 「茶を汲む」といえば器に注いで飲むことになる。 最後の用法は「酒を酌む」という場合に似てます。 つまり、 すくったり、淹れて出したり、 注いで飲んだりすることまで、 すべての動作を全般的に「汲む」と言うのですね。 でも、 急須から茶碗へ注ぐ動作だけに限定するなら、 やはり「茶を注ぐ」と言うほうが明瞭だし、 違和感も少ないかなあ…と個人的には思います。 ▽過去の記事はこちら https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.05.30 09:48:26
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