世の中に存在するのは
ボクはキミに嘘をつく。でもボクは、キミがそれを調べたり、第三者に真実かどうか確かめないとでも思っている。だって、この広い世界に存在するのは、ボクとキミだけ。もしくはキミがボク以外の人間を信用しないという絶対の自信がある。もし嘘がばれても「冗談を言ったんだよ」と言う。「シャカ。シャカ」ってね。これで相手は怒れない。・・・・・・。以前から思っていたのだけど、A,B,Cという3人の人がいるとすると、AとBは会話をし、AとCも会話をする。でもAはどういうわけか、BとCが会話をするとは考えないわけ。だから何って話じゃないんだけど。トルコ人の癖?来週、私たちの友人Aのガールフレンドが日本から遊びにくる。今年2度目である。遠距離恋愛は、まして国際間になると経済的にも、体力的にも精神的にも大変だと思う。傍観しているだけでも疲れてしまう。離れているから、お互いのことが見えない。今は便利なもので、インターネットでチャットだ、電話だと話はできるけど、不安はつきものであろう。よほど精神的に強くなければ、この状態を続けていけないだろう、と思う。だって会えるのは年に2回か3回か・・・。日にちにすれば1年のうち1か月間もない。そして、これを続けて近い将来何か結果を得られるのなら、それもよし。でもどうなるかわからない先のために、しかも飛行機に乗って年に2、3回しか会えない相手のところへ行くのだから、やるせない。そのときが楽しければいいじゃない。と言うのも正解。会いたいから会いに行く、それも正解。恋愛って、つきあうってなんだろう、と思ってしまう。そばにいて欲しいときに会えて、うれしい、悲しい、楽しい、つらい・・・・ひとつのことを一緒にわけあうこと?国際遠距離はこれにはあてはまらない。声だけ、文字だけ。今日あったできごとを語りあう。せつない気持ちを伝え合う。でも触れることも、明日会おうね、っていうこともできない。この状態でつきあうこと、って、一体なんだろうと思う。我が家は妻と夫、両方が単身赴任のようなもの。日本の家から見たら、商売のために妻がトルコに子連れ赴任。トルコの家から見たら、夫が日本の店を開けるために単身赴任。夫がパソコンに触れないので、用事があれば国際電話。安い回線の契約をしていても、通話時間と回数が多いから、電話代はそれなり。お~い、電話代だけで破産しちゃうよ~状態なのである。・・・と話がずれたが、恋愛中のせつない二人と違い、夫婦の場合、国際遠距離はなかなかよろしい。我が家の場合、もともと年寄り夫婦なので、喧嘩は面倒だからしないし、相手のことをピリピリ監視したり、やきもちをやくこともない。で、久しぶりにあうと新鮮で、結婚して6年になるが、そんなに経ったのか信じられないほどである。・・・とまたまた話が横道にそれたが、おり姫とひこ星のように、年に一度だけ。それが何万年も何億年も続いて、その先にあるものは永遠の年に一度だけの逢瀬。それはそれでいいじゃない、の世界であるが、遠距離恋愛の場合、普通は状態を打開するために、あるとき決心をするわけである。どちらかが相手の国に行く。国際結婚。その決意はできないから、とりあえず、会ったときだけ恋人でいましょう。現実はお互い干渉しないで、ネット上でつきあい続けましょう。・・・それ以外の選択肢もあるのだろけど、ちょっと思い浮かばない。結論。世の中に存在するのはボクとキミだけじゃないってこと。(わかんないだろうなあ~)