カテゴリ:万葉恋々
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)
たまかぎるきのふの夕見しものを けふの朝に恋ふべきものか 万葉集 2391 ほのかな光の中で、きのうの夕べ初めてちらりとお会いしたのに きょうの朝にはたまらなく恋しくなっているなんてことが あり得るのだろうか (・・・いや、確かにあるのだ、今のわたしのように)。 原文(万葉仮名):玉響昨夕見物今朝可恋物 たまかぎる:「夕」「ほのか」「一目」などに掛かる枕詞(まくらことば)。勾玉がほのかに光ること。 古来、この部分(玉響)を「たまゆらに」と読む説も併存した。 この場合、勾玉同士が触れ合ってたてる微かな音のこと。転じて、「ほんのしばらくの間」「一瞬」(須臾)、あるいは「かすか」を意味する。 夕:奈良時代当時の音韻では、ハ行は「パピプペポ」と発音し、この場合は「ユプペ」であった。濁音はなかった。この歌は「ふ(プ)」で韻を踏んでいるのが伺える。 見し:「見る」は、古典文学ではしばしば「会う・逢う」こと。現代語でも「会見」などという。 恋ふ:現代語の「恋」や「恋する」の語源だが、それよりも切迫したニュアンスがある古語動詞。 恋ふべきものか:反語的疑問形。述べたことの強調と詠嘆の表現。 ・・・猫にも一目惚れはあるという。ましてや人においてをや。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年09月10日 06時44分06秒
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