3兄弟の中で、誰が一番好き? その4
でも、私が、「みんな同じように好きだから・・。」と、“平等宣言”をした後、仁吉は、こっそり私に、「お母さん、みんながいるから、さっきそう言ったけど、ほんまは僕が一番やろ?わかってるって!」と、言ってきました。やれやれ、仁吉は、もうすっかり自分が一番だと、信じていましたから、今更そう言っても方便だと思っていたのです。長男は、もう大きくなっていましたし、普通、そう聞かれたら、当然同じと言うよね、って感じで受け入れているようでした。まぁ、何を今更ってところでしょう。ところが、これにダメージを受けたのは、三吉でした。とてもしょんぼりとして、悲しそうに、「ボク、一番ちゃうねんな・・・。」仕方がありません。三吉は、まだ小さかったし、確信に至るほど、聞きまくっていたわけではなかったのです。そうなる前にと、宣言したのですから、効果はてきめんでした。それでも私は、「みんな一番好きやから、決められへん、って言うてんで。三吉のことは大好きやねんで。」と、言うしかありませんでした。確かに、その時は、これで、一人一人に、こそこそ聞いて来られることもなくなり、みんなが同じように愛しいのも本当だから、これでよかったのだろうと思っていました。でも、その後の三吉の成長過程を考えてみると、やっぱり「みんな同じ」は、大人の教育的発想の回答ではないかと思うのです。親だって、時々子供に、冗談めかして、「お父さんとお母さん、どっちが好き?」なんて、聞く人がいると思います。その時、やっぱり心の中では、自分だと言ってほしいのではないでしょうか。もし、自分でない方を言われたら、少なからず、がっかりすると思います。子供だって、やっぱり自分だと言って欲しくて、質問しているはずなのです。私は聞いてくる子供の表情を思い出すと、願い通りに答えてあげて、安心させてあげるのも、いいんじゃないかな、と思うのです。それから、三吉は、自分がみんなと同じでは、何かと不安定で、兄とけんかしたり、思いが通らなかったり、怒られたりすると、過剰反応して、長い間泣き叫ぶようになりました。まるで、みんなに自分の存在や思いを、泣いて知らせるかのように・・・。しつけの段階で、時間をかけて泣いても、しばらくすれば、自分で落ち着いて、話ができるようにもっていきましたが、正直、かなり苦労しました。今思えば、三吉の大泣きは、生まれた順番や好きの順番に納得いかず、抗議していたように、私には思えてなりません。あの時、三吉が、「3人の中で誰が一番好きか」と、聞いて来た時に、仁吉のように、「三吉が、一番好きやで。」と、こっそり言い続けてやっていれば、あるいはもっと早い時期に情緒が安定していたのではないかと、悔やまれるのです。子供が大きくなってから、母がみんな同じように愛していて、自分に一番だと言っていたのは方便だったかもしれないとわかっても、今更ダメージを受けることはないでしょう。それに、その時感じた、満足感や安堵感は、大きくなっても、決して消えることはなく、いわゆる、根拠のない自信につながるような気がするのです。でも、反対に、自分が特別愛されている、という確信が欲しいときに、得られなかった思いは、いろんな場面で引きずるものではないでしょうか。何かにつけて、前向きにこつこつと自信を持って取り組む仁吉と、やや自信のない言いわけをしながらの三吉を、見るにつけ、そんな事を考えてしまうのです。