『おとなのけんか(ロマン・ポランスキー)2011』
『おとなのけんか(ロマン・ポランスキー)2011』原題は「Carnage」=「大虐殺,大量殺戮」と物騒。だが、日本のタイトルのままの中身。子どもの喧嘩に大人が出てきて云々。二組の親=夫婦が子供同士の喧嘩を収めようと会う。会うのは撲られた子どもの家。映画はその家(部屋)での会話が殆ど。初めは互いに穏やかに事を収めようとするが、一つ歯車が噛み合わなくなり、次々に新たな会話の展開に、その連続。これ以上の説明は難しい。人は、ある目的があればそれに向かいきちんと会話が出来る、またその様に話を進められる。当たり前のこと。だが、ちょいと本音が顔を出すと、会話はあらぬ方向に進む。これも当たり前のこと。その当たり前を台詞として成立させ劇に仕上げる腕は並ではない。『おとなのけんか』の会話は実にリアルだ。或る意味で脈絡のない会話が続く。それが出鱈目ではない出鱈目。言い換えれば規則性のない出鱈目。見ていてドラマの中に入り込める。それほど巧みだと思う。その一瞬間、一瞬間がパターン化されていない、そういう会話。それこそ人が普段する会話である。昔聴いた話。ピアニストの山下洋輔曰く「セシル・テーラー(Jazzピアニスト)のように出鱈目には弾けない」人にとって出鱈目は難しい。出鱈目にやっているようでもある種のパターンに陥る。そういうことだ。『おとなのけんか』はその出鱈目が出来ている。お見事。思い出したのが『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない(マイク・ニコルス)1966』。封切り当時(高校生であった)見たきりで、このたびDVDで見た。これは素晴らしい。これも二組の夫婦の会話劇だが、人を描くという点ではこちらが数段上等。という訳で『おとなのけんか』は良くできていますが大人の喧嘩の域を出ていないのです。参考までに、『おとなのけんか』はジョディ・フォスター49歳、ケイト・ウィンスレット36歳、クリストフ・ヴァルツ55歳、ジョン・C・ライリー46歳。『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』はエリザベス・テイラー34歳、リチャード・バートン41歳、ジョージ・シーガル32歳、サンディ・デニス29歳。エリザベス・テーラーの貫禄は流石。