昭和49年6月6日の真実(2)
このときに伝説の『実況中継出来ませんでした』事件が起きているのです。大井競馬場としては事件のあったときは別として発馬時間を三十五分も遅らせたことはかってなかった。このためテレビ・ラジオともに中継時間枠に収まらずテレビが『スタートですが放送時間がなくなりましたので実況を終わります』の声を残し実教は終了した。ラジオ関東の方は8レースに遅れが出た段階で調整したようで、放送時間枠の最後に「発走が大幅に遅れていますのでいったんお別れしますが発走が近づきしだいこの後の”若山源蔵ショー”の中で実況中継します」と放送。ちゃんと告知どおり実況生中継されました。この発走時間の遅れによって出走馬が馬場に出てから1時間近く待たされることになってしまった。このことで中央競馬の調教師が大井を使いたがらなくなってしまった?原因は「大井競馬が馬券を売るのに躍起になって締切時間を引き延ばし」公正競馬を害したかのように言っては”大汚点”と批判する競馬ジャーナリストや評論家が多々おるが……。中央競馬とはファンの質を異にしているのだから八万人近くの大観衆である。このくらいの遅れは当然であろう。8レースまえでさえ、馬券売り場周辺では怒号が飛び交っていたし、現に”騒動屋”も場内に実在していたのだから「公正」の二文字で括っては可哀想である。もし、「公正・公正」とおっしゃる方々の言うとおりに定刻通りの発走にこだわり途中で馬券の発売を中止したならば『騒動屋が大騒ぎして客を煽動→騒動屋による各所への放火→別働隊による馬券売り場と払い戻し所襲撃⇒現金強奪』の図式が完成していたであろう。現実に昭和43年6月30日の浦和競馬場では図式が完成しているのだから。「公正競馬」と言う”錦の御旗”をふるって糾弾するのもいいが、そのようなことは実情を良く把握(調査勉強)した上で言ったり、書いたりしてもらいたいものである。それにしても、大井競馬場を糾弾したマスコミの方々が大井競馬が「このときの反省を教訓として」この年の東京ダービーの日程まで変更したことやトウインクル以降の交流競走実施などによる急激なファンの変化に速やか且つ鮮やかに対処した多い競馬場について誰も触れないのはなぜですか?『午後二時半を回ってから約三万人ものファンが来場するとまでは」主催者ならずとも予想の付かない椿事だったろう。