今年、景気が上向くはずがない。(改訂) 2011年01月23日
23年は始まったばかりだが、景気は良くならない。というか、良くなりようがない。バブル期の好景気は、銀行が湯水のごとく融資をした結果、世の中に金が出回ったからである。紙幣を血にたとえるなら、金融機関は心臓である。人間は血が全身に行き渡らないと死ぬが、資本主義社会も同じなのだ。融資の担保は主に土地で、たとえば森林の二束三文の土地にでも評価額の何倍もの金額を貸した。戦後から、約45年いわれ続けた日本の土地神話とは、絶対に土地だけは価値が下がらないという幻想だった。(さらに、経済の指標である株も上がり続けた)土地に対する融資は、裏社会の人間にも当然のことながら行われた。というより、そんなオイシイ飯のタネを彼らが放っておくはずはない。『土地転がし』とは、土地のブローカー(仲介人)と銀行が手を組んで悪戯に土地の値段を高騰させた所業だった。そして、政治家も銀行から恩恵を受けた。名目は政治献金。(もちろん融資先は与党。そうでないと、権力にすり寄れない)だから、銀行はバブル崩壊後に不良債権で経営危機が訪れても経営責任を問われることはなかったし、公的資金で助けられたのである。(まさに、親方日の丸の体質)それにバブル当時、銀行の金利は今とは比較できないほどに高かった。80年代後半のバブル期は定期預金で8%、それ以前(80年ごろ)は12%ほどだった。だから2千万定期預金をしていれば、金利だけで生活できたのである。オマケにそんなご時勢だったから将来の不安などなかっただけに余計、消費に金が回った。しかし現在、普通預金で0,02%、定期でも0,03%。「ゼロ金利政策」といわれた当時は、0,001%。低金利で、バブル期より高収益を上げている銀行は、もっと社会に還元すべきである。ちなみに銀行員の預金金利は、一般預金者の何倍も高いらしい。失業率が上がったの下がったので問題になっているが、要は雇用条件の質である。会社は利益を上げているにもかかわらず、従業員は薄給で消費に回せられないのが実情だ。つまり従業員のことなど考えておらず、逆に社員は自分の生活だけで精一杯。そんな、自分のことしか考えない世知辛い世の中だから、心まで貧乏になっていく。ある大手の居酒屋『W』の社長は、「すべてはお客様のために」といった感じのコメントをテレビで発言していた。他の経営者も同じようなことを言っていた。しかし、そんなのは詭弁である。綺麗ごとに過ぎない。もっといえば、本心には聞こえない。なぜなら、一番儲けてオイシイ思いをしているのは社長だからである。労働者は「社会のために、お客様のために、会社のために」……それ以前に自分が生活するために働くのである。社長や管理職が偉そうにしていられるのも、全ては現場の従業員が働いてくれるからだ。しかし人間は、偉くなると自分の地位・肩書きを守ろうとするし、従業員によって支えられていることなど考えもつかない。労使関係は、互いが支えあって成り立つ。そこには信頼が必要である。しかし現実における信頼とは、あくまで建て前に過ぎない。さらに政治家・官僚の無策無能ぶりでは、日本の将来も暗澹たるものである。(旧社会保険庁の無駄遣いの実態については、他の項目で記述)1・24の菅総理による施政方針演説を聞いても愕然とする。「平成の開国」云々(うんぬん)……具体的な政策が皆無である。この先、消費税は10%台に上がるだろうが、そうなったときに消費動向はどうなるのか。食料品などの生活必需品も上げるのか?一律に上げるとなると、食えなくなった人々による「ヤケッパチ犯罪」が多発するような気がする。大不況脱出の妙案を他の項目で掲載しているが、もはやまともな政策では国家破綻は免れない。今の政治では、まともな政策すら掲げられないのだから、もう日本は死んでいる?