ゴールデンリボー二冠・昭和50年東京ダービー
ゴールデンリボー号父ファラモンド母オルヴィダダ《リボー》騎手赤間清松 調教師竹内美喜男 馬主滝沢チイ 生産者新冠中央牧場昭和50年)ゴールデンリボー(昭和50年) この年には、ハイセイコーの再来と表された3歳NO.1シタヤロープ(平和賞、青雲賞、全日本三歳優駿)がいたのだが,屈腱炎で戦線離脱(出走できた羽田盃は電車のストライキで順延でこの馬が勝っていた)。ゴールデンリボーは、母が名馬リボーの直子オルヴィダダ(父ファラモンド)で中央牧場の総決算と言っていい馬であった。4歳になってからの充実振りからダービーは間違いないというのが前評判で、2着も黒潮盃、羽田盃ともに2着だったバトルメントであろうが、大方の評価であった。この頃の自分はといえば、大学生という本業?はあったものの、一日の大半を大井競馬場で過ごすという日が多かった。童顔であった(今では信じられない?)ので、通い詰めていた厩舎の水島先生などは「そんなに馬が好きなら、卒業したらウチにおいで」と言ってくれたくらいでした。竹内厩舎にもお邪魔していた(本当に"邪魔"だったろう)。普通、東京ダービーでこれだけ人気になると周辺がピリピリするものなのだが、さすがに昭和47年にトキワタイヨウで羽田→ダービーを制しているトリオ(竹内調教師、吉永厩務員、赤間騎手)。全く普段と変わらなかった。レースは大舞台には相応しくない所々に水が浮く重馬場で行われた。少し遅れての発走となり、牛房騎手の馬が好ダッシュを決めたが、すぐに先行馬数頭に交されたと記憶している結局、逃げたのは、桑島騎手のミレーヌファイヤーだった。中団にバトルメントがつけ、ゴールデンリボーは後方待機。三角の手前から徐々に上がっていって四角で外に持ち出す。直線、後400メートルの辺りではまだ後方だったと思う。そこから一気のゴボウ抜き、並ぶとしぶといバトルメントをゴール前で交わして重賞連覇。この年は、ファラモンドの当たり年といわれたように中央カブラヤオー、公営ゴールデンリボーとファラモンド産駒が二冠を達成した。この年の夏、筆者は長野県に行くことになる…。