スティーブ・ジョブズ (Steve Jobs) - 伝説のスピーチ 【動画 / 文書】
スティーブ・ジョブズ氏による伝説のスピーチをご存じですか? よく、○○の法則という言葉を耳にしますが、夢を叶えるため、この世に生まれてきた目的(天命・理想)を達成するためには、幾つかの普遍的な法則があります。理想を生きることは、心身の健康における動力源(生きる意味)で、健康と美の源です。そして、理想を生きることは、愛の生き方になります。なぜなら、私たちが自分の理想を生きるとき、多くの人の役に立つからです。 ジョブズ氏の素晴らしいスピーチの中にも、その法則がちりばめられていますので、是非ご覧ください♪↓ ↓ ↓●YouTube:伝説の卒業式スピーチ Steve Jobs ※以下、文章をまとめましたが、文字数の関係上かなりカットしています。◎[1]点と点を繋ぐ 最初は、点と点をつなぐ話です。 私はリード大学を6ヶ月で退学しましたが、本当に辞めるまで18ヶ月ほど大学に残って授業を聴講していました。私はあまり深く考えずに学費の高い大学を選んだため、労働者階級の親の収入のほどんどは大学の学費に消えていました。半年もすると、私は大学に何の価値も見出せなくなりました。人生で何がやりたいのか考えがなく、また大学にはそれを見いだすこともできませんでした。それなのに自分は大学にいて、親が生涯かけて貯めた金を使い果たしている。だから退学を決めたのです。 それが最善であり上手くいくと信じて。もちろん当時はかなり怖かったですよ。ただ、今、振り返ると、これが人生で最良の決断だったのです。というのも、退学した時点で興味のない科目は受ける必要がなくなり、自分にとって面白そうな授業に集中できたからです。 ひとつ具体的な話をすると、リード大学では書体について習ったりフォントの作り方を学びました。フォントは、美しく、歴史的にも、芸術的にも、科学で把握できないほどの緻密さで、それは私にとって魅力的な発見だったのです。しかし、フォントが人生に役立つという期待はありませんでした。ところが、それから10年経って最初のマッキントッシュ(PC)を設計する時にその知識が役に立ち、マックの設計に組み込むことにしました。こうして初めて美しいフォントを持つコンピュータが誕生したのです。 当時、寮には自分の部屋もなく、夢を見れる状態ではありませんでした。夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらい、食費のためにコーラ瓶を店に返して5セント集めたり、日曜の夜はハーレクリシュナ寺院のご飯を食べに7マイル歩きました。これが私の楽しみでした。こうした自分の興味と直感に従うだけの多くの体験が後になって値段がつけられない価値に変わったのです。 もし私が大学であのコースを寄り道していなかったら…。もちろん大学にいた頃の私には、未来を見据えて点と点をつなげることはできませんでした。しかし10年後に振り返えると、とてもハッキリ見えることなんです。 もう一度言います。未来に先回りして点と点をつなげることはできない。君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。だから点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じなければなりません。自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自信を持って思うままに生きることができます。たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです。◎[2]愛と敗北 2つ目は、愛と敗北についての話です。 実家の車庫でウォズとアップルを創業したとき、私は20歳でした。私たちは仕事に没頭し、10年間でアップルはたった2人の会社から4千人以上の従業員を抱える20億ドル企業に成長しました。私たちは最高傑作であるマックを発表しましたが、そのたった1年後、30歳になってすぐに、私は会社をクビになってしまいました。 自分が始めた会社を首になるなんて不思議ですが、それは次のようないきさつです。アップルの成長にともない一緒に経営できる有能な人間を雇い、それで最初の1年は上手くいきました。しかし、やがて将来ビジョンについて意見が分かれたのです。取締役会は彼に味方し、私は30歳にして会社を去りました。まさに社会的に追放され、私は人生のすべてを注ぎこむものを失い、心からズタズタに引き裂かれました。 数ヶ月間は本当にどうしたらいいのか分からず、自分が前世代の起業家の実績に傷をつけ、手渡されたリレーのバトンを落としたように感じました。私はデイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスに詫びようとしました。まさに社会的脱落者となり、シリコンヴァレーから逃げ出そうと考えたほどです。 しかし、あるときから私は自分がやってきたことを、まだ愛しているということに少しづつ気がつきはじめました。アップルの退任劇後も、私の仕事への愛は全く変わらなかったのです。私は会社で否定されても、まだ好きだったのです。だからもう一度やり直すことに決めました。 その時は分からなかったことですが、アップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だった ということが分かってきました。成功者としての重圧が消え、再び初心者の気軽さが戻ってきたのです。あらゆるものに確信はもてなくなりましたが、おかげで私は人生で最も創造的な時期を迎えることができたのです。その後の5年間に、私はネクストという会社とピクサーという会社を設立しましたし、妻となった素敵な女性と恋に落ちました。 ピクサーは世界初のコンピュータによるアニメーション映画「トイ・ストーリー」を創りました。いま世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。その後、予期せずネクストがアップルに買収され、私はアップルに復帰することになりました。ネクストで開発した技術は、現在アップル再生の中核的な役割を果たしています。更に、私はロレーヌと素晴らしい家庭を一緒に築いています。 ここで確かなのは私がアップルをクビになっていなかったら、こうした事は何も起こらなかったということです。それは大変苦い薬でしたが、患者には必要だったのでしょう。人生には、頭をレンガで殴られるようなことがあります。しかし信念を失わないこと。私がここまで続けてこれたのは、自分がやってきたことを愛しているからに他なりません。 君たちも自分が好きなことを見つけなければなりません。それは仕事でも恋愛でも同じです。これから仕事が人生の大きな割合を占めるのだから、本当に幸せを得たいのであれば進む道はただひとつ、それは自分が素晴らしいと信じる仕事をやること。さらに素晴らしい仕事をしたければ、好きなことを仕事にすること。もし見つからないなら探し続けること。成長をあきらめないこと。 これは心の問題と同じで、見つかったときに分かるものです。愛する仕事というのは、素晴らしい人間関係と同じで、年を重ねるごとに自分を高めてくれます。だから探し続けること。安住していてはいけない。◎[3]死について 3つ目は、死についての話です。 私は17歳のときに本を読んで、あるに出会いました。「毎日を、人生最後の日だと思って生きてみなさい。そうすればいつかあなたが正しいとわかるはずです」。この言葉に衝撃を受け、それから33年間毎朝私は鏡に映る自分に問いかけてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だしたら今日やる予定のことは私は本当にやりたいことだろうか?」、それに対する答えが「ノー」の日が何日も続くと、私は「何かを変える必要がある」と自覚するわけです。 「自分がもうすぐ死ぬ」という状況を想像することは最も大切な方法です。私は人生で大きな決断をするときに随分と助けられてきました。なぜなら、他人からの期待、自分のプライド、失敗への恐れなど、ほとんど全てのものは…、死に直面すれば吹き飛んでしまう程度のもので、そこに残るものだけが本当に大切なことなのです。自分もいつかは死ぬと思っていれば、何か失うのではかないかと危惧することもない。これは私の知る限り、最善の考え方です。失うものは何もない。思うままに生きてはいけない理由などないのです。 誰も死にたいと思っている人はいません。天国に行きたくても、そこに行くために死にたい人はいません。それでいて、死は誰もが向かう終着点なのです。かつて死を逃れられた人はいない。それはそうあるべきだから。なぜなら「死」は「生」による唯一で最高の発明だから。「死」は、「生」へのチェンジだ。つまり古いものが消え去り、新しいものに道を開ける働きなのです。現時点で新しいものとは、君たちのことです。でもいつかは、君たちもだんだんと古くなり、消え去ります。あまりにドラマチックな表現ですが、それが真実なのです。 だから私は伝えたい。君たちが持つ時間は限られている。自分の時間を、他人の人生観や考えに消費する必要はありません。誰かが考えた結果に従って生きる必要などないのです。自分の内なる声が他人や周囲の雑音に打ち消されないようにすることです。そして、最も重要なことは自分自身の精神(スピリット)と直感に素直に従い、勇気を持って行動することです。精神や直感というのは、君たちが本当に望んでいる姿を知っているのです。だから、それ以外のことは、全て二の次で構わないのです。◎おわりに 私が若い頃、"全地球カタログ (The Whole Earth Catalogue)" という凄い出版物があり、私たちの世代ではバイブルのように扱われていました。それはステュアート・ブランドという人が制作したもので、彼の詩的なタッチで彩られていました。1960年代の終わり頃はパソコンもDTPもない時代で、全てタイプライターとハサミとポラロイドカメラで作られ、まるでグーグルのペーパーバック版のようなものでした。グーグルが35年遡って登場したかのような理想的な本で、素晴らしいツールと壮大な概念に溢れていました。 ひと通りの内容を網羅した時点で最終号が出ました。それは1970年代半ばで、私がちょうど君たちの年代だった頃です。最終号の裏表紙は朝早い田舎道の写真で、それはヒッチハイクの経験があればどこか見たことのあるような光景です。写真の下には、メッセージがありました。 "貪欲であれ、愚直であれ (Stay hungry, Stay foolish)" と。これが発行者の最後の言葉だったのです。 "貪欲であれ、愚直であれ" それ以来、私は常に自分自身そうありたいと願ってきました。そして今、卒業して新しい人生を踏み出す君たちに同じことを願います。Stay hungry, Stay foolish.貪欲であれ、愚直であれ。 ご清聴ありがとうございました。 ●スティーブ・ジョブス 伝説の卒業式スピーチ【関連記事】 ●マイケル・ジョーダン 【名言】 ●ウォルト・ディズニー 夢