「われいまだ木鶏たりえず」
今、騒がれている、大横綱双葉山が連勝を新鋭安藝ノ海に69で止められ、次の日も両国に敗れ連敗したときに口をついた言葉だったといわれている元は荘子。font>--------------------白鵬の人一倍稽古に励み、横綱の品格を真摯に守ろうとする言動、成績などから、白鵬は、すでに大横綱の域に達していると思えるのだが、マスコミの「さあ、双葉山の69越えだ!」と軽々しく論調する姿勢には、大馬鹿やろうとしか!白鵬にとっても、大相撲ファンにとっても。そうとしか思えない。白鵬の悲劇は、好敵手が、全く存在しないという点である。低レベル世代の三冠馬に光が当たらないように。同じ69連勝でも質が大いに違ってくる。双葉山の場合には、玉錦、清水川、沖津海、玉ノ海などの好敵手がおり、その上、番付の片やを占めていた出羽の海一門が当時としては珍しいインテリ力士笠置山をリーダーに、「いかにして双葉山を倒すか!」という作戦会議まで行なわれていたのだから。その中で、笠置山が見抜いた(ビデオなんて便利なもののない時代にですよ!!!)「双葉関は、どうやら右目が見えにくいようだ」←これは、引退してから双葉山自身が「子供の頃に吹き矢が目に刺さって失明した」と言っており。知っていたのは、立浪親方夫妻だけだった。それを全く引退まで感じさせなかった偉大なウp粉綱であった。新鋭の安藝ノ海に総大将の笠置山が、「左からの攻めを指示」。見事、外掛けの奇襲で70連勝を防いだのだった。翌日の新聞に「巨星、落つ!」の大見出しとともに双葉山が土俵に倒れる写真が掲載されていた・昭和十一年一月(東前頭三枚目)●新海(蛸足の新海といわれた足技の名人)〇武蔵山(横綱)〇清水川(名大関の名をほしいままにした名力士)〇鏡岩 (猛牛の異名あり)〇男女ノ川(巨漢)●玉錦(稽古熱心で闘志の横綱)〇?ノ裏=記録の始まり〇出羽湊〇綾昇〇笠置山(出羽の海部屋、打倒双葉山作戦会議座長)〇駒ノ里・昭和十一年五月(西関脇)〇新海〇両国〇駒ノ里〇笠置山〇出羽湊〇綾昇〇玉ノ海〇鏡岩〇玉錦〇男女ノ川〇清水川・昭和十二年一月(東大関)〇両国〇玉ノ海〇和歌島〇磐石〇笠置山〇出羽湊〇桂川〇鏡岩〇清水川〇大邸山〇男女ノ川・昭和十二年五月(東大関)〇土洲山〇綾川〇前田山〇和歌島〇海光山〇九州山〇五ツ島(十五年一月と十六年五月と双葉山を連覇した)〇玉ノ海〇磐石〇大邸山〇清水川〇玉錦