真実はどこにあるのか? その3
昨日のみなさんのコメントに大いに刺激を受けています。ありがとうございます。http://plaza.rakuten.co.jp/manpukumanchan/diary/201006110000/クリスティーナ・ホール博士の言葉を変えると、人生が変わる価格:2,835円(税込、送料別) 奇跡の脳価格:1,785円(税込、送料別)僕は、これらの本を読むたびに「現実」は「言葉」でできていると思うようになりました。とくに奇跡の脳では、体験として、脳卒中で言葉を失っていく過程で、現実が認知できなっていく様がまさにリアル(笑)に描かれています。理想と現実きっと理想(イメージ)と現実(リアル)の差にヒントがあるんじゃないかな。その差を埋めるのが僕の仕事のひとつ。現実>理想なんだよね。現実を知るのが大事。それが自分を知ることなんじゃないかな。そんで、理想を知ることで変化が起きる。((ツイてるファシリテーターさん)「本当の自分」があるに違いない、と思う=今の自分は「嘘の自分」と思っている、ってことになる…んでしょうか。他者からもらう評価と、自己に下す評価の間の溝って、すごく大きいのだけど、だからと言ってどちらも嘘ではないですよね。他者にもらった評価が自己評価を上回っても下回っても意外な角度からであっても、自己評価との食い違いは生まれるわけで。果たして「現実」というのは、誰にとっての現実なのか…って考え始めると、それもわかんなくなってきます。「現実」と「事実」や「真相」と「真実」みたいに、一見同じみたいでも実は全然別モノ…みたいなものなのかなあ?「変化」も、「させる」ってなると、無理な力がかかったイメージになりますが、「する」となれば、自分から自然にそうなっていく…という感覚になります。それが「起きる」となると、自然なんだけど思いもよらなかった方向に一気に動く、という感じになる。なんか、こういう風にこまごま考えていると、単語の迷宮にはまってしまうんですけどね。物事は、もっとずっと単純でスッキリしているものなのかもな~と、時々思うのです。うわー、何書いてんだかわかんなくなってきた…。(KAWAZOさん)現実かぁ・・・ 「現実」って、なんなんでしょうねぇ。言葉の難しいところは、人によって捉え方が違ったりするところかな…と思ったりしています。でも、自分自身が感じている「自分の外の世界や内の世界」への「感じ方」なら今感じているそのものなのだから、真実もウソもへったくれも(笑)ないんだよなぁ。。と思ったりします。Xさんのことをどう感じているかも、人それぞれなのは自然なことだし、そこに真実を見つけようとすると無理があるのかもしれませんね(^^ゞその人にとってはXさんはそう感じるのでしょうから。。自分の置かれている状況の感じ方を「現実」とするなら何かのきっかけで自分の気分が変わることで、現実は変わるのかもしれないし状況そのものを変えたいなら、やっぱり行動することが一番かもしれないし。それだって、たぶん、人それぞれなのかもしれないなぁ~と思っています。ちなみに私はまんちゃんに出会ったことで、自分の「現実」の感じ方が変わるきっかけをもらったんだなぁ~と思っています(*^-^*)((マイコ=ちょめさん)ツイてるファシリテーターさんの書きこみを読ませていただいて「現実」も「理想」も描いていくのは、やはり最終的には言葉なのかなぁ と思ったりしています。(最初はどちらもイメージなのでしょうね)それが自分を知ることにつながっていく・・「まずカラダで感じて、最終的には言語化する」とても大切ではないかと・・KAWAZOさんのコメントはまさしく「単語の迷宮にはまってしまうんですけどね。」これはひょっとしたらものすごく大切な作業に思えてきました。とても自分を大切にしている行為なのかもしれません。自分にしっくりくる言葉を探し続ける・・ それこそが現実の捉え方をまた少し変えていくことになるような気がしました。マイコ=ちょめさんは「言葉の難しいところは、人によって捉え方が違ったりするところかな…」これだ!!って びっくりしました。言葉の捉え方が違うので、現実が変わってしまう・・・ちょめさんは、「感じ方」という言葉を使ってくれてますが、まさに言葉の感じ方が違うので、現実の感じ方が違ってくるのでしょうね。今回は、「言葉」に焦点をあてて、みなさんのコメントをみさせてもらったのですが、これに芸術(アート)の関係はどうなっているんだろうと、ふと思いました。現実を認識していく上で、アート(芸術)はどのような役割を果たしているんでしょうか?そもそもそこには関与していないかもしれませんが・・みなさんに感謝です。 ありがとう●コーチング・個人セッション↓癒しの1クリックありがとうございます。↓愛の1クリックありがとうございます。