ラストじゃなかった、ひまわり
自分の時計で自分の花を咲かせていくひまわりのこと先日書きました。ラストの花を準備中です…と書きまして、私が、見てきたつぼみは、週末、小さな花を輝かしく咲かせていました。ふと、目に留まったのは、もうひとつのつぼみです。“ごめん、ひまわり。はやまってラストって言っちゃったね、わたし。 わかったつもりでいたのに 自分の時計で自分の花を咲かす・・と。 まだラストじゃないね。”“うれしいよ。 寒さ乗り越えて行きましょう。”自然に向かうときなるべくありのままを見つめたいなぁと思うのです。そこから、得られる何かを感じていたいと思うのです。だけど、自分がもっている固定観念にとらわれて、なかなか真実に近づけないし、真実をみることができないのです。だけど、それを打ち破られて気づかされたときの自然の姿には、なにか語りかける大きな力を感じます。シャッターチャンスを狙うように、“紅葉に一番の時期”から早かった、遅かったと手前都合で自然を評価する見方ではなく、ありのままの姿をそのまま捉えられるようなそういう付き合いかたをしていきたいと思うのです。1番も2番もなく、森は、今日も命の営みを続けていくだけです。森に通い、森にお邪魔する私が何をみていくかありのままの自然を見つめて、学ばせていただきたいと思います。育てているつもりのひまわりでさえ自分自身で生きているのだなぁ・・・ともう一度ひまわりを見つめました。