●●●尋秦記 タイムコップB.C.250 その2~歴史には誤差の範囲内ってのがあるような気がしてきた。
紀元前250年に、タイムスリップ!中世や近世なんてもんじゃない。古代も古代、おおいに古代である。そんな時代に2000年後を生きていた男が現れた。項少龍(ホン・シウロン)。この男は優秀な刑事であるが、中国の古代史に詳しいという設定である。なんとかして現代に戻りたいから、歴史を変えてはいけないという大原則を守ろうとする。守ろうとするのだけど、守りきれるはずもない。タイムスリップっていうネタは、いつだって作品を面白くしてくれるのだ。まず、主人公は帰れるのか。ドキドキハラハラするとこだもんね。それから、時間の歪みをどう説明するか。実はココのところがキモで、時間の歪みの説明を蔑ろにすると、作品は一気に降格して駄作になる。「尋秦記」に関して言えば、コメディの要素も多く、ツッコミながらも楽しく観れてしまうのだろうけど。それは私たちが外国人で、中国史を知らないっていう大前提があったりなんかしたりして。出来うる限り中国の歴史を見直し、「尋秦記」という作品に織り込まれた中国史を考えてみる。(かなり無謀なことしてます。お許しを)まず最初に項少龍がぶつかる歴史は「和氏の壁(かしのべき)」である。完璧、という単語の語源となるエピソードにもちろん、項少龍が絡むはずはないのだが、おもいっきり絡んでくるのである。なにせ、「和氏の璧(かしのベき)」という宝物は、趙になくては歴史はつながらないのに、楚に持っていかれようとしていた。戦国の七雄を復習しておく。秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓「和氏の璧」と完璧をつなげる故事は、趙の藺相如(りんしょうじょ)という人が、活躍する。問題の発端は秦。自分とこの15の城と「和氏の璧」を交換しませんか、と秦が言ってきた。だが当時の情勢ではそんなこと信じられるはずはない。けど、断れば秦が攻めてきて、趙は一巻の終わり。そこで項少龍は藺相如のしたことを断片的に真似て、楚に持っていかれそな「和氏の璧」を趙にあることにした。「和氏の璧」のエピソード。これは、もう既に項少龍の登場によって歴史が変わってきていることを指している。その変化を項少龍自身で戻しているのである。「和氏の璧」までに項少龍はこの時代にチョコレートとカタコト英語を持ち込んでいる。もう一度確認しておくと、項少龍は中国の古代史に詳しいという設定。なんとかして現代に戻りたいから、歴史を変えてはいけないという大原則を守ろうとする。だが彼の思想そのものがこの時代とは異質。権力に近い場所にいるのにも関わらず、性格的に権力志向が全くない。(縛られたくない性格。だから恋人との結婚さえ避けていた)刑事という職業からか、正義感が強い。しかしこの時代、義はあっても正義感はない。そして一番大きいのは女性への対応。項少龍は出会う女性に対し、個性を観て対応する。勝ち気な女性には楽しく明るく、重い責任を背負った女性には尊敬の念を持ち、強がりだが気のいい女性には信頼の顔を見せる。この時代の女性たちは現代よりもずっと、個性が認められないでいるという表現が随所にある。主人公が女性にモテる行動をするのは差し引いても彼と出会うことで女性が自らの生き方を貫こうとすることで、歴史はどんどん変わっていく。ただし、ここでいう歴史は、項少龍が学んだ中国の古代史であって、真実の古代史かどうかは定かではない。実際、そんなことはどうでもよくなるのだが。少し横道にそれるが。「龍陽の寵」という言葉もある龍陽は魏の家臣「龍陽君」を指すらしい。中国最初の男色家、とあったが、演じる俳優は女性だった。興味深いもんである。項少龍はシェイクハンドで挨拶していたというオマケつき。龍陽君、「尋秦記」一のワザを見せる連晉(りんちょん★)に負けないくらいの剣さばきである。その連晉、(ろうあい)という剣客に化けるのだが、この(ろうあい)は始皇帝の母の愛人として名を残している。※漢字で表記しきれない、または化ける文字があります。 その場合は()にひらがなを入れてます。★(りんじょん)とも聞こえました。。歴史が変わっていく。そして大問題が巻き起こる。人質だった後の始皇帝、?政(えいせい)が実は偽物でしかも死んでしまう。その上に農村で暮らしていた本物も実は既に亡くなっていたという事実発覚。このピンチもまた項少龍はなんとかしてしまう。そのことで趙盤(ちゅうぶん)という少年の運命がどんどん変わっていってしまう。つまり趙盤が始皇帝になるのが後半のストーリー。その時、項少龍は大将軍だったりする。おもしろいのは、項少龍が自ら歴史を修正出来たのは、趙盤が権力を本格的に得るまで、であったこと。項少龍と趙盤が歴史の表舞台にでてしまったとき、ふたりの姿は一時、鏡に映らなくなる。(よくある演出であるが、ドキドキした)現代まで残っている歴史というのは、勝者の歴史だろうし、真実かどうかわからない。その歴史の表舞台に立ってしまったとき、自由気ままに動けていた項少龍に消滅の危機が訪れる。それまでの彼は誤差の範囲内、なんとか歴史という縦糸に戻れたものを、名を残すほどの権力を持ってしまった時点で、人間というのは身動きがとれなくなるのだろうか。小さな歴史のズレをも飲み込む大きな歴史という時間。そういうもんを描いたのが「戦国自衛隊」なのかも、と一応映画も原作も読んだので書いておいてもいいだろう。もひとつ言えば、個人的に私は歴史が嫌いじゃない。寧ろ好きだったりする。ここまで、きた。現代につながっている過去。通史が全てだとは思っていないが。実は項少龍、現代に戻らない。その経緯は語るものでもないので止しておこう。ただ、彼は歴史の表舞台から消える。このことは「焚書坑儒」ということと絡む。秦の始皇帝が行った施策の一つは、項少龍という名を記録から抹殺する意味もあったのだ。とまあ、項少龍は古代に家庭を持ち、幸せに暮らしましたとさ、では「尋秦記」らしくない。項少龍。この作品の主人公の名は「項」でなくてはならなかったのだ。歴史に詳しい方ならすぐ気がつく仕掛けである。けれど、知らない方がビックリできるエンディングである。参考文献(wikiの関連ページにリンクできません。なぜ?)■「始皇帝」について。一番のキモです。http://ja.wikipedia.org/wiki/■始皇帝のお母さんの愛人について。「ろうあい」http://ja.wikipedia.org/wiki/■なぜか、「十二国記」になる「龍陽の寵」http://homepage3.nifty.com/tamatebako/novels/omake/hyakuninisshu/100-65a.html■和氏の璧の「璧」の璧は「完璧」の璧で壁じゃない。http://www.c-able.ne.jp/~s-town/gyoku.htm■焚書坑儒。紙のない時代だから木と布の書物を焼いてました。http://ja.wikipedia.org/wiki/※辞書より転載前213年、秦の始皇帝が行った、主として儒家に対する思想言論弾圧。民間にあった医薬・卜筮(ぼくぜい)・農事などの実用書以外の書物を焼き捨て、翌年、始皇帝に批判的な学者約460人を坑(あな)に埋めて殺したといわれる。転じて、学問や思想に対する弾圧をいう。