感動している/種まき
バスに乗って電車に乗って家から街へ二人ででるわけだが、もう既に何回も同じように乗っているのにゆーゆーは電車を見るたび感激している。ゴゴーッ、っと地下鉄の音が響くと「でんしゃっ!」と目を輝かし、電車の頭が見えると指をさして、はっ、と息を呑み、私の顔を見て感動を伝える。もちろん私も、はっ、とした顔をして一緒に感動する。乗るとまぁ落ち着くのだが、降りたら必ず手を振って電車を見送る。朝方は混んでいるので端っこの方で人ごみの迷惑にならないところを選んでバイバイをする。見えなくなるまで見送って初めて私達は「電車での移動」が終わったことになり、保育園に向かって歩く。子供が一つ一つ同じように感動できるのはすごいことだと思う。自分にもそういう感覚があったことは間違いないし、忘れたくないな、と今でも思う。アメリカに来てからその日その日の天気を楽しむようになったけれども、良い天気の日やその日にできた雲の形とか、小さいことで感動できるのは体にもいいことなんだと思う。何で日本にいた時は良い天気に感動できなかったのかな、と、誰もそんな話をしなかったなぁ、とか、色々物がありすぎて気候とかを気にする余裕が無かった生活を思い出す。***昨日家にゆーゆーと二人で帰ってくるとまず、私は外付けの電話回線ボックスを調べに裏口に出た。何故か家の電話が繋がらないので故障していると思ったのだ。彼も外に出たがったので靴を持ってきなさい、と持ってこさせて履かせてあげて二人で裏庭をうろうろする。電話線がオッケーだということを確認したのでそれで家に入ろうとしたのだが、まだ外は明るくいい天気だった。去年活躍した植木鉢に、残っていたハーブの種が芽を出して咲き始めていた。セージだと思うのだが、とにかくかなりの勢いで繁殖している。そういえばハーブの種をそろそろ植えておかないと季節が終わってしまう、と思っていた。既に種まきとしては遅い時期なのだが、すぐ植えられるようキープしていたハーブの種を台所から持ってきて植木鉢に撒き始めた。ゆーゆーも一緒にしたいと言ったので、小さな鍬を使って二人で土を耕し手持ちの種を色々植えてみた。去年も私達は一緒に植えたのだ。なんとなくだけど彼は覚えているようで一生懸命私の手伝いをしてくれた。穴を掘って、袋から種を落とす。横に誰も手入れのしていない空き地があるので、そこにも二人で穴を掘ってマジョラムとかディルとかオレガノとかを植えてみた。そういえばこの土地は去年何者かに荒らされたのだ。荒らされてなければ今頃花もハーブももっと増えていただろう。新しいハーブが咲けばこの土地はもう一回綺麗になって、去年のそんな思い出もかき消してくれることだろう。